史劇の流れ

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死六臣の家族のその後
 
そろそろドラマ「王と妃」では死六臣の事件へ進んでいくようですが失敗に終わってしまうのは歴史の事実です。
 
その後の家族がどうなったか調べてみました。
当然、実子の男子は処刑され親族の男子は獄に囚われます。妻、娘、女性親族は功臣達に奴卑として分け与えられたようです。
 
歴史人物で公開している人物だけで紹介しますと以下の通りの様です。
王朝実録の世祖編 1456年9月7日から
 
河緯地(ハ・ウィジ)の妻、娘は権躽に与える。
成三問(ソン・サムムン)の妻、娘は朴従愚に与える。
兪應孚(ユ・ウンブ)の妻は権?に与える。
(後日)妾は奉石柱(ポン・ソクチュ)に与える。
また成三問(ソン・サムムン)の父親の成勝(ソンスン)の妻は李興商に与える。
 
さらに癸酉靖難(ケユチョンナン)で殺害された重臣達の家族も同時に功臣達に分け与えられます。
 
しかし12年後、世祖編 1468年9月6日には多くの親族を放免したと記されています。
 

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茶母を思い出します。こうして書くと生々しいですね。

2011/3/6(日) 午前 9:50 小茂根

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小茂根さん、お久しぶりです。

そうでした。茶母も元々は両班の娘でしたね。
私も書いてて生々しいなとは思ったのですが・・・まっ、良いかと(笑)
この時代、悪く言えば「一寸先は闇」の時代ですね。
陰謀だけでなくなにかヘマするだけで自身だけでなく家族、親族まで被害を被るんですね。
逆に死六臣は命がけだったのが良く理解できる出来事ですね。

日本で言えば忠臣蔵の様なお話しですがこちらは本懐を遂げることが出来なかったのでより悲壮感が漂います。

2011/3/6(日) 午後 3:33 アイスマン


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