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허침(ホ・チム)「許琛」(1444〜1505)(世宗26年〜燕山君11年)
成宗6年に文科に合格して官職に就きます。
燕山君10年には文臣で第2位の左議政に登り詰めます。
燕山君が世子の時代には趙之瑞と一緒に教育係もしていますが趙之瑞が厳しかったのとは逆に優しかった様です。
そもそも成宗の命を背けないので仕方なく教育係をしていたようで熱心では無かった様です。
燕山君が2人を称して「趙之瑞は小人で許琛は聖人だ」と言った出来事が記録に残っています。
許琛には両議政を務めた優秀な兄とそれに負けない博識な姉がいたようです。
兄弟ともに国事で難問が生じたときは姉に相談したようで廃妃尹氏が廃妃になるときも姉の言うとおりに反対したようです。
おかげで甲子士禍でも犠牲にならず、むしろ丞相になり燕山君の悪行を防ぐことは出来なかったですがそれでも多くの臣下を助けた様です。
しかし、それで心労がたまった様で心の病で亡くなったと伝わっています。
その他の出演史劇
・「王と妃」 ・「女人天下」 ・「明成皇后」
その他の出演史劇
2度目の登場です。
その他の出演史劇
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