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肅宗時代に起こった甲戌換局の主導者として有名な人物が金春澤(キム・チュンテク)です。
 
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金春澤(キム・チュンテク)の肖像画
 
韓国史劇「張禧嬪(02)」では当人が登場し、「同伊(トンイ)」では沈雲澤(シム・ウンテク)として登場しています。
人物集では簡単な解説だけで済ませましたがもう少し踏み込んで調べてみました。
父親の妹が粛宗の正妃の仁敬王后(インギョンワンフ)です。
西人派の名門家系で本人も西人派で分派した老論派に属します。
南人派が政権を握ったときには命も危うかった様ですが仁敬王后の甥だったことから難を逃れた様です。さらに中殿の身内となるので仁敬王后が生きていたときは宮殿への出入りも自由だった様です。
 
そして有名になったのが廃妃なった仁顯王后(インヒョンワンフ)の復位計画で有名なのが謝氏南征記(サシナムジョンギ)です。
大叔父の金萬重(キム・マンジュン)が書いた小説ですが母親のためにハングルで書いたものを漢文に書き直したのが金春澤の様です。
この小説を世間に広げて粛宗までもが見る様に仕向けたようです。
さらに「張禧嬪(02)」を見た方は解るでしょうが張禧嬪(チャンヒビン)の兄張希載(チャン・フィジェ)前妻金春澤の手助けていましたね。
いろいろと調べてみるとドラマでは詳しく踏み込んではいませんでしたが金春澤張希載前妻と情を通じて南人派の情報を手に入れていた様です。
 
見事に甲戌換局は成功して南人派を追い出し西人派の政権を勝ち取りますが、張希載前妻と情を通じたことが金春澤には仇となったようです。
 
同じ老論派の文臣からは良くやったと賞賛されたようですが少論派南人派からは方法が良くなかったと批判されます。
一部老論派からも批判され始めさらに張希載前妻と情を通じたのは張禧嬪の子の景宗(キョンジョン)も殺害する目的だったと批判されはじめて流配されることとなります。
後に流配は解かれたようですが官職に就くことは無かったようです。
名誉を回復したのは高宗の時代になってからのようです。
 
また、淑嬪崔氏(スッピンチェシ)の子で第21代王となる英祖(ヨンジョ)粛宗の子ではなく金春澤の子だと金一鏡(キム・イルギョン)少論派が騒いだ様ですが最初の子は早くに亡くなり英祖は2度目の子ですからちょっと考えなれないですね。
김진구(キム・ジング)「金鎮亀」(1651〜1704)(孝宗2年〜粛宗30年)
 
肅宗6年に文科に合格して官職に就いた西人派の文臣です。
妹が粛宗の正妃だった仁敬王后で息子が金春澤です。
 
己巳換局南人派政権になると金錫胄等と強引に南人派を粛正したとの弾劾で流配されます。
甲戌換局で復職して要職を歴任したようです。
派閥に関しては こちら を参照してください。

 
イメージ 1「張禧嬪(02)」の金鎮亀(ユン・ドギョン) 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 

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