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昨日、「同伊(トンイ)」でついに張禧嬪(チャンヒビン)が処刑されましたが朝鮮時代の3大悪女と
される第19代王肅宗の後宮(側室)で一時は正妃まで上り詰めた張禧嬪は本当に悪女だったか。
 
イメージ 1
 少し前韓国で話題となったチャン・ヒビンの本当の顔?
下の画家が描いたとされる肖像画をCGで修正したとか・・・

この時代の正史と言える朝鮮王朝実録では張禧嬪の死について簡単に記録されているだけです。
 
粛宗編27年10月8日に「張禧嬪に自決を命じる。」そして二日後
粛宗編27年10月10日に「張禧嬪が自決した。」これだけなんですね。
 
それではドラマで定番となっている張禧嬪のイメージとか逸話は?
調べた範囲では張禧嬪を扱ったドラマのナレーションで耳にする「仁顯王后伝」「随聞緑」の記録がその元の様です。
 
「仁顯王后伝」とは英祖時代の宮中の宮女が書き残したと伝わる書で簡単に言うと仁顯王后はすばらしい女性だったと褒め称え、張禧嬪は逆にとんでもない悪女だったと記録している書の様です。
多くの複写本が残っている様で当時は広く読まれたのではと推測出来るようです。
 
次に「随聞緑」粛宗時代の西人派の文臣李聞政(イ・ムンジョン)が残した記録本で張禧嬪と敵対していた派閥ですから同様な内容です。
またこの本では粛宗淑嬪崔氏(スッピンチェシ)が出会った過程なども記録されている様です。
 
歴史は勝者の歴史ですから張禧嬪と敵対し、勝利した派閥の記録の信憑性には疑問が残ります。
 
ちなみに王朝実録には張禧嬪仁顯王后を呪詛したと訴えたのは淑嬪崔氏だと粛宗の言葉で残っています。
ただし、呪詛の事件ではその関係者が捕らえられ自白する過程でドラマの様な惨い拷問が有ったのも事実の様です。
 
張禧嬪は本当に悪女だったか?

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