史劇の流れ

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「大王の道」の人物集を進めてますがこのドラマに描かれている人物がどうも最近のドラマとは
人物像が違うようです。
 
惠慶宮洪氏(ヘギョングンホンシ)が書き残した「閑中録」の記録を参考にしている様ですが・・・
 
陥れたようには描かれていません。むしろ助けようとしたように描かれています。
 
無かったような描き方です。
 
悪いのは老論派淑儀文氏(スギムンシ)なんですね。
 
1998年の作で「イ・サン」のイ・ビョンフン監督のドラマなんですがいつ頃歴史認識が変わったのか・・・
 
韓国のウィキペディアの和緩翁主(ファオァンオンジュ)の項に(故)国文学者キム・ヨンスク教授が
2人の近親相姦の可能性がある説をとなえたことが有るようです。
たしかにそれを臭わす展開も少しありますね。
昨日、「同伊(トンイ)」でついに張禧嬪(チャンヒビン)が処刑されましたが朝鮮時代の3大悪女と
される第19代王肅宗の後宮(側室)で一時は正妃まで上り詰めた張禧嬪は本当に悪女だったか。
 
イメージ 1
 少し前韓国で話題となったチャン・ヒビンの本当の顔?
下の画家が描いたとされる肖像画をCGで修正したとか・・・

この時代の正史と言える朝鮮王朝実録では張禧嬪の死について簡単に記録されているだけです。
 
粛宗編27年10月8日に「張禧嬪に自決を命じる。」そして二日後
粛宗編27年10月10日に「張禧嬪が自決した。」これだけなんですね。
 
それではドラマで定番となっている張禧嬪のイメージとか逸話は?
調べた範囲では張禧嬪を扱ったドラマのナレーションで耳にする「仁顯王后伝」「随聞緑」の記録がその元の様です。
 
「仁顯王后伝」とは英祖時代の宮中の宮女が書き残したと伝わる書で簡単に言うと仁顯王后はすばらしい女性だったと褒め称え、張禧嬪は逆にとんでもない悪女だったと記録している書の様です。
多くの複写本が残っている様で当時は広く読まれたのではと推測出来るようです。
 
次に「随聞緑」粛宗時代の西人派の文臣李聞政(イ・ムンジョン)が残した記録本で張禧嬪と敵対していた派閥ですから同様な内容です。
またこの本では粛宗淑嬪崔氏(スッピンチェシ)が出会った過程なども記録されている様です。
 
歴史は勝者の歴史ですから張禧嬪と敵対し、勝利した派閥の記録の信憑性には疑問が残ります。
 
ちなみに王朝実録には張禧嬪仁顯王后を呪詛したと訴えたのは淑嬪崔氏だと粛宗の言葉で残っています。
ただし、呪詛の事件ではその関係者が捕らえられ自白する過程でドラマの様な惨い拷問が有ったのも事実の様です。
 
張禧嬪は本当に悪女だったか?
肅宗時代に起こった甲戌換局の主導者として有名な人物が金春澤(キム・チュンテク)です。
 
イメージ 1
 
金春澤(キム・チュンテク)の肖像画
 
韓国史劇「張禧嬪(02)」では当人が登場し、「同伊(トンイ)」では沈雲澤(シム・ウンテク)として登場しています。
人物集では簡単な解説だけで済ませましたがもう少し踏み込んで調べてみました。
父親の妹が粛宗の正妃の仁敬王后(インギョンワンフ)です。
西人派の名門家系で本人も西人派で分派した老論派に属します。
南人派が政権を握ったときには命も危うかった様ですが仁敬王后の甥だったことから難を逃れた様です。さらに中殿の身内となるので仁敬王后が生きていたときは宮殿への出入りも自由だった様です。
 
そして有名になったのが廃妃なった仁顯王后(インヒョンワンフ)の復位計画で有名なのが謝氏南征記(サシナムジョンギ)です。
大叔父の金萬重(キム・マンジュン)が書いた小説ですが母親のためにハングルで書いたものを漢文に書き直したのが金春澤の様です。
この小説を世間に広げて粛宗までもが見る様に仕向けたようです。
さらに「張禧嬪(02)」を見た方は解るでしょうが張禧嬪(チャンヒビン)の兄張希載(チャン・フィジェ)前妻金春澤の手助けていましたね。
いろいろと調べてみるとドラマでは詳しく踏み込んではいませんでしたが金春澤張希載前妻と情を通じて南人派の情報を手に入れていた様です。
 
見事に甲戌換局は成功して南人派を追い出し西人派の政権を勝ち取りますが、張希載前妻と情を通じたことが金春澤には仇となったようです。
 
同じ老論派の文臣からは良くやったと賞賛されたようですが少論派南人派からは方法が良くなかったと批判されます。
一部老論派からも批判され始めさらに張希載前妻と情を通じたのは張禧嬪の子の景宗(キョンジョン)も殺害する目的だったと批判されはじめて流配されることとなります。
後に流配は解かれたようですが官職に就くことは無かったようです。
名誉を回復したのは高宗の時代になってからのようです。
 
また、淑嬪崔氏(スッピンチェシ)の子で第21代王となる英祖(ヨンジョ)粛宗の子ではなく金春澤の子だと金一鏡(キム・イルギョン)少論派が騒いだ様ですが最初の子は早くに亡くなり英祖は2度目の子ですからちょっと考えなれないですね。
「イ・サン」の43話を見ると・・・
 
イメージ 1
 
「洗草」と言う言葉が出てきました。
 
「洗草」とは王が亡くなった後で編集される王朝実録の元となる普段、王の言葉を記録している「史草」と実録の編集過程で作成された「初草」、「中草」、「正草」を文字通り水で洗い流すと言う意味です。
 
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
イメージ 4
 
 では実際に行われたのか。王朝実録の英祖52年2月4日の記録に出てきます。
正祖英祖の代わりに政務を行う代理聴政を行い始めて1年の事です。
しかし、ドラマの様な方法では無かった様です。「洗草」を行う場所が有った様です。
さらに行うのも数人の関係者だけで行った様です。
 
また、王朝実録の編集が完了すると同じようにそれまでの資料を「洗草」し、関係者を宴を張って慰労したようです。

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「同伊(トンイ)」の15話を見ると・・・
 
肅宗(スクチョン)「王」だとトンイ 淑嬪崔氏(スッピンチェシ) にバレてしまいます。
そして粛宗トンイをあらためて御前に呼び寄せるのですが・・・
 
トンイは王の部屋?の前で悩んでいます。なにを悩んでいるのか・・・・
 
イメージ 1
임금님(イムグムニム)?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 2殿下(チョナ)?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 3主上殿下(チュサンチョナ)?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 4上監媽媽(サンガムママ)?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 5
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 6
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
王様を何と呼べば良いのか悩んでいます。
 
改めて調べてみると・・・・
 
主上(チュサン)−これは王様より上の人、王の両親、祖父母が王を呼ぶときに使います。
 
殿下(チョナ)または主上殿下(チュサンチョナ)
−これは王より下の人が王を呼ぶときに使っています。
 
임금님(イムグムニム)−これは一般の人が王をことを言うときに使っています。
 
上監媽媽(サンガムママ)
−これは最近のドラマではあまり聞きませんが王が出向いた時に内侍(ネシ)が良く「サンガムママ ナプシヨー」と大きな声で言いますね。
日本語で言えば「王様の御成」でしょうか。
 
ドラマに戻ると・・・
 
イメージ 7王の前で緊張するトンイ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そしていきなり言った言葉が・・・
 
イメージ 8主上媽媽(チュサンママ) 
 
主上殿下(チュサンチョナ)と上監媽媽(サンガムママ)がごちゃごちゃになっています。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 9主上殿下(チュサンチョナ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 10上監媽媽(サンガムママ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
と出だしでトンチンカンな言葉が出て笑いを誘うシーンだったのですが・・・
 
日本語訳では無理でしょうね。
 
トンイが帰った後で粛宗が一人笑っています。
 
イメージ 11主上媽媽(チュサンママ)とは・・(笑) 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ちなみにこの時代には皇帝は使わなかった様です。
 
終わり

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