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現在視聴中の「龍の涙」はまるで歴史の勉強をしているような・・・ほとんど史実に基づいている様に思えます。 ところが尚宮を「ママニム」と呼んでいます。前から不思議だなと思ってたのです。 しかし、このドラマで一つ謎解きが出来たような気がします。 「龍の涙」の1シーンです。尚宮について説明しているシーンです。 いくら何でもこのドラマでは嘘が無いものと信じます。
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現在視聴中の「龍の涙」はまるで歴史の勉強をしているような・・・ほとんど史実に基づいている様に思えます。 ところが尚宮を「ママニム」と呼んでいます。前から不思議だなと思ってたのです。 しかし、このドラマで一つ謎解きが出来たような気がします。 「龍の涙」の1シーンです。尚宮について説明しているシーンです。 いくら何でもこのドラマでは嘘が無いものと信じます。
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ふと気づいたのですが・・・ |
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史劇もやたらと多く放映されてますので李氏朝鮮時代を分けて歴代王別にまとめてみました。 まとめてるとやたらと長くなってしまいました(笑) まだ、試作の状態です。ご意見、ご要望をお待ちします。 画像をポチして大きくして見てください。 2009/8/18更新。 |
文禄・慶長の役とは「ホジュン」、「王の女子」で出てきた秀吉の朝鮮出兵ですね。 ドラマでも王は朝鮮半島の北の端まで逃げてました。 当然ながら朝鮮はこの戦争で政治、経済、文化で大打撃を受けたことになります。 戦争が終わり日本が引き上げた後で財政が破綻した朝鮮王朝は財政を立て直すためにある政策を用います。 過去にも数度使ったようですが、戦争で財政が完全に破綻していたので最大ではと思われます。 それが「納粟策」です。 余談ですが最初に使ったのが最近レンタル店でレンタルされはじめた「韓明澮」と言う人らしいです。 何かと言えば米、お金等を国に納めるといろんな義務の免除、または身分の格上げが出来ると言うことです。 お金さえ納めれば下の階層でも両班になれたのですね。 そしてこの政策はこの後の王達も財政が破綻に陥ると使うようになります。 その度に両班の数が増え、この時代の身分制度が崩壊してゆくことになります。 「ホジュン」ではこの時に貴重な資料を困難を乗り越えて運んでいるシーンが有りましたが、実際は分散して納めていた倉庫が1カ所だけ戦禍を免れたのですね。
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ドラマ「イ・サン」で「英祖」が、ドラマ「チャン・ヒビン」で「淑嬪 崔氏」が出ているので二人についてもう少し説明を加えます。 書くまでも無いですが「淑嬪 崔氏」は「英祖」の生みの親ですね。 (ムスリ)として宮廷内で働いていましたが、王の目にとまり側室となったシンデレラです。 (ムスリ)出身の側室は李氏朝鮮500年の中でも「淑嬪 崔氏」ただ一人です。 しかし、この(ムスリ)は正確には宮廷女官では無く、女官のための雑用掛かりです。 女官で無いので最初は実家から宮廷に通ったそうですが、宮廷内の話が外に漏れるのを防ぐために後では宮廷内で生活するようになった様です。 韓国サイトを見てみると7歳で宮廷に入ったと書いてるものも有りますのでこの時代には住み込みになっていたものと思われます。 身分が低かったために側室となるまでの詳しい記録はほとんど残っていないようです。 ドラマ「チャン・ヒビン」の設定通りに中殿とは仲が良かったようですが、チャン・ヒビンが中殿の時代は迫害を受けたようです。 そして「英祖」が24歳の時に49歳で病死します。 しかし、まだ「英祖」が王位に就いていないので側室に与えられるお墓の称号は 묘 (ミョ) 「廟?墓?」でした。 廟、墓共に묘なのでどちらか解りません。 ちなみに王、正室の墓は「陵」、王子、王女の墓は「園」、側室は以下は「廟?墓?」となります。 そして「淑嬪 崔氏」の病死後6年経ったときに「英祖」は老論の後押しで王位を継ぎます。 余談ですが「英祖」は王位を継ぐのを再三固辞したようです。 「ムスリ」の子とのコンプレックスが強かったのと兄の重臣達による攻撃を見て嫌気がさしたのが理由ではと歴史学者は考えているようです。 王位に就いた「英祖」は亡くなった母親への孝心がとても強かったようです。 何とかして亡き母親を王の生母としての位に上げるために力を注ぎます。 王になったその年にまず母親のための祀堂を建てます。 この時は「淑嬪廟」となり、後に「毓祥廟」となり今現在は「毓祥宮」として残っています。(イ・サン)の72話参照。 母親を思い出す度に涙を流したと記録にも残っている様です。 しかし、当時の法が壁になり思った通りには行きません。王と言えども重臣の反対を抑えきれなかった様です。 しかし、ついに王位に就いて29年目で母親のお墓を「園」に昇進させます。 園には普段は家臣に書かす碑文も「英祖」自身が書いたようです。 「あ(嗚乎)! 25年間産んで育ててくれた恩に万分の一でも応えられた様だ。・・・自ら筆をとり・・・筆をとり書こうとすると涙、鼻水が顔に溢れる・・・・」 親子の情が深かったのが見てとれる内容です。 そして「英祖」は最も在位の長い王となり、最も国が発展した時代の偉大な王と評価されています。
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