李祘の正室ですね。歴史的な評価はドラマの設定通りの様です。 10歳の時に李祘に嫁ぎ宮廷に入る事になります。しかし、世継ぎには恵まれなかったようですね。 側室の生んだ世継ぎを養子にすることになります。 李祘が没すると王大妃となり69歳で生涯を終えることになりますが、それまで数々の尊号をすべて拒絶していた様です。
孝心が深く李祘の敵であった貞純王后までも孝行した様です。 最終的に立派な尊号も没後の様ですね。 |
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李祘の正室ですね。歴史的な評価はドラマの設定通りの様です。 10歳の時に李祘に嫁ぎ宮廷に入る事になります。しかし、世継ぎには恵まれなかったようですね。 側室の生んだ世継ぎを養子にすることになります。 李祘が没すると王大妃となり69歳で生涯を終えることになりますが、それまで数々の尊号をすべて拒絶していた様です。
孝心が深く李祘の敵であった貞純王后までも孝行した様です。 最終的に立派な尊号も没後の様ですね。 |
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晩年の英祖は亡くなる前にこの(キロソ)に入ってた様です。 「耆老所」とはこの時代の家臣で正二品以上の文官貴族で70歳以上の人だけが入ることの出来る今で言うなら老人ホームみたいなものです。 歴代の王も英祖を含めて3名入っていたようです。ただし、王はもっと若い歳から。 ドラマでは英祖が老人特有の病気にかかった様ですね。
実際は英祖が亡くなる一年前、英祖が生きている間に李祘のお父さんの時の失敗を繰り返さず「老論」を牽制出来るようにと政務は李祘に代理聴政しこの「耆老所」で過ごしたようですね。 |
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「甲戌の政変」とは英祖のお父さんの時代のお話です。チャン・ヒビンも絡んでいます。 簡単に書きますと南人派と西人派の政治の主導権を争った政変ですね。 南人派と西人派の説明はその先の時代までさかのぼり、ややこしいので省略します。 取りあえず、政争で負けて朝廷から追い出された派閥が南人派ですね。 では少論はと言うと政争で勝利した西人派が老論と少論に分かれたのですね。 李氏朝鮮時代の宮廷内はこんな感じで常に派閥の烏合集散が絶えなかったのですね。 そして王様は家臣たちの派閥争いの中で政治を行わなければならなかったのですね。 ついでに書きますと英祖と李祘も派閥の勢力均衡を図る政治を行おうと努力しました。 いつの時代も変わらないような・・・ ドラマでは李祘の反撃が始まりましたが・・・
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プヨンサヘンと発音します。当時の清国との交流、貿易等を目的とした使節団ですね。 韓国サイトを見てたら難しい言葉が並んでたので手抜きします(笑) 定期と臨時との二通りが有るようです。総勢は300人前後の様です。 時期は旧暦の11月出発で翌年4月に帰国と8月出発で12月帰国の様です。 今回は寒そうですから前者の方ですね。 ドラマ見てますと韓国ドラマ「商道」とだぶる内容が出てきます。 制作陣が同じですからパクリではないでしょう(笑)時代的にもほぼ同じですね。 興味の有る方は「商道」を見てください。
写真の男性も「チャングムの誓い」ですっかりお馴染みになりましたね。 この俳優さんは「チャングムの誓い」の撮影時にNGを60連発したそうです。 イ・ビョンフン監督は何も言わずに横でただ見てたそうです。 「いま、思い返すと私を育ててくれてたんだなと感謝しています」とは本人の弁です。 |
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簡単に言うと韓国風のお祭りですね。 元々は農村などで豊作を祝うとか祈るのが始まりと聞いています。 大きく、村、町で行うこともあった様です。 ドラマの中のようなアップテンポの音楽とか踊りは無かったようです。 音楽は主に打楽器が中心でもう少しスローテンポだった様です。 男性は韓国相撲、女性は大きなブランコ、高く飛ぶシーソーなどで遊んだ様です。
写真の女性は「チャングムの誓い」ですっかりお馴染みになりましたね。 意地悪役が多く人気がなかったのですがこのドラマのお茶目な役柄のおかげで人気が上がっているそうです。 |
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