早速正室、側室選びが始まりました。 ドラマ通りに本来王室に権限が有るはずですが・・・本来の選び方は「イ・サン」の50話を参照してください。 重臣達が自身の娘を王の側室として宮殿に送り込みましたね。 中にはあかの他人の娘を養女にしてまで送り込んでました。真実かはまた後日にします。 (追記。調べると氏族の娘を養女にしたようです) 写真の一番奥の女性が側室に送り込まれる時ですが、重臣がこれからは「お父様」と呼びなさいと言ってましたね。 この時代の両班の妾腹の子供は父親を「お父様」とは言えなかったのですね。 他のドラマでも出てきます。 ナンジョンもこれから出てきますがお父さん(アボニム)とは呼ばないでしょう。 一般的には父親の位に合わせて「テガ(ム)マニ(ム)」、「ナウリ」と呼んだのですね。 好きかってしてる重臣達ですが、さすがに中殿を決めるときは妾腹はダメと言ってましたね。 ところで中宗の最初の中殿(後の端敬王后)は身内が先王と関わりがあると直ぐに追い出されていましたね。 ここで伝説が生まれました。 中殿を忘れられない中宗は暇を見つけては高い所へ上り中殿の実家の方向を眺めていたのですが、それを知った中殿の実家が中宗に見えそうな岩の上に中殿が良く着ていた「赤いチマ」を置いたのですね。 まぁ、あくまでも伝説です。 ちなみにこの最初の中殿が復権出来たのはなんと「英祖」の時代になってからの様です。 その時は中殿の両親も一緒に復権出来たようです。長い時間がかかってます。 子孫がいたのでしょうか。 ここでこれから良く出てくる二人の呼び方を紹介しておきます。
下の「カッパチ」さんが良く「タンチュヒョンニ(ム)」(タンチュ兄さん)と呼びますので憶えていると良いと思います。 あと、その他の周りからは「スニ(ム)」(お坊様)と呼ばれます。 ナンジョンも「スニ(ム)」と呼ぶでしょう。
「カッパチ」とは皮靴職人のことですね。 これからは「カッパチアジョシ」(カッパチおじさん)、「カッパチソンセン」(カッパチ先生)と憶えとくと良いと思います。 ちなみに上の「タンチュ」さんは「カッパチ」さんを「アウ」(弟)と呼んでいます。 |
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