全体表示

[ リスト ]

1982年冬 練馬区立総合体育館柔道場

柔道の先生を父に持つ僕は幼少の頃より気がついた時には、

柔道着に袖をとおして柔道の練習をしていた。


この日は、僕が生まれて初めて「試合」と名前のつくものに出場する日だった。

「練馬区少年柔道大会 小学生1年生の部」に出場だ。


トーナメント方式のこの大会。

僕はオール一本勝ちで優勝。

華々しい柔道家、アスリートとしてのデビューを飾った。



翌年、1983年。
年1回行われている同じ大会に出場した。

もちろん、この年も優勝を狙っていた。

準決勝戦までまたオール一本勝ちで順調に勝ち上がった。


決勝戦、僕の目の前には去年は出場していなかったA君がいた。

A君は小学2年生で60キロある巨漢。ちびっこ相撲の選手だ。

この年から柔道の大会にも出場し始めたらしい。


小学校では常に一番後ろの僕が

始めて自分より大きい同じ年の子と試合をした。



何もできない。

前に寄りかかられるだけでズルズルと場外に出てしまい、

最後は巻き込まれて一本で投げられた。

前の年、金メダルを持ち帰った僕はこの年銀メダルを持ち帰った。



その後・・・

1984年

1985年

1986年

と、なんと、僕は毎年決勝戦でA君に負けた。





1987年 僕は小学6年生になった。

練馬区少年柔道大会は中学生の部が無く、小学6年生で最後の大会となる。


初出場初優勝の1年生の時以来、僕は金メダルを取っていない。

しかも優勝した年の大会にはA君は出場していない。


小学生最後の大会

今回がA君と最後の対戦になるかもしれない。
(結果これが彼との最後の対戦になった。)



僕は決勝戦まで勝ちあがった。

決勝戦、やはり相手はA君。

過去の対戦成績は0勝4敗



当時6年生の僕でも子どもなりに

「これが最後のチャンスだ!」と感じていた。

この対戦の為ともいえる練習を1年間頑張ってきた。






結果











一本負け

A君には一度も勝てなかった。



試合が終わり、礼をした後、

僕は会場で応援してくれていた父の元へ走りよりお腹に抱きつき泣き続けた。
(当時の2人の身長差で僕の頭は父のお腹の辺りだった)



はっきり言って父の教える柔道は本当に厳しくて何度も柔道をやめたいと思った。

みんなが、サッカーや野球を習い始める小学生。

僕は放課後1人電車を乗り継ぎ後楽園にある講道館まで強制的に通わされていた。

みんなと一緒にサッカーや野球をやりたかったのを今でも覚えている。



夏休みには父の友人がコーチをする東京で有名な柔道部のある中学校の合宿に

小学生なのに無理やり参加させられた。

中学生でも泣き出すような厳しい合宿に

小学生が1人で参加するなんてどんなに辛いか想像してもらえるだろうか。



父との練習の時もガンガン畳に投げつけられて、

寝技では息ができなくなるくらい押しつぶされて、辛かったことしか覚えていない。

あまり褒められたことも無かった。



柔道家としての父は僕にとってとても怖い存在だった。

柔道着を来ている時はあまり近寄りたくない存在だった。




だけど、この小学生最後の試合敗戦の後、

僕は無意識に父の所まで走って行って抱きついてずっと泣いていた。






「よく頑張ったな」






父が初めて褒めてくれた。




僕はただ泣き続けた。


生まれて初めて「悔し泣き」を経験した冬だった。

toyo




閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事