豊中・狭山事件研究会「ストーン・リバー」

東京高検は、全ての証拠を開示せよ!東京高裁は、事実調べを行え!

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レッドカーペットに左足を下ろした石川一雄さんが、右足を踏み出せるかどうかは、「いま」にかかっています。5月が勝負です。 

   
 いつまで続くのでしょう・・・と、書いた門野裁判長への毎日ハガキが、1月21日の174号で途切れてしまいました。やはり「勧告」で気が緩んでしまったのだと思います。岡田裁判長になったので、再開をとは思うものの、気分に左右されやすいボクは、なかなか流れを掴んでのることができずにいます。「4月まで仕事が忙しくなりそうなので・・・」と書いた174号には、一雄さんには遠く及びませんが、高校の修学旅行以来の、短歌を詠んでみました。

“三度目にたどりついた再審の門  真実解明ことしこそ”

 半世紀にも及ぶ一雄さんの闘いに想いを馳せ、今一度胸に刻み込んでおきたいと思い、書き出してみました。いろいろなことが思い浮かびますし、見えてもきます。


1963年 5月 1日 事件発生
       5月23日 別件逮捕 24才
       6月17日 狭山署から川越署分室へ
       6月23日 「自白」
       7月 9日 起訴・浦和拘置所へ
       9月 4日 浦和地裁 第1回公判 起訴事実認める
1964年 3月11日 浦和地裁 第12回公判 「死刑」判決 内田武文裁判長
       3月12日 控訴
       4月30日 東京拘置所へ移送
9月10日 東京高裁 第1回公判 久永正勝裁判長 「否認」〜「俺は殺していない」
1968年11月14日 第30回公判 「自白」図面の筆圧痕から事実調べ継続。
1969年 1月 7日 津田正良裁判長に
1970年 4月21日 公判再開。井波七郎裁判長
1972年11月28日 井波退官
1973年11月27日 公判再開(寺尾正二裁判長)
1974年 3月22日 寺尾、証人、証拠調べの大部分を却下
       5月23日 第75回公判 事実調べ終了。石川さん、生い立ちを陳述
       9月26日 第81回公判 弁護団、最終弁論
      10月31日 第82回公判 「無期」判決 寺尾裁判長
1976年 1月28日 最高裁へ上告
1977年 8月 9日 上告棄却(第2小法廷 吉田豊裁判長)
       8月30日 再審請求(東京高裁へ)
       9月 8日 千葉刑務所へ移監
1980年 2月 5日 再審請求棄却(第4刑事部 四ッ谷巌裁判長)
       2月12日 異議申し立て
1981年 3月23日 異議申し立て棄却(第5刑事部 新関雅夫裁判長)
       3月30日 特別抗告(最高裁へ)
1985年 5月27日 特別抗告棄却(第2小法廷 大橋進裁判長)
1986年 8月21日 第2次再審請求(東京高裁第4刑事部へ)
1994年12月21日 「仮出獄」 55才 31年7ヶ月ぶりに狭山に戻る
1996年12月21日 早智子さんと結婚
1999年 3月23日 東京高検・会田検事「証拠リスト、未開示証拠ある。ミカン箱7〜8箱、積み上げると2〜3メートルになる」と弁護団に語る。
       7月 8日 第2次再審請求棄却(東京高裁第4刑事部 高木俊夫裁判長)
       7月12日 異議申し立て(東京高裁へ)
2002年 1月23日 異議申し立て棄却(東京高裁第5刑事部 高橋省吾裁判長)
       1月29日 特別抗告
2005年 3月16日 特別抗告棄却(第1小法廷 島田仁郎裁判長)
       9月21日 布川事件、水戸地裁土浦支部が再審開始を決定
2006年 5月23日 第3次再審請求(東京高裁第4刑事部へ)
2007年 1月19日 富山・氷見事件 冤罪発覚
       2月23日 志布志事件無罪判決
       5月23日 第4刑事部に門野博裁判長就任
      10月10日 氷見事件無罪判決
2008年 7月14日 門野裁判長、布川事件の検察側抗告を棄却
      12月24日 東京高裁、足利事件のDNA再鑑定を決定
2009年 5月21日 裁判員制度スタート
       6月 4日 足利事件で菅家利和さんを検察が異例の釈放
       6月23日 足利事件 再審開始決定(東京高裁)
       6月25日 3者協議決定(門野裁判長)
       8月 3日 裁判員裁判はじまる
       9月10日 第1回3者協議
      12月14日 最高裁、布川事件の検察側特別抗告を棄却。再審開始確定
      12月16日 第2回3者協議 東京高裁第4刑事部・門野裁判長、東京高検に8点について開示勧告
2010年 1月25日 岡田雄一前橋地裁所長が東京高裁部統括判事に就任
       2月 6日 門野裁判長退官
       3月20日 豊中集会
       5月12日 直前集会(日比谷野音)
       5月 ?日 第3回3者協議

 2009年は裁判史上に銘記される年になるのではないでしょうか。裁判員裁判もそうですが、足利、布川、狭山で、えん罪が大きくクローズアップされました。
 布川事件の再審が確定した、ということがわかった15日、門野裁判長が狭山にはどういう姿勢をしめすのか不安でした。名張毒ぶどう酒事件の再審開始を覆した人物でしたし、布川に続いて狭山もとは考えられなかったからです。だから16日夜の「勧告がでたらしい」との連絡にはホッとして、「フーッ」とケータイに大きなため息をつきました。

 しかし、東京高検の姿勢はいまだ頑ななままのようですし、岡田裁判長が「まず一部だけですが・・・」をひきついで、残る全証拠の開示を、また、「勧告」を「命令」にして高検に迫るのかを、私たちが迫らなければなりません。

 石川一雄さんがはじめて豊中にきた時、書き残したことばをかみしめたいと思います。

  怒りがあるところに 前進がある。
  忍耐があってこそ 勝利が生まれる。
               1996.11.16
                  石川一雄                  by いしはらびん



東京高等裁判所第4刑事部 岡田雄一裁判長 さま
門野博裁判長が2月6日付けで定年退官し、1月25日付けで東京高裁部統括判事になられた岡田雄一前橋地裁所長が、第4刑事部の新しい裁判長裁判官に就任されたことを、9日に貴職からお聞きしました。この人事に注目しているのは私一人ではなく、全国にそれこそ何百万人もおられるであろうことは間違いありません。
貴職においては現在、狭山事件の第3次再審請求審が係属しており、昨年12月16日に門野前裁判長が東京高検に8点の証拠開示勧告を行ったことはご承知のことと存じます。「勧告」は狭山事件にとっては、46年におよぶその歴史の書き換えに通ずるやもしれず、今後の展開に大きな期待と希望を抱かせるものです。「勧告」を受けた検察も、よもやこれを拒否したりはしないだろうとは思いますが、8点の証拠開示だけでは、狭山事件の真相解明には十分ではありません。そして、それが事実調べや再審開始につながるかどうかも定かではありません。
狭山事件は冤罪であることは、これまでの弁護活動のなかで縷々、詳細に明らかにされておりますが、1974年10月31日の第二審判決公判以来、一度の事実調べも、一人の鑑定人尋問も行われることなく、問答無用の棄却決定が積み重ねられてきました。
司法には石川一雄さんの無実の訴えを受けとめ、狭山事件の真相を解明する責務があります。事実調べおよび鑑定人尋問、残された未開示証拠の開示を行われるよう強く要請するものです。歴史的な「門野勧告」を活かし、賢明な判断をされんことを求めるものです。

2010年2月9日/豊中・狭山事件研究会「ストーン・リバー」


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