豊中・狭山事件研究会「ストーン・リバー」

東京高検は、全ての証拠を開示せよ!東京高裁は、事実調べを行え!

無題

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
5
以上の説示に関する被控訴入らの主張についてみるに,被控訴人らは,常勤館長職制度への体制変更は必要性があったものと主張する。非常勤館長職と常勤館長職とは,それぞれにメリット,デメリットがあるのは当然であり,常勤館長職体制にすることが被控訴人市の方針であったのならば,行政方針としてあり得べき選択である。しかし,現に「すてっぷ」が順調に稼働している中で被控訴人財団の目的推進に励み陣頭指揮をし館長職にあった控訴人に対して体制変更についての意見聴取がなかったのは,最終的には被控訴人市が決定すべき方針であるとはいえ,現館長の控訴人にとって尊厳を傷つけられたものとして不愉快に感じるのは当然で,控訴人が体制変更を進めるうえで排除されたものと考えたことは当然である。
控訴人は平成15年6 9 日,被控訴人財団の運営委員会で,「取扱注意」と書かれた山本第2 次試案(丙21)の交付を受けており(丙25,控訴人本人),そこ
には館長職を常勤化する内容の記載がある。しかし,この試案については控訴人は口頭で説明を受けざっと目を通した程度で山本事務局長に返却しているし,検討段階にすぎないものとしての説明があった程度であり,内容についてあらかじめ説明を受けていた事実はないし,具体的な構想として固まりつつあるものとして説明も受けていない(丙25,控訴人本人)。むしろ,前記1 の(9 2 で認定したように本郷部長が11月8 日の深更にわざわざ,館長常勤職制度移行の件を「すてっぷ」に控訴人を訪ねて伝えたことは,本郷部長としても,控訴人がこの件が具体的な計画として煮詰まってきていたことを知らされないままに推移してきたものと認識していたことを窺わせる。その際には,控訴人が本郷部長らからの説明に対して「残念である。」と述べた事実があり,控訴人は否定するがこの際「仕方ない。」と発言した可能性もある。しかし,仮にその発言がそのままあったとしても,その趣旨は,本郷部長らの説明には,被控訴人財団事務局の体制整備から始まる話題であったのであり,控訴人が来年度の更新がないことまで了解するものとして発言したと認めることはできない。本郷部長が,重大な内容なのに,あいまいでどういう趣旨か一義的に明確でない控訴人のこの発言をとらえて来年度の更新のないことを控訴人が了解したものと理解したということは,控訴人の意向を曲解したものと評価することができるところ,本郷部長がその旨被控訴人財団の理事長に報告していること(証人本郷)は,すなわち,本郷部長が,控訴人を排除しようと積極的に動いていたことを裏付けるものといわなければならない。
以上のように,常勤館長職制度への体制変更が被控訴人財団の事務局ないし被控訴人市の担当者の間で協議されていることが平成15年6 9 日までに控訴人に伝わったことは非公式にはあったかもしれないが,明確に伝わったのはようやくその年の11月8 日においてであった。管理業務に関する制度改革は別としても,館長職自ら現に就いている職の在り方の成行きが,それまでの間に,控訴人から意向聴取がされずに,しかも非公式にしか伝わらなかったことにおいて既に控訴人が不愉快な思いをしたであろうことは,推測に難くない。被控訴人らは,常勤舘長は非常勤館長の後任ではないとも主張し,体制変更後の館長職の候補者を選ぶのに控訴人の意見を聴かなかったことに違法はないとも主張する。しかし被控訴人財団の中核である「すてっぷ」の活動内容を陣頭指揮するのは館長であり,控訴人は積極的にその行動を担ってきたことは前認定のとおりである。その活動内容を,自ら継続して行うのかも含めだれが継承するのかは現職の館長の職務内容として重大関心事であり,被控訴人財団としても重大な関心事である。
山本事務局長として,控訴人の留任運動への影響を懸念して候補者リストを控訴人に知らせなかったとの趣旨の被控訴人らの主張もあるが,この、主張自体,控訴人に候補者リストを隠しておこうという意図が山本事務局長にあったことを裏付けるものといわなければならない。もちろん,本件雇用契約は年単位のものであるから,控訴人としては雇止めのリスクを覚悟すべきであったが,反面においてその実績から次年度も継続して採用されるとの職務上の期待感も有していたものといえるのであり,雇用契約が年単位であるからといって,常勤館長制度への移行期において,その移行内容及び次期館長の侯補者リストについて何らの説明,相談を受けなかったことについては,現館長の職にある者としての人格権を侵事するものであったというべきである。
 
4 共同不法行為及び損害額
上記控訴人の人格権侵害は,少なくとも被控訴人市の本郷部長と,被控訴人財団の山本事務局長の共同行為によるものということができ,被控訴人らは連帯してこれによって控訴人が被った損害の賠償義務がある。
しかして,控訴人の慰謝料としては,一部反対勢力の動きに屈して積極的に動いた上記違法行為の態様に,控訴人が「すてっぷ」の館長に雇用されるまでの経歴,専門的知見と雇用されるに至った経緯,その後の3 年余にわたる館長としての実績などを合わせて酌して,100万円をもって相当とするというべく,さらに,弁護士費用として,50 万円を被控訴人らの不法行為と因果関係のある損害として認める。
 
第4 結論
以上によると,控訴人の本訴請求は,被控訴人らに対し,上記の損害金の各自支払(不真正連帯債務)を求める限度で理由があり,これを認容すべきであるが,その余は失当として棄却すべきものであるから,これと結論を異にする原判決を本判決のとおり変更することとし,主文のとおり判決する(遅延損害金の起算日は不法行為後の日)。
 
大阪高等裁判所第11 民事部
裁判長裁判官 塩月 秀平
裁判官    菊池 徹
裁判官    鈴木 陽一郎

開く コメント(0)

平成22年3月30日判決言渡 同日原本交付 裁判所書記官
平成19年(ネ)第2853号 損害賠償請求控訴事件
(原審・大阪地方裁判所平成16年(ワ)第14236号)
口頭弁論終結日 平成21年5月22日
 
判決
 
主文
 
1 原判決を次のとおり変更する。
2 被控訴人らは各自,控訴人に対し,150万円及びこれに対する平成16年2月25日から支払済みまで年5 分の割合による金銭を支払え。
3 控訴人のその余の請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は,第1,2審を通じ,2分の1を控訴人の負担とし,その余を被控訴人らの連帯負担とする。
5 この判決の第2項は仮に執行することができる。
 
 
事実及び理由
 
第1 控訴の趣旨
第2 事案の概要
第3 当裁判所の判断
 1 本件に至る事実関係
 2 雇止め及び不採用の違法性の有無
3 雇止め及び不採用に至る経緯の違法性
1
控訴人は,豊中市議会議員であった北川悟司や,その配下である増木重夫,あるいは同市議会副議長であり北川議員と同一会派を組む大町裕次議員らのバックラッシュ勢力が,平成14年ころから,控訴人や被控訴人財団に対する中傷,脅迫,虚構の流布などの違法,不当な攻撃を繰り返し仕掛け,被控訴人市において平成15 3 月に予定していた本件推進条例(豊中市男女共同参画推進条例)の上程を阻止する事態に至ったことから,被控訴人市は,北川議員らとの間に,同年9 月に同条例を成立させるのと引換えに,被控訴人財団において顕著な実務をあげていた控訴人を被控訴人財団から排除する合意を交わしたこと,そこで,従前から検討されてきた被控訴人財団の本件組織変更を急ぎ,次年度には控訴人を館長職から排除する方針を確定させたが,控訴人に対しては,その反発と市民の反対をおそれて,組織変更を行うことや,控訴人について館長職の更新を行わず,新館長としても採用しないことを秘して,控訴人の与り知らないところで・控訴人が新館長職を望んでいないという虚偽の情報を意図的に流布し,これを利用しながら被控訴人市の意向に沿う候補者を新館長に就任させることを画策したこと,しかしながら,控訴人が,自己を排除する目的で本件組織変丈が行われることを察知し,新館長職の候補者に応募すると表明するや,採用する意図もないのに,公正さを装うため,控訴人を欺いて選考試験を受けさせ,これを不合格としたことは,控訴人の人間としての尊厳を傷つけ,精神的苦痛を与え,人格的利益を侵害する行為であり,被控訴人らは雇用契約上の債務不履行,あるいは不法行為により,控訴人の損害を賠併すべきであると主張する。
 
2
なるほど,本郷部長は,被控訴人財団を管轄する被控訴人市の人権文化部長として影響力が強く,被控訴人財団の理事長においても,その発音は市長の意向を反映していると理解していたこと,このような本郷部長が選考委員として主導し,そのもとで控訴人が予定どおり選考から排除されたとみる見方はあり得るかもしれない。被控訴人市の事務担当責任者にすぎない本郷部長において候補者に当たったのに反し,控訴人には当たらなかったのはもとより,被控訴人財団理事長にさえ説明を後回しにしている。本郷部長はむしろ,控訴人が候補者とはならない前提でKと接触し,候補者となるよう勧誘して就任内諾を取り付け,このことを被控訴人市の市長にも伝えたものである。結果としてK が館長に選任され,控訴人は選任されなかったものであり,その選考過程に違法とすべき点はないが,被控訴人市の担当者のこれらの動きが影響を及ぼさなかったと断言することはできないし,そもそも本郷部長自身が選考委員に就任したこと自体,公正さを疑わしめるものがある。
しかしながら,選考委員であったYK は,選考ではK が新館長により適任であったことを述べる陳述書を作成している(丙34)。被控訴人らは,被控訴人財団の理事長の決定により控訴人をあえて新館長選考の候補者に加え,被控訴人財団の理事から選任された選考委員は,職種,地位などを考慮して5 名が選任されたものであり,そのうちの一人として被控訴人市の人権文化部長が就任したのも,被控訴人市の被控訴人財団への支援・助言・連携の関係上必要であったとの被控訴人らの主張自体においては不合理な点はないから,選考委員による選考及びその結果は,次に説示するような,K と接触して候補者としての内諾を得るなどした,同人の次期館長就任に向けての本郷部長などの動きを,結果的に浄化したものと評価するのもやむを得ない。
 
3
他方で,前認定の事実によると,被控訴人財団の館長職を非常勤の嘱託職員から常勤のプロパーに転換する組織変更については,おそくとも山本第1 次試案が提出された平成14年8 月以前から,他の構想とともに検討されており,そのころの北川議員らの攻撃を考慮しても,もともと控訴人を排除する目的のもとに,その検討が行われていたとは必ずしもいえないし,そのような組織変更について,当時から必要性,合理性あるいは緊急性があったことは否定しきれない。
しかし,前認定の事実及び弁論の全趣旨によると,おそくとも平成14年3 月ころから,被控訴人市や市議会の内外で,控訴人や被控訴人らに対する,控訴人の行動に反対の勢力による組織的な攻撃が行われており,その方法は,直接に反抗することのできない被控訴人らの職員に畏怖感を与えるような行動に出たり,嫌がらせを行ったり,虚偽に満ちた情報を流布して市民を不安に陥れたりするなど,陰湿かつ執であったところ,次に説示する各事情を踏まえると,市議会において与党会派に属し,市長や市議会に対しても横暴な行動をもって一定の影響力を有する北川議員を中心にした活動があったことや,平成15年3 月に予定されていた本件推進条例が上程そのものを阻止されて成立をみなかったことから,被控訴人市や本郷部長においては,同年9 月の次期市議会では,同被控訴人の面目をかけてその制定を図らねばならないとの思惑により,上記勢力を宥める必要に迫られていたことはある程度推測されるところである。結局のところ,被控訴人財団における男女共同参画推進の象徴的存在であり,その政策の遂行に顕著な成果を上げていた控訴人を被控訴人財団から排除するのと引換えに条例の態決を容認するとの合意を,北川議員らの勢力と交わすに至っていたものとの疑いは完全に消し去ることはできない。少なくとも,本郷部長らがK と接触して候補者の内諾を得たのは,あってはならないところを一部勢力の動きに屈しむしろ積極的に動いた具体的行動であったということができる。
すなわち,本件においては,北川議員が,「すてっぷ」に対する攻撃を続けながらも,同年9 月開会の市議会において,条例制定に反対する討論を延々と行ったにもかかわらず,議決にあたって一転して賛成に回り,同条例案が議決されるに至ったという不自然な流れとともに(なお,その後も北川議員は控訴人ほかに対し示威的行動に及んでいることは,前認定のとおりである。),本郷部長や山本事務局長らは,本件推進条例が議決されるや,中断していた被控訴人財団の組織変更の検討を急ぎ再開し,同年10月中旬までに,「すてっぷ」の非常勤館長を廃し,プロパーによる常勤館長を置く(すなわち,控訴人を現館長につき雇止めとし,新館長にも採用しないで,控訴人を被控訴人財団から排除する)という組織変更を行う意思を固め,また,この間,山本事務局長が単なる世間話の中で,控訴人から「常勤による館長への就任は無理である」との片言を引き出したのに乗じ,本郷部長において,人権文化部の資料を利用し,控訴人を外した新館長の候補者リストを作成し,同月20日に組織変更及び候補者リストからの新館長の選任,及びこれに伴う予算措置について市長の内諾を得て,平成15年2 1 日に,被控訴人財団の臨時理事会を開催させて同案を確定させたとの事実関係の流れがあることが明らかである。
そうして,本郷部長,武井課長及び山本事務局長は,おそくとも平成15年11月11日から,新館長の候補者に対する打診を開始し,3 人目又は4 人目の候補者であったK に対し,同人が控訴人において新館長に就任する意思があるときは自らはその就任を固辞する意思を有していることを了知しながら,控訴人にそのような意思はないと告げて,同年中にK に就任の内諾をさせた上,上記理事会の開催までの間に,K を事実上,新館長に就任させようと企図したものの,控訴人を館長として留任させようとする市民の動きがみられ,同時に上記勢力の動きを感じ取っていた控訴人が新館長への就任の意思を表明するに至ったため,選考試験を実施することとなったこと,しかし,被控訴人市においては,控訴人が新館長に選考されれば,一部勢力の勢いを止められないこととなって,さらなる攻撃を受けることが必定となるばかりか,他方の候補者であるK については,寝屋川市男女共同参画推進センターの事務局長を務めていたところを,本郷部長らの強い要請により,同市の了解のもとに,同職を辞任させて新館長に就任することを応諾させた経緯からして,同人を新館長にしないことには,同人や同市に対する背信行為となり,いずれにせよ,本郷部長のみならず,被控訴人市の市長も政治責任を問われかねないことを懸念し,K の新館長就任実現に向けて動いたものであることも,前認定の事実から窺うことができる。
 
4
このような動きの中での控訴人の立場をみると,当時一部勢力による控訴人への攻撃活動が繰り返されていた中で,控訴人が館長として継続して就任していられるかどうかは,重大な関心事であったのは当然であり,上記攻撃活動が被控訴人ら関係者に対してされている中ではなおさら,被控訴人ら関係者から,館長職の在り方や候補者いかんについてその都度説明を受けてしかるべき立場にあったというべきである。職域内のローテーションで配置された職員や従業員とは異なり,特定の職に就くものとして応募採用され,就任後は,専門的知見や経験,知名度そして内外の人脈を生かして幅広く質の高い初代の館長職をこなしてきた控訴人として,「すてっぷ」の組織の在り方,次期館長候補者(自己を含む)について情報を得て,協議に積極的に加わり自らの意見を伝えることは,現館長職にある立場にあってみれば当然にあるべき職務内容として与えられるべきであるか取るべき態様ないし行動であって,これをないがしろにし,さらには控訴人の意向を曲解して行動する被控訴人ら担当者の動きがあった場合には,控訴人の人格権を侵害するものといわなければならない。
本件雇止め及び本件不採用について,産用契約における債務不履行又は不法行為があったということはできないものの,上記のように,被控訴人財団の事務局長及び同被控訴人を設立し連携関係にある被控訴人市の人権文化部長が,事務職にある立場あるいは中立的であるべき公務員の立場を超え,控訴人に説明のないままに常勤館長職体制への移行に向けて動き,控訴人の考えとは異なる事実を新館長候補者に伝えて候補者となることを承諾させたのであるが,これらの動きは,控訴人を時期館長職には就かせないとの明確な意図をもってのものであったとしか評価せざるを得ないことにも鑑みると,これらの動きにおける者たちの行為は,現館長の地位にある控訴人の人格を侮辱したものというべきであって,控訴人の人格的利益を侵害するものとして,不法行為を構成するものというべきである。

開く コメント(0)

再審請求以来はじめて三者協議が開催され、12月16日の第2回三者協議で、門野裁判長は、検察官にたいして8点の証拠開示の勧告をおこないました。しかし、開示勧告から4ヶ月になろうとするいまも、東京高検からは証拠開示も回答もありません。
5月13日には、岡田雄一・新裁判長のもとで第3回三者協議がひらかれ、大きなヤマ場をむかえます。何としても勧告された証拠開示を実現し、さらに、東京高裁に事実調べをおこなわせなければなりません。
狭山事件発生から47年、確定判決から35年以上が経過しながら、一度も事実調べがおこなわれていないことの不当性、不公平を強く訴えて、さらに世論を大きくしていく必要があります。
とりわけ、さる3月26日には、足利事件で再審無罪判決が出され、さらに、昨年12月に再審開始決定が確定した布川事件の再審公判がこの夏から始まります。また、4月5日には、「名張毒ぶどう酒事件」の第7次再審で、最高裁が審理を名古屋高裁に差し戻し、再審への期待が高まっています。足利、布川では、事実調べと証拠開示が再審開始の突破口になりました。足利、布川の教訓を活かし、「つぎは狭山だ!」という声を大きくしていかなければなりません。
次回三者協議にむけて、5月12日に下記の通り、実行委員会主催での市民集会を開催されます。
 
                                                              記
 
日時:2010年5月12日(水)午後2時〜3時30分(集会後デモ)
※午後1時30分から2時前段コンサート
会場:東京・日比谷野外音楽堂(地下鉄「日比谷」下車)
主催:狭山事件の再審を求める市民集会実行委員会
名称:狭山事件の再審を求める市民集会
〜足利、布川そして狭山へ〜東京高裁は事実調べ・再審開始を!
規模:4000人
内容:足利事件、布川事件などえん罪当事者からのアピール
三者協議にむけた弁護団報告(証拠開示の状況と今後の闘い)
 

開く コメント(0)

狭山事件再審 さいたまで支援集会 菅家さんも参加し握手


狭山事件の冤罪を訴える集会で握手する石川一雄さん(左)と、足利事件で無罪が確定する予定の菅家利和さん=10日午後、さいたま市浦和区
 1963年5月1日、狭山市内で女子高生が殺害された狭山事件で、部落差別による冤罪(えんざい)を訴える石川一雄さん(71)=仮出獄中=が請求している第3次再審を目指す埼玉集会(部落解放同盟県連など主催)が10日夜、さいたま市内で支援者約300人が参加して開かれた。
 同事件では昨年暮れ、東京高裁・高検・弁護団の3者協議で、高裁が高検に殺害現場の血痕検査など8項目にわたる証拠開示を勧告、弁護団は再審への第一歩としている。
 同県連の片岡明幸委員長は「長い闘争だったが、光がやっと射してきた。次回5月中旬の3者協議までに高検が必ず証拠を開示する運動を強めよう」と呼び掛けた。
 石川さんは「検察は隠すことなくすべての証拠を出し、事実調べをしてほしい。そうすれば私の無実は明らかになる」と訴えた。1990年に栃木県足利市で女児が殺害された足利事件で、再審無罪が確実となった菅家利和さんも参加。自分の体験を話し、石川さんとがっちり握手を交わして励ました。

開く コメント(0)

レッドカーペットに左足を下ろした石川一雄さんが、右足を踏み出せるかどうかは、「いま」にかかっています。5月が勝負です。 

   
 いつまで続くのでしょう・・・と、書いた門野裁判長への毎日ハガキが、1月21日の174号で途切れてしまいました。やはり「勧告」で気が緩んでしまったのだと思います。岡田裁判長になったので、再開をとは思うものの、気分に左右されやすいボクは、なかなか流れを掴んでのることができずにいます。「4月まで仕事が忙しくなりそうなので・・・」と書いた174号には、一雄さんには遠く及びませんが、高校の修学旅行以来の、短歌を詠んでみました。

“三度目にたどりついた再審の門  真実解明ことしこそ”

 半世紀にも及ぶ一雄さんの闘いに想いを馳せ、今一度胸に刻み込んでおきたいと思い、書き出してみました。いろいろなことが思い浮かびますし、見えてもきます。


1963年 5月 1日 事件発生
       5月23日 別件逮捕 24才
       6月17日 狭山署から川越署分室へ
       6月23日 「自白」
       7月 9日 起訴・浦和拘置所へ
       9月 4日 浦和地裁 第1回公判 起訴事実認める
1964年 3月11日 浦和地裁 第12回公判 「死刑」判決 内田武文裁判長
       3月12日 控訴
       4月30日 東京拘置所へ移送
9月10日 東京高裁 第1回公判 久永正勝裁判長 「否認」〜「俺は殺していない」
1968年11月14日 第30回公判 「自白」図面の筆圧痕から事実調べ継続。
1969年 1月 7日 津田正良裁判長に
1970年 4月21日 公判再開。井波七郎裁判長
1972年11月28日 井波退官
1973年11月27日 公判再開(寺尾正二裁判長)
1974年 3月22日 寺尾、証人、証拠調べの大部分を却下
       5月23日 第75回公判 事実調べ終了。石川さん、生い立ちを陳述
       9月26日 第81回公判 弁護団、最終弁論
      10月31日 第82回公判 「無期」判決 寺尾裁判長
1976年 1月28日 最高裁へ上告
1977年 8月 9日 上告棄却(第2小法廷 吉田豊裁判長)
       8月30日 再審請求(東京高裁へ)
       9月 8日 千葉刑務所へ移監
1980年 2月 5日 再審請求棄却(第4刑事部 四ッ谷巌裁判長)
       2月12日 異議申し立て
1981年 3月23日 異議申し立て棄却(第5刑事部 新関雅夫裁判長)
       3月30日 特別抗告(最高裁へ)
1985年 5月27日 特別抗告棄却(第2小法廷 大橋進裁判長)
1986年 8月21日 第2次再審請求(東京高裁第4刑事部へ)
1994年12月21日 「仮出獄」 55才 31年7ヶ月ぶりに狭山に戻る
1996年12月21日 早智子さんと結婚
1999年 3月23日 東京高検・会田検事「証拠リスト、未開示証拠ある。ミカン箱7〜8箱、積み上げると2〜3メートルになる」と弁護団に語る。
       7月 8日 第2次再審請求棄却(東京高裁第4刑事部 高木俊夫裁判長)
       7月12日 異議申し立て(東京高裁へ)
2002年 1月23日 異議申し立て棄却(東京高裁第5刑事部 高橋省吾裁判長)
       1月29日 特別抗告
2005年 3月16日 特別抗告棄却(第1小法廷 島田仁郎裁判長)
       9月21日 布川事件、水戸地裁土浦支部が再審開始を決定
2006年 5月23日 第3次再審請求(東京高裁第4刑事部へ)
2007年 1月19日 富山・氷見事件 冤罪発覚
       2月23日 志布志事件無罪判決
       5月23日 第4刑事部に門野博裁判長就任
      10月10日 氷見事件無罪判決
2008年 7月14日 門野裁判長、布川事件の検察側抗告を棄却
      12月24日 東京高裁、足利事件のDNA再鑑定を決定
2009年 5月21日 裁判員制度スタート
       6月 4日 足利事件で菅家利和さんを検察が異例の釈放
       6月23日 足利事件 再審開始決定(東京高裁)
       6月25日 3者協議決定(門野裁判長)
       8月 3日 裁判員裁判はじまる
       9月10日 第1回3者協議
      12月14日 最高裁、布川事件の検察側特別抗告を棄却。再審開始確定
      12月16日 第2回3者協議 東京高裁第4刑事部・門野裁判長、東京高検に8点について開示勧告
2010年 1月25日 岡田雄一前橋地裁所長が東京高裁部統括判事に就任
       2月 6日 門野裁判長退官
       3月20日 豊中集会
       5月12日 直前集会(日比谷野音)
       5月 ?日 第3回3者協議

 2009年は裁判史上に銘記される年になるのではないでしょうか。裁判員裁判もそうですが、足利、布川、狭山で、えん罪が大きくクローズアップされました。
 布川事件の再審が確定した、ということがわかった15日、門野裁判長が狭山にはどういう姿勢をしめすのか不安でした。名張毒ぶどう酒事件の再審開始を覆した人物でしたし、布川に続いて狭山もとは考えられなかったからです。だから16日夜の「勧告がでたらしい」との連絡にはホッとして、「フーッ」とケータイに大きなため息をつきました。

 しかし、東京高検の姿勢はいまだ頑ななままのようですし、岡田裁判長が「まず一部だけですが・・・」をひきついで、残る全証拠の開示を、また、「勧告」を「命令」にして高検に迫るのかを、私たちが迫らなければなりません。

 石川一雄さんがはじめて豊中にきた時、書き残したことばをかみしめたいと思います。

  怒りがあるところに 前進がある。
  忍耐があってこそ 勝利が生まれる。
               1996.11.16
                  石川一雄                  by いしはらびん



東京高等裁判所第4刑事部 岡田雄一裁判長 さま
門野博裁判長が2月6日付けで定年退官し、1月25日付けで東京高裁部統括判事になられた岡田雄一前橋地裁所長が、第4刑事部の新しい裁判長裁判官に就任されたことを、9日に貴職からお聞きしました。この人事に注目しているのは私一人ではなく、全国にそれこそ何百万人もおられるであろうことは間違いありません。
貴職においては現在、狭山事件の第3次再審請求審が係属しており、昨年12月16日に門野前裁判長が東京高検に8点の証拠開示勧告を行ったことはご承知のことと存じます。「勧告」は狭山事件にとっては、46年におよぶその歴史の書き換えに通ずるやもしれず、今後の展開に大きな期待と希望を抱かせるものです。「勧告」を受けた検察も、よもやこれを拒否したりはしないだろうとは思いますが、8点の証拠開示だけでは、狭山事件の真相解明には十分ではありません。そして、それが事実調べや再審開始につながるかどうかも定かではありません。
狭山事件は冤罪であることは、これまでの弁護活動のなかで縷々、詳細に明らかにされておりますが、1974年10月31日の第二審判決公判以来、一度の事実調べも、一人の鑑定人尋問も行われることなく、問答無用の棄却決定が積み重ねられてきました。
司法には石川一雄さんの無実の訴えを受けとめ、狭山事件の真相を解明する責務があります。事実調べおよび鑑定人尋問、残された未開示証拠の開示を行われるよう強く要請するものです。歴史的な「門野勧告」を活かし、賢明な判断をされんことを求めるものです。

2010年2月9日/豊中・狭山事件研究会「ストーン・リバー」

開く コメント(0)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事