| 豊岡市内の城下町といえば、大半の方が「出石」を想像するじゃろうが、 |
| 実は、豊岡市街地も城下町だったんじゃよ! |
| たしかに、全国66カ国のうち、六分の一となる11カ国を統治し、 |
| 「六分の一殿」と称えられた山名一族の本拠地である出石と比べると、 |
| 地味な印象は拭えんのじゃが、 |
| 豊岡も、最盛期は三万五千石を数える城下町だったんじゃよ! |
| では、この豊岡の城下町、誰が礎を築いたか知っとんなるか? |
| それはな… |
| 宮部継潤という人なんじゃよ! |
| 宮部継潤は、豊臣秀吉公の配下でな、中国攻めの最前線を任された武将で、 |
| 「雄は韓信に過ぎ、籌は張良を越え、文武兼備、名実相当」 |
| と称えられた名将なんじゃよ。 |
| ん? どういう意味かとな? そうじゃな、簡単に説明すると、 |
| 「漢の名将、韓信と張良を上回る文武両道のすごい武将」という意味じゃ。 |
| まあ、それはさすがに褒めすぎじゃと思うが、 |
| 秀吉公の信頼厚い側近の名将じゃよ。 |
| この宮部継潤によって、城下町としての豊岡の基礎が築かれたんじゃよ! |
| ▲宮部継潤による治世は、僅か2年じゃったが、善政を敷いて領民から慕われたため、 |
| 市内の「御霊神社」に、神様として祀られておってな、 |
| 毎年5月10日に、神事が営まれておるんじゃよ! |
| ▲市内の愛宕山にある鶴城跡から見た豊岡の市街地。 |
| 写真の右側中央にある小さな山が、豊岡城(亀城)のあった神武山じゃよ。 |
| 神武山は、今は桜の名所になっておるんじゃよ! |
| ▲鶴城跡は、あまり知られていないが、 |
| 山名四天王の一人に数えられた田結庄氏の居城だったんじゃよ。 |
| 山頂は見晴らしがええ上に、曲輪や土塁が残っており、 |
| 15分ぐらいで気軽に登ることができる隠れた観光スポットじゃよ! |
| というわけで、今日は、あまり知られていないがお勧めできる、 |
| 豊岡の魅力について触れてみたでぇ!! |
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