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「オレの酌では、酒が飲めないというのか」と言う言葉が宴席で罷り通っていた時代に、月刊誌「現代詩手帳」には時たまであったが、「詩学」の投稿欄には毎月のように新人作品として私の詩が掲載されるようになると、成人したばかりの生意気盛りの私は、すっかり有頂天になって、反逆精神がなければ詩人でない、と勝手に思い込んで、文学仲間と酒を飲みひとり粋がっていた。
全国区の詩の雑誌に作品が載ることで私の名前は知られ、私はそのおかげでO氏と出会った。私の父親と同じぐらいの年のO氏は、誰が見ても間違うことのない、いわゆる芸術家の風貌をしていた。50代のO氏は、かつて高校の先生をしていた時に、バスケットボール部の顧問をしていてH高校を全国大会に出場させたことがあり、また県美術展の創始者のひとりとして知られる地元の文化人であった。
O氏が詩集「O詩集」を東京の出版社から発行したのは知り合ってから十数年後、私は三十代になっていた。そのO氏の出版記念会に出席して、末席で、地元の先輩詩人や文化人の祝辞を聞いているうちに、苛立ってきて、その気持ちを抑えるために酒を飲み、式典が終わるころには酒に飲まれていた。
「私の酌する酒は、先生、飲めないというのですか」「小役人が、学校の先生が、大学教授なんかに、詩がわかってたまるか」「仲間同士で褒めあって楽しいですか」と相手構わず酌をしながら喧嘩を売り歩いた。特に大学教授のI氏にはしっこく絡まって、50人の出席者全員の顰蹙を買った。堪りかねた私の同人誌の仲間につまみ出されたところまでは、なんとなく覚えているが、その後の記憶が全く残っていない。
私は、自分が大学に行けなかったことで(高校を卒業しただけでも良しとした時代であったが)、また自分の職業が見つからず、定職につけずに職を転々としていたので、世間で言われている立派な職についている人を見ると、酒に飲まれて、アル中(アルコール依存症)特有の精神症状の一つである嫉妬妄想が現れたのだ。私は詩人失格で、立派なアル中なのだ。酒を飲んで、社会的迷惑、いわゆる問題行動を起こしたことは、病気なのだ。
病気ならば、病気を治さなければ生きていけない。私は病気を治すために、自分に誓った、詩人気取りはやめること。公の場では酒を飲まないこと。これは、三度の飯より酒好きな私には無理だ。ではどうしたらいいか。公の場、例えば職場の忘年会、新年会、友達の結婚式等々に出席しないことだ。
誓いを立てて十数年、私は変人と言われようと何を言われようと誓いを守り通した。アル中と言う言葉が、アルコール依存症と言われるようになったころ、私の病気は自然に治っていた。O氏の知遇を得て二十数年後に、O氏の骨折りで、職業に貴賤はないが、四十代になって恥ずかしくない定職に就くこともできた。
しかし、私はこの間も毎日、酒は飲んだ。酒は酒場で一人酒か、心を許しあった友と飲むか、それ以外は晩酌で我慢した。酒に飲まれそうな場を避けることで、断酒せずになんとかもちこたえ、社会的迷惑をかけずに生きてきた。
六十代になった今では公の場に出ても、酒を楽しむことができるようになったが、長年の常習飲酒で肝機能に異常をきたし、酒が止められないならば、ホームドクターに、一日一合以内にするよう言われている。しかし肝硬変になっても私は酒は止められずに、死ぬまで、自分に合った適量を飲むだろう。幸いにして年のせいだろうか、酒に弱くなり酒量が落ちてきた。
社会的迷惑さえかけなければ、問題行動を起こさなければ、酒は百薬の長。私はそのおかげで、自死することもなく生きることができた。
百薬之長を賞味できるようになるのは、時間の問題だ。年を取ることは、素晴らしいことなのだ。
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