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詩による自分史 13

 目覚めの季節

中学二年生になった頃から
何故かクラスの女の子のことが
気になりだした
その中でも特にS子の存在を
意識するようになった

S子はおさげ髪をした
こけしのような顔立ちの
成績優秀な女の子で
クラスで彼女に関心のない子は
一人もいなかった

男の子にとってS子はマドンナだった
そのS子の父親が朝鮮人だという
根も葉もないうわさが広がったのは
M男とS子の仲が
うわさされるようになってからだ

M男とS子に嫉妬しながら
性の匂いのする感情を抱きながら
私は二学期末の試験に臨んだ
英・数・理・国の試験はいつも
百点に近い成績であったが
社会科だけは平均八十点位しか取れなかった

社会科のY先生は
まだ二十代の若い女の先生で
こんな姉がいたらいいなと
総領の甚六の私はそんな気持ちで
思いを寄せていた

私はその社会科の試験で
白紙答案を出した
何もかも腹立たしく
何かに抵抗し反抗したい衝動の答えが
白紙答案だった

父は学校に呼び出され
父と同じ年ごろのクラス主任と老校長先生に
「高校、大学で白紙答案を提出する生徒がいることは
長年教師をやっていて聞いたことがありますが
中学生では初めてではないかと思います」
と言われて帰ってきた

「それくらいのことができなければ
男でない」
と行商人の父は怒るでもなくほめるでもなく
私につぶやいた

私は二年生最後の
期末試験で
社会科では初めて満点を取った
社会科の先生は私を教務室に呼んで
「ありがとう」と言った

それを機に私は
女嫌いになり
そのまま中学三年生に進級した

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詩による自分史 12

  この私が級長に選ばれた

中学一年生になって
一学期の初めての学力テストで
S君のいじめられっ子であった私が
劣等生から優等生に変身してしまったので
いじめっ子のS君は君子のように豹変し
私の引き立て役を買って出た

一学期の級長は
学校側が選んだA君であった
彼はハンサムなスポーツマンで
クラスの人気者であったが
学力テストの成績は、何故か
私のほうが彼より数段上であった

二学期の級長は
選挙で選ぶことになり
A君は自ら進んで立候補した
S君は私に無断で
私を立候補者に仕立てて
私の選挙運動を買って出た

S君の強引な選挙運動の結果
小差で私が級長に選出されてしまった
九月の残暑の厳しい日であった
選ばれた私はパニックになって
昼食も食べずにそのまま学校を飛び出し
学校の裏手の砂浜で
小便をちびりながら波の音を聞いていた

どれくらいの時間が経過したであろうか
学校に戻ると大騒ぎになっていた
「授業をさぼって
どこへ行っていたのだ
長年先生をやっているが
中学一年生が授業をさぼったのは
君が初めてだ」

学級主任のK先生の提案で授業は中止になり
急遽、クラス会が開かれ
S君を除く全員から
級長失格の烙印を私は押され
次点のA君が
めでたく級長に収まった

S君とA君と私はこれを機に
本当の意味での親友になり
内気な小心者の私は
S君とA君の影響で
自分の考えを人前で言える
人間になることができた
本当の意味での私の中学時代が始まった

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詩による自分史 11

  この私が優等生になった?

昭和28年4月
私は中学生になった

小学校時代の成績は
百点満点で評価すれば
六十点といったところであったが
ベーゴマ、ビーダマ、メンコ遊びは
誰にも負けなかった

ベーゴマ、ビーダマ、メンコ遊びは
勝てば相手のものを奪い
負ければ奪われるという賭け事で
学校からは禁止令が出ていたが
おとなの目を盗んで
子供たちは熱中した

戦利品の私の
ベーゴマ、ビーダマ、メンコの
山を見て、父は私を褒めた
「何でもいい、これだけは
人様に負けないものがあれば」

そんな私であったが
中学に入学してすぐに
一年生全員に行われた学力テストで
一番から三十番までの生徒名が
成績順に貼り出されたことで
私は優等生になってしまった

七番目に私の名前がある
と教えてくれたのはS君だった
S君は小学校からの同級生で
私はS君のいじめに
いつも泣かされていた

そんなS君から私を守ってくれたのが
やはり小学校からの同級生のK君だった
そのK君が、S君の言うことは本当だ
というので、恐る恐る
廊下の壁に張り出された成績表を見た

級長のK君が八番で
S君の名前はなっかたが
この私が一年生全員三百人中の
七番目の成績であったとは
信じられないが、事実であった

S君のいじめがそれをきっかけになくなり
本当の春が私に来た

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詩による自分史 10

   私はいじめられっ子だった

「この問題の
答えがわかる人は
手を挙げてください」
黒板を指差し
先生は言った

私は答えを知っていても
引っ込み思案で
6年間、一度も自分から
手を挙げることが出来なかった
内気な生徒だった

「4月からは
皆さんは中学生です
これが小学校時代の
最後の試験です」

その当時は
それが当たり前であったが
ガリ版刷りの問題用紙を
先生は、50数人の生徒一人一人の
机に配って歩いた

試験が終わって数日後
晴れた日であった
私は教務室に呼ばれた
先生の顔はやさしかった

「試験問題の答えが
間違っていところまで
S君にそっくりなのは
どいうことですか」

「君が盗み見したと
S君は言っていますが本当ですか」
「僕は盗み見なんかしていません」
「S君が盗み見したのですね」
「わかりません」

S君と私の机は並んでいた
S君は私より成績がよく
それでいて番長的な存在であったが
私がS君に従おうとしないので
何かにつけて私をS君はいじめた

例えば、授業中に
先生にわからないように
私の鉛筆を取り上げたり
私のノートに悪戯書きをしたりして
S君は私をいじめた

私はそのことを一度も
両親に言ったこともなく
また先生に話すことなどできない
内気な生徒だった

「盗み見したのは自分でない」
盗み見したのはこの私だと
S君はクラス中に言いふらした
S君の言葉を信じたのか
それを否定するものは誰もいなかった

しかし、私は信じている
先生は盗み見したのはS君だと
知っていて私を教務室に呼んだのだと
何故なら、最後の試験は70点で
私にふさわしい出来だったからだ

そして私は
昭和28年3月
いじめられっ子のまま
小学校を卒業した

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詩による自分史 9

  告白しますので、お許しください

貧乏という言葉が
まだ死語でなかった
昭和20年代
私は小学生だった

そのころの下町の
庭のある家の多くには
イチジク、ザクロなどの
実のなる木が植えられていた

男の子の遊びといえば
パッチ、ビー玉、ベイゴマが
流行の遊びだった
その遊び仲間に隣近所の
春ちゃん、正ちゃんがいた

三人はクラスは別々であったが
放課後はいつも一緒で、時には
よその家のイチジク、ザクロの実など
無断で失敬する悪さもした

運悪く家の人に見つかって
「こら、泥棒するのは
どこの家のガキだ」
と怒鳴られて逃げるのがこれまた
スリルがあってたまらなかった

あるとき、今となっては
どういういきさつで
あんなことをしてしまったのか
忘れてしまったが
万引きをしてしまったのだ

学校の通り道に
普通の住宅の一階に
文房具屋ができた
その店のおばさんの目を盗んで
三人で万引きをしてしまったのだ

春ちゃんは鉛筆一本
正ちゃんは鉛筆削り
私は消しゴム一個を
万引きしてしまったのだ

貧乏で買えなかったからではない
イチジク、、ザクロの実を失敬すると
同じ感覚で、万引きしてしまったのだ
やってしまってから怖くなって三人で
万引きした品物をどぶに捨てた

そのことがきっかけとなって
何となくお互いに気まずくなり
小学校を卒業するころには
仲良し三人組は
自然解消してしまった

それから20年ほどが経過した頃
春ちゃんは県庁の役人になり
正ちゃんは銀行員になって
結婚したということを私は
風の便りで知った

私はと言えば
そのことを胸にしまい込んだまま
売れない詩を書きながら
職を求め歩いていた

そして、そのことを知らないまま
平成になって、父も母も他界してしまった
せめて両親にだけはそのことを話して
謝るべきだったと自責の念に駆られながら
67歳の今を私は生きている

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