飯田トレーナーの「ボクシングあれこれ」

ボクシングに関する話題を思うがままに書きたいと思います

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ナジーム・ハメド。1974年生まれ。元WBO、IBF、WBC世界フェザー級チャンピオン。
イングランドのシェフィールド出身だが両親はイエメン人。幼少時、町で喧嘩しているところをブレンダン・イングルに見出されボクシングを始める。
アマチュアを経験した後、1992年プロデビュー。
1995年、スティーブ・ロビンソンに8R TKO勝ちでWBO世界フェザー級タイトルを獲得。
1997年、IBF世界フェザー級チャンピオン、トム・ジョンソンに8R TKO勝ちでIBFタイトル獲得。
1998年 WBA世界フェザー級チャンピオン、ウィルフレド・バスケスに7R TKO勝ちしたがバスケスは WBAタイトルを返上して試合に臨んでいた。
1999年、セサール・ソトに判定勝ちしWBC世界フェザー級タイトルを獲得。
2001年、マルコ・アントニオ・バレラとの試合に判定負けでプロ初黒星。その後、再起戦が予定されていたがアメリカ同時多発テロが起こりアラブ系人物へのイメージが悪化したため中止となった。
2002年、マヌエル・カルボに判定勝ちしたがその試合を最後にリングに上がっていない。
ハメドと言えばその独特のファイトスタイルで注目を集めた。
ノーガードで身体を柔らかく使いスウェーバックをしながらカウンターを打つ。
その身体のバネを生かしたパンチは威力抜群で36戦中31 KOを記録している。
入場も独特で踊りながらあるいは絨毯やブランコに乗ってリングに近づきトップロープの上を一回転して入場するというものだった。
唯一の敗戦を喫したバレラ戦では入場の際液体をかけられたせいで手が滑るのか普通にくぐって入場した。
こんなボクサーはもう現れないだろう。

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アルフォンソ・サモラ。1954年生まれ。元 WBA世界バンタム級チャンピオン。
1972年、17歳で出場したミュンヘンオリンピックでは銀メダルを獲得。アマチュア戦績は54勝45 KO.RSC1敗。
1973年プロデビュー。1975年、20戦全勝全 KOで WBA世界バンタム級チャンピオン洪秀煥に挑戦。4R KOで弱冠20歳にして王座獲得となった。
このタイトルを後の名チャンピオン、エウセビオ・ペドロサや洪秀煥との再戦を含めて5度防衛。
1977年、かつて同門で名前の頭文字をとってZボーイズと呼ばれ人気を博していたカルロス・サラテとノンタイトル戦で対戦。この時の戦績は、サモラ29戦全勝全 KO、サラテは45戦全勝44 KOというものだった。このファンの注目を集めた対決は1、2Rは互角の打ち合い展開したものの徐々にサラテの技術が上回り3R終了間際にはコンビネーションでサモラがダウン。さらに4R開始早々に再びダウンを奪われさらにダウンを追加され TKO負け。初の敗北を喫した。
この敗戦を機にサラテは精彩を欠き始め1977年の6度目の防衛戦ではホルヘ・ルハンに10R KO負けで王座陥落。
その後も肝心な所で負けてタイトル奪還はならず1980年にリゴベルト・エストラーダに3R TKO負けを喫するとこの試合を最後に26歳で引退した。

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フリッパー上原。1952年生まれ。元日本フェザー級チャンピオン。本名は上原晴治。
元 WBA世界ジュニアライト級チャンピオン上原康恒の実弟。
日大1年代時の全日本アマチュアボクシング選手権でフェザー級優勝。
大学を3年で中退しプロになり1973年ロスアンゼルスでプロデビュー。ロスアンゼルスで4戦4勝し5戦目で日本デビュー。
1974年、後のWBC世界ジュニアフェザー級チャンピオン、リゴベルト・リアスコと対戦し10R判定負け。
1975年、12戦目で日本フェザー級チャンピオン牛若丸原田に挑戦し判定勝ちで日本タイトルを獲得した。
1976年、15戦目でWBC世界フェザー級チャンピオン、デビッド・コティに敵地アクラで挑戦。11R TKO負けで王座獲得ならず。
1977年、地元沖縄で WBA世界フェザー級チャンピオン、ラファエル・オルテガに挑戦。15R判定負けでまたもタイトル獲得に失敗しこの試合を最後に引退した。

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チャッチャイ・サーサクン。1970年生まれ。元WBC世界フライ級チャンピオン。
ソウルオリンピックに出場も準々決勝で敗れる。
1991年8月、プロデビュー。
1995年無敗のまま東京で当時のチャンピオン勇利アルバチャコフに挑むが判定負け。タイトル獲得ならず。
1997年5月、タイで勇利の怪我による長期休養により設けられた暫定王座の決定戦に出場。イサイアス・サムディオに12R判定勝ちで暫定タイトルを手に入れた。同年11月札幌で正規王者勇利アルバチャコフと王座統一戦を行い判定勝ち。正規王者となった。
1998年12月、マニー・パッキャオに8R KO負けで王座陥落した。

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オスカー・デラ・ホーヤ。1973年生まれ。バルセロナオリンピック、ライト級金メダリスト。プロでは史上初の6階級制覇を達成した言わずと知れたゴールデンボーイ。
アマチュア通算戦績は234勝163 KO.RSC6敗。6敗のうちの2敗はシェーン・モズリーだそうだ。プロでも2戦2敗だから相性が悪かったのだろう。
このモズリー、パーネル・ウィティカー、アイク・クォーティ、フェリックス・トリニダード、フェルナンド・バルガス、バーナード・ホプキンス、フロイド・メイウェザー、マニー・パッキャオなど錚々たるメンバーと拳を交えた。
他にも晩年ではあったがフリオ・セサール・チャベスやミゲル・アンヘル・ゴンザレス、ラファエル・ルエラス、ヘナロ・エルナンデス…。

負けることもあった。しかしそれはその時ファンが見たい強敵との試合をしていたということだろう。






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