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坂田健史。1980年生まれ。元 WBA世界フライ級チャンピオン。
1999年、全日本フライ級新人王を獲得。 2001年、セレス小林の返上により空位となったタイトルを川端賢樹と争い判定勝ちで日本タイトル獲得。初防衛戦は同級1位の内藤大助と無敗同士の試合となった。内藤有利かと思われた判定は0-1のマジョリティドローで坂田が引き分け防衛となったが一悶着あった。いわゆる大串事件である。 その後2度防衛し4度目の防衛戦にトラッシュ中沼を迎える。試合は打撃戦となったが2-0のマジョリティで中沼に上がり王座陥落と共に初黒星を喫した。 2003年、中沼との再戦を接戦の末、ユナニマスの判定で勝利。王座を奪還した。このタイトルは2度防衛して返上。 2004年6月、有明コロシアムて当時の WBA世界フライ級王者ロレンソ・パーラに挑戦。2Rに右アッパーを食い顎を2箇所骨折しながらも優勢に試合を進めたが0-2のマジョリティで判定はパーラに上がり場内はブーイングに包まれた。坂田は下顎骨骨折のため4時間半に及ぶ手術を受け10ヶ月のブランクを余儀なくされた。 2005年9月、パーラに再挑戦したがまたも0-2のマジョリティ負け。 2006年、パーラの右膝靱帯の故障による治療を受け暫定王座を設ける。これを同級1位サウスポーのロベルト・バスケスと争う。この試合も5Rバランスを崩したところにパンチが掠りダウンとされたり不運があり1-2のスプリットで判定負け。3たびタイトル獲得に失敗した。 しかし諦めない坂田は再びパーラに挑む。3度目のパーラとの戦いはパーラが計量に失敗し変則のタイトルマッチとして開催されたが坂田はボディ攻撃て3R TKO勝ち。念願の世界王者となった。 このタイトルの初防衛戦を因縁の暫定王者ロベルト・バスケスと行い今度は3-0のユナニマスで勝利し初防衛を果たした。 このタイトルはその後デンカオセーン、山口真吾、久高寛之相手に計4度防衛した。 しかし5度目の防衛戦、デンカオセーンとの再戦で2Rテンプルに右フックを食いダウン 自身初の KO負けとなった。 しかし再起し3連勝し当時の WBAフライ級チャンピオン亀田大毅に挑戦するがユナニマスの判定負けで敗れ引退となった。 iPhoneから送信 |

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