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きのうは、 多賀城市の東北歴史博物館で開催された、『れきはく講座』を拝聴してきました。 講師は学芸員の相澤秀太郎さんで、 演題は「エミシはなぜ「蝦夷」と表記されたのか」 でした。 古代の東北地方に暮らしていた、蝦夷(エミシ)と呼ばれた人々。 なぜ「蝦夷」という文字が用いられているのか、という謎に迫った興味深い内容でした。 実際の史料を多用し、論証を積み重ねながら考えを展開させる、研究を追体験するようなわくわくする講演でした。
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きのうは、 多賀城市の東北歴史博物館で開催された、『れきはく講座』を拝聴してきました。 講師は学芸員の相澤秀太郎さんで、 演題は「エミシはなぜ「蝦夷」と表記されたのか」 でした。 古代の東北地方に暮らしていた、蝦夷(エミシ)と呼ばれた人々。 なぜ「蝦夷」という文字が用いられているのか、という謎に迫った興味深い内容でした。 実際の史料を多用し、論証を積み重ねながら考えを展開させる、研究を追体験するようなわくわくする講演でした。
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『日本書紀』斉明天皇元年(655年)7月11日条には、難波朝(難波京の朝廷)で北蝦夷99人と東蝦夷95人を饗応したとある。
そこでは「北」と「東」にぞれぞれ「北越」「東陸奥」と注があり、北は越の方面、東は陸奥の方面と解せる。このうち越国は陸奥国の西に位置するが、越(高志)は都からみて北に位置するので北蝦夷としている。
斉明天皇5年(659年)の遣唐使と唐の高宗の問答が日本書紀にある。
大和朝廷に毎年入朝してくる熟蝦夷(にきえみし。おとなしい蝦夷)が最も近く、麁蝦夷(あらえみし。荒々しい蝦夷)がそれより遠く、最遠方に都加留(つがる)があった。
飛鳥時代(7世紀)頃には、蝦夷は現在の宮城県中部から山形県以北の東北地方と、北海道の大部分に及ぶ広範囲に住んでいた。斉明天皇4年(658年)には阿倍比羅夫が水軍180隻を率いて蝦夷を討っている。
最大の戦いは胆沢とその周辺の蝦夷との戦いで、
宝亀11年(780年)に多賀城を一時陥落させた宝亀の乱の伊治呰麻呂、
延暦8年(789年)に巣伏の戦いで遠征軍を壊滅させた阿弖流為(アテルイ)らの名がその指導者として伝わる
2017/7/23(日) 午前 8:02 [ 平和防災愛国 ]