いよいよ、飛鳥の旅最後の地『高松塚古墳』です。 壁画の著しい劣化が判明し、 石室の解体が決まった高松塚古墳。 覆い屋が建てられ、 保存施設の駆動音が鳴り響いています… 本当に痛々しい姿です。 壁画劣化問題に関しては、 様々な批判や議論があります。 壁画の保存というのは非常に難しく、 有名なフランスのラスコー洞窟の壁画でも劣化が大きな問題となっています。 ただ、例えば茨城県ひたちなか市虎塚古墳では、 高松塚に比べると地味な壁画ですが、 発見から30年あまり経つ今でも美しい姿をとどめています。 もちろん、 高松塚と虎塚では立地環境などの違いがあり同列には論じられませんが、 保存にもっと違う方法があったのでは…と思います。 ちょっと悲しい気分ですが、 これで飛鳥の旅は終了です。 |
奈良散歩
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2006年に奈良の遺跡や寺社を歩いた際の記録
亀石を後にしてしばらく行くと、 天武・持統合葬陵が現れます。 うわぁ… すごい階段。 前日に山の辺の道と奈良町、 この日の飛鳥の道を合わせると、 既に20km以上(しかも夏に)歩いている身にはキツイ。 なので、 残念だけど下から写真撮るだけで我慢しました。 階段の先にある建物の向こうの森が天武・持統合葬陵です。 この天武・持統合葬陵は、 その名のとおり天武天皇と持統天皇がご夫婦で葬られている古墳で、 檜隈大内陵(ひのくまおおうちのみささぎ) 野間王墓古墳(のまおうぼこふん) とも呼ばれています。 檜隈大内陵が天皇陵としての名前。 野間王墓古墳が古墳としての考古学的な名前。 天皇陵の場合はこんなふうに名前がややこしい事が多いです。 この古墳は五段築成の八角形の古墳で、直径(対角辺長)が約38m。 八角形の古墳は古墳時代の終末期に現れた古墳で、7世紀の中ごろに登場しました。 この不思議な形の古墳は、皇族や大陸文化と関係があるのではないかと考えられています。 鎌倉時代に盗掘されていますが、 そのときの記録『阿不畿乃山陵記』(あおきのさんりょうき)によれば、 内部からは金銅製の台の上に乗った漆塗りの木棺と、 火葬した骨を入れた金銅製の容器が発見されています。 木棺に納められたのが天武天皇 火葬されていたのが持統天皇 であるとされています。 持統天皇の場合、 金銅製の容器は盗掘時に持ち去られ、 中に入っていた骨はそばに捨てられてしまったとか… せっかく安らかに眠っていたのに、とんだ災難です。 それにしても、 もうだいぶ体力がなくなってきました。 この時点でかなりフラフラです。 つぎはいよいよ、 最後となる高松塚古墳を訪れます。 |
川原寺から高松塚古墳に向かう途中で… ありました、亀石。 何なのでしょうか? 謎謎謎!!! ふしぎな石です。 川原寺跡の発掘の際にこの亀石も調査されたそうですが、 結局わからなかったみたいです。 下面の東半分に格子状の刻文があり、 西半分は平面に加工されているそうです。 長持形石棺の蓋石部分の失敗作(未成品?)のようにも見えますが、 私は古墳が専門じゃないので、 やっぱりよくわかりません。 う〜〜〜〜む? しばらく亀石を見ながら考えていると、 この亀石の表情が笑っているように見えてきました。 亀石の謎に対して困惑する現代人を笑っているのかも。 やな奴!………なのかも。 頭が?でいっぱいになりながら、 先を目指します。 次は天武・持統合葬陵を訪れます。 |
橘寺を後にし、 すぐ近くの川原寺へ。 ちょうど下校時間にあたったらしく、 黄色い帽子をかぶった子供たちが歩いていました。 川原寺はこの道路をはさんで橘寺と向かい合っています。 川原寺は7世紀中ごろに創建されたと考えられていますが、 その創建に関しては不明な点が多く「謎の大寺」と言われています。 発掘調査によると、 川原寺の伽藍配置は「一塔二金堂式」という特異なもので、 正面に中金堂、手前東に塔、西に西金堂を配置していた事がわかりました。 「川原寺式」の名で教科書にも出てきます。 また、 川原寺では複弁八弁蓮華文軒丸瓦と呼ばれる華麗な文様の瓦が用いられ、 屋根を美しく飾っていました。 現在、中金堂跡には弘福寺が建てられています。 かつての壮大な伽藍をしのばせるものは柱の礎石のみ。 飛鳥寺、大官大寺、薬師寺とともに四大寺に数えられたお寺があったとは思えないほど 寒々とした景色となっていました。 飛鳥の旅もいよいよ終盤。 次は高松塚古墳を訪れます。 |
石舞台古墳を後にし、 田園の中を進むとやがて橘寺に着きます。 橘寺は聖徳太子が自らの生誕地に建立された寺とされています。 欽明天皇の時代に別宮として建てられた「橘宮」 聖徳太子はここで生まれ、少年時代をすごしたと伝えられています。 橘寺の具体的な創建年代は不明ですが、 創建期の建物は四天王寺式の壮大な伽藍であった事が分かっています。 現在の建物は江戸時代以降に建てられたもの。 訪れたとき残念ながら本堂はちょうど修復工事中でした。 一番上の写真は観音堂。 中には優美な如意輪観音像が置かれています。 本堂の左手には飛鳥時代の石造物「二面石」がありました。 元々ここにあったわけではなく、 他の場所で掘り出された物を移したのだそうです。 人間の善悪を表現したものとされ、 2番目の写真が左の悪面 3番目の写真が右の善面 と言われています。 不思議な造形ですね。 次は川原寺を訪れます。 |







