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今回見つけたのは、日本語の「スペルミス?」です。 「スペルミス」という言葉は、日本語の場合は「かな遣い」の間違え(例えば、「王様」をひらがなで書くときに「おおさま」と書くとスペルミス、「おうさま」が正解)について指摘する言葉なので、今回見つけたミスは「誤植」といったほうが正しいでしょうか。 歴史小説が好きで、普段からいろいろな文庫本を読みます。 数日前から読み始めた本ですが、PHP文庫から出ている「榎本武揚―幕末・明治、二度輝いた男」で誤植を発見しました。 文庫本でもこのようなことがあるのですね。今までもいろいろと本を読みましたが、見つけたのは初めてです。ただ単に、気がつかずに読み飛ばしていただけかもしれませんね。 正解は「藩摩藩士」ではなく、「薩摩藩士」ですね。 実に似ていて、校正者泣かせの誤植です。さすがにいまどき「藩名」を間違ったから、と言って訴えを起こす鹿児島人はいないと思いますが、血気盛んな薩摩隼人が大手を振っていた当時だったら、生麦事件のような刃傷沙汰になったのでしょうか…。 このくだりは、榎本艦隊に軍艦が1つ増えた時の話です。 秋田藩がアメリカから購入した老朽艦が、秋田藩恭順を機に新政府に徴用され、薩摩藩士の田島圭蔵が艦長となって横浜まで回航される途中、旧幕海軍が箱館を占領していることを知らずに、補給のため箱館湾に進入します。それを榎本艦隊が取り囲んで押収しました。白旗を揚げた田島とその配下の乗組員は、処刑されることを覚悟の上で捕虜となりますが、その後、新政府軍が箱館に上陸して旧幕軍と戦闘を開始すると、榎本は新政府軍参謀黒田清隆のもとへ捕虜たち全員を送り届けます。榎本武揚という人物は「国際的な感覚と知識」に基づき、戦時下における捕虜の扱い方を知っており、かつ実行できる人間だったようです。 榎本武揚は、好きな歴史上の人物の一人です。5本の指に入るくらい、本当に興味深い人物です。 彼は、幕末にオランダへ留学した幕臣の一人ですが、帰国後に幕府海軍の実質的リーダーとなり、日本における西洋式海軍の発展に多大な実績を残した人です。旧幕vs新政府の最後の戦い「箱館戦争」では旧幕軍を総指揮して戦い、最終的には降伏して敗軍の将となりますが、数言語に通じ、外交の才を持つ彼は、新政府側にもその才能を買われて後に特赦、外交公使や大臣を歴任して、最後には子爵になりました。 蝦夷地開拓、化学、農業、海外移民事業など、他にも興味魅かれることはたくさんありますが、ブログではとうてい書ききれない、といった人物です。 ちなみに、新政府軍参謀黒田も(旧)薩摩藩士です。彼は後に内閣総理大臣にもなりました。捕虜の一件があったからだけではありませんが、その黒田も榎本に魅了された1人で、榎本とは終世交友関係にあったということです。箱館戦争の後、黒田は榎本の助命嘆願に奔走して成功、謹慎がとけると榎本を明治政府に引き込みました。榎本が明治政府でも活躍し、後に子爵にまでなったのは、黒田によるところが大きかったようです。黒田が死去した際に、多数の薩摩出身高官が政府を占める中、榎本が葬儀委員長を務めました。黒田に対する情の表れでしょう。 手元にあるこの文庫本(上の写真)は、「1997年8月15日 第1版第1刷」ですので、その後の版では修正されているかもしれません。 もし興味があれば、この誤植、確認してみてください。 |
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