心はグランドハープのごとく

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私の心の琴線にハープのごとく共鳴した事柄を掲載します


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やさしい嘘と贈り物

2010年公開の映画、「やさしい嘘と贈り物」
 
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あなたは、こんなに切ない恋をしたことがありますか?
 
クリスマスも近づいたある日、孤独な老人ロバートと美しい女性
メアリーが出会い、二人は少年と少女のように恋に落ちる。
 
     初めてのデート。
 
レストランで、2人は“絶対に物事をあきらめない”という約束をする。
 
       それからの心躍る日々。
 
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   周りの人々は、そんな二人を温かく見守る。
 
灰色だったロバートの人生が薔薇色に輝き始める。
 
    やがて、やってきたクリスマス。
 
ロバートの家の綺麗に飾り付けられたツリー。
暖かい暖炉の前で、二人は沢山の贈り物を交換するのだが・・・
 
 
意外な結末に驚きながらも、涙なくしては見られないストーリー。
 
あらすじを絶対見ないで、このDVDをご覧下さい。
 
ハンカチを用意するのをお忘れなく。
 
 
この映画を紹介してくださった「山のたぬき」さんに感謝します。
 
 

小松左京氏 死去

日本SF界を代表する作家、小松左京氏が、26日午後4時36分、
肺炎のため大阪府箕面市の病院で死去されました。
 
左京氏は、私にSF小説の面白さ、スケールの大きさを教えてくれた作家の一人です。
学生時代に読んだ著書の数々は、未だに忘れがたい印象を私に残しています。
 
私が曲がりなりにも小説めいたものを書いてみたいと思うように
なったのは、左京氏の影響を少なからず受けているからといえましょう。
 
ある本の後書きだったと記憶しています。
彼が小説家になったのは、貧しかった新婚の頃、せめて妻に
面白い読み物を書いて喜ばせてあげようと思ったのがきっかけ
だったとか。
この一文を読んで私は感動しました。
とても優しい人なのだと思いました。
 
数々の名作を残して旅立たれた、小松左京氏に、謹んで哀悼の意を表し心からご冥福をお祈りいたします。
 
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家族、親子間のあり方についての倉本聰氏の手記を抜粋しました。
今、子殺し、親殺しのニュースが幾度となく世間をにぎわせていますが、なぜあのようなことをするのか、僕には理解できません。僕の想像を遥かに超えた、悲しい出来事です。もし家族がお互いに真剣に向き合ったり、関わりあったりしていれば、憎しみや殺意などという感情は生まれてこないんじゃないでしょうか。よく「家族は他人の始まり」という言葉を使う人がいますが、僕はそんな言葉、ウソだと思います。夫婦は他人かもしれません。しかし、そこに子どもができた時、夫婦は他人でなくなる。子どもを介して、家族という関係が生まれるわけです。
世間を見回すと、最近の親御さんは、みんながみんなというわけではないけれど、かなり子どもに気を使っていますね。あまるきつい事を言って、もし子どもから愛されなくなったらどうしよう。嫌われてしまうのではないかと、恐怖心を抱いているのではないでしょうか。そのために、子どもを自由にさせたり、あまり叱らないケースもあるようです。でもいくら親が厳しく接していても、本来、関係が崩壊するなんてありえないと、僕は思います。もちろん虐待は話が別ですよ。でも家族としての愛情がしっかりあれば、どれだけ厳しくしかっても、子どもは親を嫌ったりはしないと思います。ところが幼児期に、親が「子どもから嫌われないように」という感情で接してしまうと、それが子どもに刷り込まれてしまう。すると子どもは親を、軽く見てしまうようになります。
なぜ今の親は、こんないに自信がないのでしょう。僕は、戦後民主主義の取り入れ方が間違っていたのではないかという気がします。民主主義は、権利と義務という両輪で成り立っているものです。ところが戦前は義務を押し付けられるだけで、権利主張は認められませんでした。だから戦後、みんな権利に飛びついてしまい、もう一方の車輪である義務は、どんどん忘れていったのではないか。片方の輪だけ大きい車は、前に進まないですよね。今はそんな状態ではないでしょうか。どうも最近の親は、子どもの権利だけを認めて、義務についてはきちんと教育していない様子です。だから公衆の面前で騒ぐ子がいても、親が叱らない。
かわいがるということの本質も、錯覚しているようです。親は子どもを愛さないといけないと同時に、社会へ出たときに困らないよう育てる義務もある。それが、家族の一番の役割だと思うんです。ところが、かわいがるという権利はどんどん行使するけれど、鍛えなくてはいけない義務は忘れている。そこが、戦後の家庭教育の大きな間違いだったと思います。僕にとって父親は、力強く守ってくれているものという思いがあったし、母親も別の形で守ってくれているという実感がありました。だからどれだけ激しく怒られても、「こんちくしょう」と思うことはあっても、親を嫌いになったり憎むなんて、考えられませんでした。「守ってくれている」という実感があるからこそ、ある時期がきたら、ごく自然に、今度は親を守らなくてはいけないと思える。それは、親と子の上下関係とは無関係で、たとえ子どもが親を守るようになっても、親子関係の序列は変わってはいけないと思います。
それにしても僕の父は、子どもの叱り方が大変うまかったですね。戦争が始まる直前、僕が5歳の頃ですが、近所の家でABCの形をした英字ビスケットを出されて、すごくうらやましかったんです。ある日、母親と駅前のお菓子屋さんに行ったら、ガラスケースの中に英字ビスケットがたくさんあった。僕はおふくろが店の人と話しているすきに、さっと手を出して英字ビスケットを万引きして、ポケットの中に2つ握りこんだんです。帰りにバスに乗ったら、おふくろが「何か隠しているでしょう」と言う。そしていきなり手をパッと摑まれて開かされて、そこに、忘れもしないAとOの形のビスケットがあったわけです。おふくろは仰天して、パッと僕の手を包み返してポケットにねじ込み、それから先はいっさい口を利いてくれません。恐かったですよ。おふくろは僕を警察に訴えるんじゃないかなんて、バカなことを考えたりしてね。
やがて親父が帰ってきて、母親と何か話していました。そうしたら親父はいつもと変わらない調子で、「外行こうか」などと言って、下駄を履いて僕を連れて出かけたんです。鼻歌を歌いながら。そして例のお菓子屋の前に来て、英字ビスケットのケースの前に立って、「これか」と一言。「はい」と答えたら、店員を呼んで、なんと在庫を全部買い上げたんですよ。ものすごい量ですよ。それを担いで帰らされて、納戸に放り込んで、まったくおとがめはなし。しかし、僕はかえって心の中に、罪の意識がすごく湧いてきました。
それから1年くらいして戦争が始まり、食糧難の時代になると、納戸の中に入れてあった英字ビスケットが、おやつとして出されるようになりました。湿気てカビくさいビスケットが、毎日、毎日出されるんです。僕にしてみれば、執行猶予が1年あったうえに、刑期が1年来たみたいな状況になってしまった。
後になってみると、親父はうまいこと考えたなと思いました。力ずくでもなく、とがめるでもなく、僕に自己反省をさせていたわけです。そういう知恵が、親父にはあったんですね。おふくろか親父のどちらかが、そうした懐の深さを持っていると、子どもとしては助かります。そういうバランスの中で、家族の関係が成り立っているのだと思います。家族とは何か?子どもが社会に出て一人前の人間として生きていけるように愛し、育て上げる事が、家族の一番の役割ではないか。僕は、そう思うのです。

これを読んで、倉本氏の父親の教育方針・・ご本人にしてみれば特別なお手本などなく、それまで培ってこられた裁量で取り計らったまでなのでしょうが、見事なまでの手際です。これだけのことが、子どもたちの節目、節目においてなされているのなら、子どもたちも真っ直ぐに育たぬはずがない、と感心しました。子どもは親だけのものではなく、社会の財産でもあるのだと改めて納得しました。

ある中学生の死

ドクター吉本こと、吉本幸生先生の手記が心に深く残っているので掲載します。これは難病と力いっぱい闘った、ある中学生の実話です。
私が研修医としてある病院の放射線科で勤務していた時の話です。中学1年生のE君は悪性リンパ腫と診断されました。胃に発症した悪性リンパ腫で、外科で手術を受けました。しかし、その後頚部リンパ節に転移したため放射線治療目的で放射線科に転科されました。まだ研修医の私が担当医になりました。たいへん素直な性格で、なかなかの美男子でした。外科ですでに化学療法を施行されていましたが、血液の悪性疾患はなかなか改善することがなく、一時的に良くなっているように見えていましたが、実際はかなり進行しており、完全に治癒することはないと思われました。
痛みをとるために麻薬の投与を行いました。麻薬が切れると激痛が走り、痛みをとって下さいと主治医の私に薬の追加を要求するようになりました。麻薬の投与量は毎日増え続けました。君の場合、本当の病名を告げて、その真実を「受容」するにはあまりに若すぎます。私は両親と相談して結局告知はしないことにしました。しかし、この悪性の病気は残酷なことに14歳の少年の頚部から口腔内に浸潤し、咽頭粘膜や舌の腫大が進んできました。毎日増大が進行し、顔貌がだんだん醜くなっていくことは鏡を見れば本人にも明らかなことでした。私は「大丈夫、大丈夫。放射線の効果が出れば元通りになるよ。」などと明らかな嘘をつき続けました。放射線の効果もほとんどなく1日に2回照射も試みました。しかし、残念ながら腫瘍はどんどん増大し、しゃべることができなくなり、腫大した舌は正常の10倍ほどになり、口から飛び出し、口を閉じることすら出来ないようになりました。
E君は私以外の面会処置を拒否するようになりました。看護婦さん、両親、当直医すべての診察看護介護を拒否しました。そして、深夜の麻薬注射も私以外の医療スタッフが行うことを拒否するようになりました。それから私は毎日病棟当直を交代するようになりました。本人が私以外を拒否する以上仕方がありませんでした。そして結局ほぼ1ヶ月連続で当直をし続けました。E君の腫大した舌は大きく飛び出し、唇はもちろん、鼻も隠れてしまうほどでした。かわいそうで目をそらしたくなる顔貌でした。しかしE君は私の目を見つめ私の治療のみを要求し、他のスタッフの処置を拒みました。全身状態が極めて悪くなったため、私は両親にE君の余命は1ヶ月くらいだろうという説明をしました。両親も心の衝撃を受けながらもE君の死が近づいていることは受容せざるを得ない状況でした。
その3日後とんでもない相談が両親から私にありました。なんとE君のクラスメ−ト全員が担任の先生と一緒にお見舞いに来ると言うのです。クラスの人気者だったE君ですが、本来の顔とはかけ離れた醜い顔貌になっていました。両親はどう対処してよいのかわからずうろたえるばかりでした。その情報は両親からE君に伝えられていました。E君はその日の夜私に筆談で話があると言ってきました。「先生、僕、死にたくない。でも死ぬんだね。一つだけお願いを聞いて下さい。クラスの友達と会う日だけでいいからこの顔と舌の腫れをもとに戻して下さい。僕の好きな女の子も来るんです」私は胸が張り裂けんばかりの辛い気持ちになりました。翌日私はこの悪性リンパ腫治療経験の豊富な各科の先生を訪ねました。そして彼の希望を少しでもかなえる治療を相談しました。
結局、ある薬物の投与しか方法がないという結論でした。死期を若干早めるかもしれないが腫れがひく可能性があることを両親に説明しました。両親は息子のお願いを聞いてやって欲しいと私に頼みました。クラスメ−トがお見舞いに来る前日にその薬を投与しました。幸いこの薬が著効し、翌日にはE君の顔は劇的に浮腫がとれ舌も口腔内におさまりました。しゃべることは出来ませんでしたが、以前のE君の顔に近い状態になり、クラスメ−トに対して笑顔で対応していました。それから数日でまた腫れや激痛がひどくなり、これ以上生きて欲しいと願うほうがどれだけ残酷なことか、みんな分かっていました。
E君はクラスメ−トにあった10日後この世を去りました。たった14歳でさぞかし無念だったと思います。私は主治医として彼をもっと生かしてやりたかったと思い涙が止まりませんでした。しかし、E君の命はたいへん短いものでしたが、クラスメ−トの前でたった一日だけですが輝くことが出来たと思います。そのお手伝いが出来たことだけが私の心の救いです。
いじめ自殺の報道がマスコミを賑わしていますが、生きたくても生きられなかった少年がいるのです。いじめを受けているみなさん。辛いでしょうが、必ず夜明けが来ます。長いトンネルにも必ず終わりがあります。どうか命を大切にして下さい。あなたが旅立てば、嘆き悲しむ家族がいる事を忘れないで。

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