しかし、基地の風景は一変しているが、遠くに霞む山並みには見覚えがある。丹波山塊の大山と、その向こう、傾きかけた太陽を背にした稜線は、まぎれもなく富士山ではないか。 (国敗れて山河ありか――) 内田康夫『靖国への帰還』講談社より ★大東亜戦争を戦っていた若い日本人兵士(武者滋)が現代にタイムスリップする話。★ 本文には現代日本の「責任」と「覚悟」の無さが指摘されていました。 命を賭してこの国を守ってきた私たちの先祖(軍人に限らず)。お陰で私たちは日本に主権者として住み、日本語を話して生活することが出来ているのだと思います。 ―――もし先祖が現代日本社会を見たらどう思うでしょう。 それを考えると、その国の歪みを少しでも正さなければ・・・そう思ってしまいます。
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お邪魔します。きっと、つくし3本以上の夏井です!
コメント有難うございます。
私は、仰っていること、いつしか気づかぬうちに血肉に入って暮らしてきた気がします。家庭環境や地域(社会)環境に恵まれたというべきでしょうか。ただし、これは奇異な事例のようです。私が生まれ育ったところは岩手の県北の小さな農村なのですが、寺山修司は何かの著書に「岩手の県北と青森の県南の一帯だけが、どんなに日本が物質文明にひた走ろうと、その中央の価値観に乗らないのか乗れないのか分からないが、いずれ一線画した価値観、つまり戦前や戦中の価値観とも言える価値観で生きている」と指摘されたことがあります。一言で言えば、決定的に表れるのが死生観です。
2008/3/25(火) 午後 7:37 [ シュウジ ]
<続きです>
所謂、考えてみれば何の根拠も背景もない“延命至上主義”とは真逆の死生観があります。端的な具体例は、とにかく“自殺”が多いのです。しかし、自殺という単語を使うと誤解を招くでしょうが、中央でのリストラされたとか彼女や妻に捨てられたとか受験に失敗したとかで自殺する者は無しに等しく、「私の人生、もう御馳走様です」といった生を意味した死という道へ踏み出すのです。だから遺族は一様に「よかったなぁ、じいちゃん、よく立派に逝った」と悲しんでいるような喜んでいるような複雑な顔で、手を合わせるのです。この平成の世でもです。
2008/3/25(火) 午後 7:44 [ シュウジ ]
<ごめんなさい、3頁めです>
私は今44歳になったばかりですが、44と言えば、東京オリンピックの年です。つまり同年代の中央の連中がみたこともないほどの数の遺体を見てきて、触ってきたと思うのです。すると当然、私が東京へ出て来ると決定的に同年代の連中と何かが違うのが自他共に現れるのですね。ははは!!
こうした死生観こそ、特攻隊の方々がバイブルとした「歎異抄」の核と同じものなのですね。ユング言うところの「循環的時間観」というものですね。魂(理念や誇り)は、一個の肉体を超え継承されてゆく、と。
きっと、我が故郷の特産物はほとんど何も無いに等しいのですが、唯一言えるのは「贋金作り」ですね! 私は痛快にさえ思えます。「何?中央(江戸)じゃ、こんなもの(銭)の為に人を殺めたり偽ったりするのか? こんなもん、ほれ、いくらだって作れるぜ!」と。つまり「もっと大事なことがある」と心底分かっていたんですね。あの人食いまでした天保の大飢饉の時に、たったの一人の餓死者も出さなかったのが証左でしょうか。その理念と知恵があったんですね。
2008/3/25(火) 午後 8:02 [ シュウジ ]
<本当にごめんなさい4頁めです。これで最後にします>
死というものを忌み嫌うことなく自然のごく一部であり、当然のこととして真正面から受け止めるからこそ、生の喜びや大切さを知っている、ということなのだと思うのです。だからこそ、生(性)に関しては見事なまでに立派な日常がそこにあります。私の下ネタの源泉です!ははは!!
少々、手前味噌な話になったかも知れませんが、御容赦を!!
2008/3/25(火) 午後 8:09 [ シュウジ ]
寺山修司さんの分析をきいて驚いています。岩手の農村というと、小岩井が真っ先に思い浮かびますが・・・?
夏井さまが上で述べられた死生観はたしか「昔はこういう死生観だった」という感じで聞いたことがあります。現存していることにまたまた吃驚です。
最後に掲載された文章は、大自然と同化している生き生きとした(性も含め♪)夏井さまを容易に想像させます。
コメントありがとうございました。
2008/3/26(水) 午前 9:37
こんばんわ。私なんて、まだまだです。こちらに移住してきて筋金入りの凄い方々を目の当たりにして驚愕とともに、日々勉強させて戴いています。
人間、様々な方がいて、様々な自然があり、本当に宇宙は広いです! ワクワクの毎日です!
2008/3/30(日) 午後 11:07 [ シュウジ ]