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じゃぁ多数決にしようか。
こっちがいいと思う人〜〜はい00人。ではこっちがいいと思う人〜〜はいはい、00人。
ではこっちに決定!
このように多数決とは2つないしは2つ以上物事がある場合の最終決定で使われる、即決かつ便利なものである。民主主義の世界ではこれがかなり本領を発揮している。
しかしこの方法には賛否両論があるらしい。「もしも少数派の意見が正しかったらどうするんだ!」と。あと、多数派に少数派はしぶしぶ合わせることになるのか?などという意見もでるかもしれない。
気持ちはよくわかる。信念をもって自分の意見を掲げている少数派ならなおさらであろう。そのような意見をもっている人というのは、多数決が多人数により少人数を圧している、感があるのであろう。karaage自身、自分の意見が正しいと判断し、それが否決されたときはやはり、んん〜〜〜・・・と思うもの。
しかし。ここでしかしがつく。それは誤りだ。多数決を誤認識している。もし今のkaraageの発言を聞いて「なんでよ、私のクラス、あるいは会社、あるいは国では、多数決はそういう不公平な部分をもっているんだから。」というひとがいたとしたら、その団体(クラスや会社や国)は多数決の使い方を誤っているのである。
多数決とは本来、1つのUnitのなかに存在する2つの意見を選択する訳であり、もともとSeparateだった団体間のものでもなく、併合されたり、といった間のものでもない。例えば国連の中には日本やロシアや様々な国があるが、国連という1つのUnitである。Unitである以上、その意見に責任を持たなくてはいけないのは、多数派はもちろん、少数派も同様なのだ。したがって例をあげると「あの意見はドイツら他120国が多数決で決めたんだ。日本はこれに支持していなかった。したがって日本はこれを無視する。」ということはあまりにも身勝手で、日本がUnitに存在している以上、ルール破りである。
多数決の使い方を誤る、というのは、否決された意見をなおざりにすること。これでは多数決が不公平と言われても致し方ない。多数派に決定はしたものの、少数派の意見も常に照らし合わせておく。多数派できめたものの、やはりこれはおかしいのでは?となる時まで少数派の意見を暖めておく。これが限りなく平等だと考える。
郵政民営化法案の議会に民主党が欠席する。ストライキも1つの手段。karaageはそれもアリと思うけれど、やはり話し合って欲しい。郵政民営化が日本にどのような影響を与えるかは誰も確信できない。
ではやってみればいい。でなければ話し合ってやめればいい。そのような聞く耳持たずゆえ、賛成派と反対派の間で密度の濃い話し合いが不足しているのではないだろうか。反対だから欠席するというのは、同じ日本というUnitにおいてやはり、先ほど述べたルール違反にあたらないであろうか。
Unit内では、賛成も反対も各々が意見をもって、Unit自身を高めていくことが大切なのでは・・・。
書いているうちになんか話が変わっちゃった・・・
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