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補陀落渡海の多くは11月、北風が吹く日の夕刻に行われた。
渡海僧は当日、補陀洛山寺本尊の千手観音の前で読経などの修法を行い、続いて寺の隣にある三所権現(熊野三所大神社)を拝し、その後、小さな屋形船に乗りこみます。
渡海僧が船の屋形のなかに入りこむと、出て来られないように扉には外から釘が打ちつけられました。
渡海船は、白綱で繋がれた伴船とともに沖の綱切島あたりまで行くと、綱を切られ、あとは波間を漂い、風に流され、いずれ沈んでいったものと思われます。
船には30日分の食料と灯火のための油が積まれていて、渡海僧は、船が沈むまでの間、密閉された暗く狭い空間のなかでかすかな灯火を頼りに、ただひたすらお経を読み、死後、観音浄土に生まれ変わることを願います。そして、そのうちに船は沈み、渡海僧は入水往生を遂げたのでしょう。
渡海の方法は時代により多少異なるところもあるのでしょうが、補陀落渡海とは、いわば生きながらの水葬であり、自らの心身を南海にて観音に捧げる捨身行であったのです。(引用 http://www.mikumano.net/meguri/natiura.html)http://www10.ocn.ne.jp/~tamakibk/tsushin/tsushi08.html(参考)
集団自殺や自殺が耐えない現代ですが、「死」とは、昔から生きている間には誰もが体験できないものですから、様々に捉えられてきたようです。修行僧たちは何を思い、何を感じていたのでしょうか。
志賀直哉(たぶんそうだったと思う)は彼の作品の中で、「死と生は、両極端にあるものではないと感じた」と述べられておりますが、臨死体験もしたことのない私には解りかねる話です。
心が暗くなる話をしてしまいました。死についてはわかるときになってから考えることにします。そう言える私は幸せです。
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