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山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人めも草も かれぬと思へば(源宗于朝臣)
急に思い出した百人一首です。どうでもいいですが私は文学部に進もうと考えていた時代もあり、古典文学や漢文には今でも思い入れがありますね。今の小学校や中学校など、ゆとり教育の下で真っ先に削除されそうな項目ですが(笑)いえいえ、このようなものこそ、抗背に伝えていって欲しいです。
この歌はそれにしても寂しい。このような田舎は日本ではもうさほどないでしょうし、私自身、住宅地に住む人間なので、実際のこの寂しさの本質を解ってはいないだろうけれども、何やらなつかしい匂いがします。
思ひわび さてもいのちは あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり(道因法師)
特に思い入れはない歌ですが、意味を説明すると、「思いなやんで、それでも命はあるものだが、恋のつらさに耐えられずにあふれでるものは涙であるよ」という感じです。いやぁ、「法師」がこれを歌っちゃいけんよ。世俗の煩悩を断ち切らないと(笑)そんな簡単には無理、ということでしょうか。あっ、世俗中に呼んだ歌なのかもしれませんね。それにしてもこの百人一首には「坊主めくり」という機能がありましたね。
ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 かたくれなゐに 水くくるとは (在原業平)
六歌仙の1人ですね。「(人の世にはもちろん)神代にもきいたことがない、竜田川が紅葉で真紅の色に水をくくり染めにしているということは」
この竜田川、近所にある。業平が読んだのはその地域ではなく、もうちょい下流か上流かのどちらかだと思いますが。今じゃ見る影もないのかな・・・。けれども山が削られたり、川がコンクリートになったりはしていると思うが、地形はやたらとは変わらないはず。暗い夜にでも行ってみようかな、と思ったり。でも紅葉は見れないか。
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