若死にも、また長寿も、ともに自分の心ではどうにもできないものである。 しかし、私はすでに老いた、いまさら学問でもあるまい。あるいはまた、はかないこの浮世の50年の人生に仕事なんてどうでもよい・・・これらはどれもみな、「天命を全うする」ことの意義を知らないものである。決して「寿命を疑わない」態度ではない。 だいたい人たる者、一日だけでもこの世にあれば、一日分の食事をし、衣をまとい、住居におる。だから、一日分の学問、事業も励まなければならないのである。人生は旅館にたとえられるが、右のことは茶屋小屋に宿ったり、休んだりすれば、その料金を払うようなものである。天地は万物を宿す旅館のようなものであり、われわれは、衣食住をはじめ、天地万物のさまざまな恩恵を受けながら、その恩に報いようとしないのは実に天地の盗人、万物の木食い虫のようなもので、茶代や宿料を払わないで、旅館の中を通り過ぎるようなものである。恐れつつしまなければならない。(吉田松陰 青年に与うる書から一部抜粋) 考えさせられますね。必衰に対する諦のなかには、「どうせ短い人生なんだから、くよくよしていても仕方がない」というポジティブ思考があれば、「短い人生だから、何をやっても無駄だ」というネガティブ思考もある。 ところで私の部屋のカレンダーは「日めくり式」で、日にちの下に毎日、励ましの言葉が書かれている。今日はそれに情熱を持って仕事に望めと書いてあった。短い人生、仕事に情熱を燃やして何なんだ、と思うことも多々あるだろう。そんな時は上の松陰先生のような言葉を思い出して・・・・ なかなか難しいんだけどね。
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2006年03月23日
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