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つれづれ記事です。つれづれと書いておられる方が多いので、つれづれの創始者ともいえる吉田さんの名前を頂戴いたしました。
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「その島が選んだのは、憎しみか、日本人の誇りか」

飛べダコタ観ました。
素晴らしい映画でしたので簡単に要約して紹介します。
セリフ部分についてはパンフなどの裏付け資料がなく、
アレンジ入っている可能性大です、ご容赦ください。
お時間ある方は是非映画をご覧下さい。 

http://www.tobedakota.com/
(公式サイト)


飛べダコタ(要約)

67年前に実際に佐渡でおこった出来事である。
終戦から5か月後、佐渡に1つの英国機「ダコタ」が不時着した。

佐渡にも、戦争で息子を失った人や、家族を失った人がいる。
身体を不自由にした人もいる。
英国は5か月前の敵国である。

その英国人を助けるべきなのか・・・。
感情の揺れ動く中、島民たちが最終的に出した結論が、「困った者を助けるのが、佐渡の人間」
であった。

島民たちはダコタを飛ばせるため、総出で滑走路を作っていく。
そのうち、かつての敵国であった英国人とも仲良くなる。

島民の女たちは、滑走路をつくるための石を積みながら喋った。
「英国人も、みないい人ばかりじゃなぁ」
「なんで戦争なんかしたんじゃろ」
「軍部が勝手にしはじめたんじゃ」
これをきいた村長はこう答えた。
「軍部がはじめたんじゃない、我々日本人がはじめたんだ。
そう理解しなければ、また戦争を繰り返す」

最終的にダコタは、島民たちのつくった滑走路に乗り、無事に空へ舞う。


映画にはないが、それから、64年後、かつてダコタで不時着した乗組員の息子が佐渡を訪れ、「亡き父がこの地で大変お世話になったこと。もう一度、佐渡に行きたいと思いを馳せながら死んだこと」を告げたという。 
    

上記で紹介した以外にも、登場人物の発言などで考えさせられる部分が多々ありました。

今回の「飛べ!ダコタ」や、トルコとの「エルトゥールル号」についてなどを、道徳教育にもっと活かせないものか、と思います。




動画は樋口了一さん 手紙〜親愛なる子供たちへ〜

先週水曜日の晩、兄から母方の祖母が大腿骨骨折したという連絡が入り、絶句した。
昨年末、祖母は腰椎圧迫骨折し、3か月リハビリのち退院した。
そしてその1か月後、2度目の腰椎圧迫骨折をし、さらに3か月入院した。

2度目に退院したのは6月。それから1か月余りしか立たないうちに、祖母はまた入院となったのである。

日曜日、家族と見舞いに行った。
先々週末、従妹の成人祝で、親戚で食事に行ったときはすこぶる元気だった祖母が、
口を開けたまま、目は閉じたまま…ベッドで小さく横になっている。

箸やフォークも持つのにも一苦労で、呼びかけて、呼びかけて、やっと食べれる状態であった。
量の多くない病院食を半分食べるのに1時間もかかった。

わずか一週間のうちに、何でこんなに変わってしまったのだ…。

私の母は、実の母親の弱った姿を見るだけに、
祖母に対して怒り、情けなくて泣いてしまう。

その時、私の頭に浮かんだのが、この曲である。

何年か前、尊敬する方に「是非聞いてほしい」と教えてもらった歌であった。
朝のNHKでも放送されていたことがある。作詞は不明らしく、ポルトガル語で書かれたチェーンメールを訳したところ、感動的なものであったため、歌にしたとの事である。

帰り道、この曲のいくつかの詞を母に教えた。母は泣いた。

今朝、母親から、昨日の歌を転送してほしいとメールがあったので、メール添付するついでに自分も久しぶりに聞いてみた。
土曜日の祖母の態様と重なり、涙が溢れてしまった。

今回、youtubeでどなたかがupしていただいたものをいただいてきた。
youtubeでの再生回数は35万回以上。

毎日、認知症や寝たきりの親を介護する方々が、
この曲で励まされているのだと思う。

足も衰えて 立ち上がる事すら 出来なくなったなら
 あなたが か弱い足で 立ち上がろうと 私に助けを求めたように
 よろめく私に どうかあなたの 手を握らせて欲しい
    

中宮寺の弥勒菩薩さん

読売新聞社より、今朝ポストに「正倉院展」の案内が入っていました
 
名前のとおり、正倉院が建立された時代(奈良時代)の数々の宝物を展示しています。
 
正倉院展では有名な螺鈿紫檀琵琶瑠璃のグラスなどもお目にかかれますが、
私が数年前に見学した時は、当時の人々が身に着けていた麻の服や、祭りに使用するお面なども展示されていて、感動したのを覚えています。
1000年以上も昔の、一般人の身に着けている服などは滅多に見れるものではありません。
 
正倉院展は今回で64回目を迎えるそうです
近々奈良に足を運ばれるご予定のある方は、ぜひご観覧をお勧めします。もと奈良県民より。
 
正倉院展もおすすめですが、もう一歩足をお運び頂くと一押しの寺があります。
 
それは法隆寺のすぐそばにある(というより繋がっている)、中宮寺というお寺です。
イメージ 1
(写真は中宮寺のHPより転載)
 
ここではかの有名な弥勒菩薩さん(菩薩半跏像)を拝むことができます。
 
イメージ 2
(写真は中宮寺HP)
 
この弥勒菩薩は飛鳥時代に造られたようです。
知人の話によれば、4000年の歴史と言われる中国でも、日本のように古い仏像などは残っていないとの事。
古いものがこうして残っていることが、いかに貴重なのか分かります。
 
中宮寺の弥勒菩薩は、優しく、温かく、お参りに来る人を包んでくれます。
もう、仏像を拝むというよりは、ただただ見とれてしまいます。
ほかの仏像にはない(と言ったら罰当たりですが)オーラをものすごく感じます。
 
これまた尊敬する知人が言っていた言葉が、
阿修羅像や弥勒菩薩などは、長きに亘って人に観られ、拝まれ続けてきた。それゆえ、彼らは「観られている」という意識のもと、徐々にそれなりの素材に変化してきていると思う、との事。
 
弥勒さんを観ていると、その言葉にも頷ける。くらいオーラがあります。
 
私が下手な言葉で説明するよりも、「百聞は一見・・・」
機会あれば是非、中宮寺にお参りいただきたいです
 
【平成24年10月11日付産経新聞 「がんばれ!ゆとり世代 from Editor」より一部抜粋】

ちょっと楽しみな仕事がある。週に1、2回、学生たちが編集局にやってくる。産経新聞の僚紙「SANKEI EXPRESS」(通称EX)で毎週火曜日付に掲載している「キャンパス新聞」の打ち合わせだ。「君たちに2ページあげます」と銘打ち、学生記者たちに自由に記事を書いてもらうという紙面である。
(中略)

 そんな学生たちが、言い訳のようによく口にする言葉がある。「ぼくたちはゆとり世代ですから…」「円周率は『3』ですよ」「1等賞のない運動会で、手をつないでゴールしたんです」

 平成14、15年度から導入された「ゆとり教育」を受けた彼らは、自分たちを“落ちこぼれ世代”だと思い込んでいるのだ。同情を禁じ得ないところもある。ゆとり教育で学生の学力が低下したとの声が上がり、国は20年度に学習指導要領を改定、「脱ゆとり」にかじを切った。「ゆとり教育は失敗だった」と認めたわけだ。

 「僕たちは大人の実験台にされた」。彼らが怒るのも無理はない。でも、言い訳にはしてほしくないし、君たちは落ちこぼれ世代なんかじゃない。かくいう私は、浮かれた“バブル世代”である。当時の自分に比べ、君たちははるかに優秀だ。

ある学生が、自民党総裁選への出馬が取り沙汰されていた元首相の安倍晋三氏にかけ合い、学生との「居酒屋座談会」を開くことになったので掲載してほしいと言ってきた。教育基本法改正を実現し、ゆとり教育の誤りを正した安倍氏に、彼らは大いに期待しているのだという。出馬表明前の9月上旬に行われた座談会で彼らは鋭く切り込み、「命懸けでやる」と、出馬宣言を引き出した。

 「自分たちゆとり世代が、これからの日本を担っていかないといけない」。座談会に参加した学生は、記事にこう書いた。彼らのバイタリティーと自覚に脱帽した。

(中略)

「○○世代」なんていうレッテルに何の意味もない。

(EX副編集長 小塩史人)
    

私は昭和60年生まれ。ゆとり教育は私の4、5年あとに導入されたので、私はギリギリでゆとり教育は受けていない。

と言っても、集団行動教育(たとえば運動会・体育祭での各学年の行進、組み立て体操)が途中から廃止されたりした。

また大学時代に扶桑社出版の「新しい歴史教科書」を書店で手にとり、この教科書で教育を受けたかった!とは思った。

編集長が書いているように、私も、私よりすこし後に生まれたゆとり世代に同情したことがあるし、ゆとり世代の教科書の内容などをきいて「大丈夫なのか?!」と思ったこともある。

しかしこの記事を見て非常に納得させられた。
ゆとり教育が生み出した損失は大きいが、それに気付かぬ学生ばかりではない。
逆に「ゆとり世代と言われた自分たちはさらに頑張らなければ!」と思っている学生も多いのではないか。

東日本大震災により、原子力関連の研究、または就職が人気なく、定員割れだという。
その中でも、「こういう時だからこそ、原子力研究を絶やしてはいけない」という学生もいて、教授らはそういった学生を非常に評価している。

世論がこのような中、あえて原子力分野を学ぼうとするのは真に勇気のいることであり、必ずや日本のために役立つ功績を残してくれると思う。信念を持った行動であり、脱帽である。

ゆとり世代と言われた人たちが、ぼちぼち社会人になるころである。
社会人約5年目(くらい)の、若干先輩の私も彼らと手を取り合ってともに頑張っていかなければと思う。
ここ2週間で夏が終わり、あっという間に秋になった
今年はことさら、夏から秋に移動するのが早かった気がした。
 
その理由を考えてみたところ、今年は9月の三重旅行で神社にお参りした時の1回を除いては、一切ツクツクホウシの鳴き声を聞かなかったからだと思う
 
それまでの私の通常の夏から秋への移行パターンは、
夏 → セミの声(ミンミン、クマ蝉) → ツクツクホウシの声 → 秋
という風になっていた。
 
 
しかし今年はツクツクホウシが聞けなかったため、ミンミンやクマゼミらの鳴き声がぱたりと止んだ瞬間に秋が来てしまったような感じである
 
イメージ 1
(画像はWIKIより)
 
 
 
今年6月より奈良の実家から大阪で住むようになった。住居は大阪中心部(ミナミのほうね)であり、木林らが極端に少ない
その環境がツクツクホウシには合っていないのかも知れない。
 
少し気になってツクツクホウシを検索した。以下はWIKIより部分々々抜粋。
割と面白い。
 
 
 
 
 
生態
平地から山地まで、森林に幅広く生息する。地域によっては市街地でも比較的普通に発生する(盛岡市など)が、基本的にはヒグラシと同じく森林性(湿地性)であり、薄暗い森の中や低山帯で多くの鳴き声が聞かれる。。

ツクツクボウシの楽園

八丈島では、セミはツクツクボウシ一種しか生息しておらず、ひと夏中ずっと鳴いており個体数も非常に多い。八丈島はツクツクボウシの楽園である。

ツクツクボウシの早鳴き

八丈島では7月上旬(年によっては6月下旬)、対馬でも夏の初めから現れる。その一方で本土では、岡山市長崎市など特定の地域を除くと夏の終わりを象徴する昆虫とされている(岡山や長崎などでは近年は夏の初めから鳴きだすことが知られている)。捉え方を変えればアブラゼミなど他の大型のセミが数を減らしてから個体数が増すということである。以上のことからツクツクボウシは、アブラゼミなどとは時期的な棲み分けをしていると推察される。
 
 
オスは午後の日が傾き始めた頃から日没後くらいまで鳴くが、鳴き声は特徴的で、和名もこの鳴き声の聞きなしに由来する。鳴き声は「ジー…ツクツクツク…ボーシ!ツクツクボーシ!」と始まり、以後「ツクツクボーシ!」を十数回ほど繰り返し、「ウイヨース!」を数回、最後に「ジー…」と鳴き終わる。(抜粋終)
 
 
 
 
「ツクツクボーシ」と鳴いているうちは何だか人間とでも会話できそうな気がするけど、途中でテンションが勝手に上がって「ウイヨース!!」と言い出したらもう手のつけようがない感じになる。しかしそこがなんとなく可愛い

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