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何日ぶりの書き込みでしょうか・・・笑 |

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こんにちは、ゲストさん
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何日ぶりの書き込みでしょうか・・・笑 |
初めてとれた作物を神に捧げる。ご先祖様にお供えをする。初物を食べるときには東を向いてハハハと笑う。そのような日常に伝承されてきたふるまいや暮らしぶりの中に日本人の生活感情や美的感覚が伝えられている。そのような文化的遺伝子がわれわれの内部に美的感性様式として残っている。〜取れたものは大自然からの贈与である。その贈与に対して礼を尽くして感謝をささげ、そしてありがたくそれをいただくという思いと文化が伝承されてきたのである。〜私たちの日々の暮らしの中に伝承されてきた感謝や慎み、大自然の贈与に対する畏敬の念はこの百年あまりの間に大きく廃れてきたといえるのではないか。 『神道とは何か』 PHP新書 (父を除いて)家族の中で私が朝一に起きたときは、家の神様と祖父母の仏壇にお茶をお供えする。自分の飲むお茶は神様仏様(ご先祖様)の後である。 しかしそのお茶が一番美味しい。味に関して言えば「一番お茶」より濃い影響もあるかもしれないが・・・(おいおい) 私たちは普段何気なく「いただきます」と言っていることが多いと思う。私も慣例のように言っているだけで、大したまごころを篭めているわけではない。けれども私はこのように、神仏にお茶を捧げることによって本当の「いただきます」という意味ががわかった気がする。何故、この島国に住んでいた人々(私たちの先祖)は食べる前に「頂きます」と言ってきたのか(実際、このような国は珍しいのである)。それは上記の文のように、「神の恵み」(上文では贈与)をありがたく頂戴する、作物は「恵み」である。私たちはそれを頂戴しているという認識があったからではないか。
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更新が遅れて申し訳ないです。 |
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たいそうご無沙汰しておりました^^;更新が遅れがちになると思いますが、また記事のほうを作成していきたいです。みなさんのところにも遊びにいかせて貰います。 |
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明けましておめでとうございます。 直接関わる方、またインターネット上のみで関わる方、双方とも昨年に引き続き今年一年も宜しくお願いします。先ずは挨拶まで^^ 写真は元旦の御来光、地元にてです。 エピソード 元旦くらいは・・・という気持ちで、5時半に起きて初日の出を見に行くことにした。いつもより分厚い新聞の地元欄を広げる。 日の出7:04 なんだ、こんなに遅いんだったらもうちょい寝ればよかった・・・ とは思ったが、顔を整え、コートを用意している間に時間は過ぎてしまった。 目的のスポットまでは10分かからず着いた。しかし人はいなく、太陽の出る東の方角には結構厚めの雲がかかっていた。 待つこと5分。近所の人らしきおじいさん(70代後半くらいの方)が現れ、新年の挨拶を交わす。 話によるとおじいさんは毎朝、健康の為に家から歩いてきて太陽を見に来るらしい。 「雲の上から出る太陽は黄色いけれど、晴れた日に山の端からでる太陽は、それは真っ赤なんですよ」というのはおじいさんの言葉。 米国・英国人などは太陽の色を大抵「黄色」と答えるのに対し、日本人はこれが「赤」となる。それはこのおじいさんのいう真っ赤な朝日が影響しているのか、そして日の丸の大元もそれなのか・・・。 おじいさんの話を聞きながらそんなことを思っているうち(おじいさんは彼が読んだ日本書紀の知識より、その丘から見える地元の町の歴史なども多々教えてくれた)、雲の上が明るくなってきた。よく見てみると、雲にうっすら太陽がうつっているようにも見える。待つこと45分である。 黄色い太陽がぽっこり顔を出した。嬉しくて思わず手を合わせる。 太陽は「にぅぅぅ」と徐々にその姿を現し、街を照らし始めた。 私より数歩前にいるおじいさんが太陽に向かって長いこと、静かに手を合わせている。そして、それが私の一番見たかった光景なのだ。 当たり前のように昇ってくる太陽。それを拝む姿とは、何ともいえないくらい美しい。 太陽は毎日当たり前に昇るのではなく、すなわち自分に「毎日」は当たり前にあるのではなく、「自分は今日も元気に太陽が昇ってくるのが見れました!」と、一日の始まりををそのような感謝の気持ちから迎えるのは何と素晴らしい事なんだろう。その人はなんて裕福な心の持ち主なんだろう。 その後おじいさんと別れ、月光仮面の家の前を通り過ぎ(知らないだろうなぁ)、家路に着きました。
いやいや、新年から素晴らしい光景を目にしました。何やら良き一年になりそうです^^ |
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