偉人等

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ちなみに私の尊敬する方と小泉純一郎氏のそれは同じなんですよ。吉田松陰先生です。
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カフカの変身より

『その他の点ではわりに気分がいいように思われた。むろん身体全体には痛いが
 それもやがて薄らいで、最後にはまったく消えるようにさえ思われた。
 〜中略〜
 感動と愛情をもって家の人たちのことを思いかえす。自分が消えて
 なくならなければならないということに対する彼自身の意見は、
 妹の似たような意見よりもひょっとするともっと強いものだったのだ。』

最終的に家族から、一番大切に思ってきた妹からもついには受け入れられなかった、虫になった主人公。その彼の最後の真情が前文である。最終的に嫌われた家族に対する愛情とは何であったのか、これは決して偽りではない主人公の本当の気持ちであると思う。そして自分が消えてなくならなければならないという考えはどういったものか。
カフカを日本人でたとえるなら安部公房のみといわれているが、カフカの作品のに秘められたものとは何であったのか、生きている間に少しでもわかれたらいいと思う。

面倒くさい、ダラける、なんかやる気がでない。
ほとんどの人がこのような気持ちを持ったことがある、またはそう思って毎日を生活している事だろう。
karaageは発見した。このような気持ちを持つ割合が多い人ほど 鬱 になってしまう、と。
なぜ人はこのようにダラけてしまうのか。恐るべきことにそれは私たち人類に進化する前の猿らがすでにその性質を持っていたという。どうやってそれが実証されたかは長くなるので此処では述べない。しかし人はこの何とももどかしいこの気持ちをどうにか出来ないものか。
人がこのようにやる気がでなくなってしまう理由。それは働くミツバチマーヤ(そこらにいるミツバチなど)をみればよくわかる。彼らは何のためにあれほど忙しく働く(巣作りなどをここでは働くと定義する)のか。
それは、彼らが本能というものに生き方を拘束されているがゆえ働くほかに選択肢が無いからである。。彼らに一生懸命に働く他に、毎日道楽に明け暮れる、という選択肢があれば、おそらく大半ののミツバチは道楽に走るのではないか。あるいは働くミツバチのなかに不平を言う者が続出である。
人類にも同じことが言える。言うなれば私たちはしんどいと思ったときに休む、ダラダラするという選択肢をもっているのである。もし人が「自分には厳しく」という規律に拘束され、それを破ることが絶対に不可能だとしたら、私たちはそれに向けて頑張るしかないのではないか。
吉田松陰の話をしよう。生き方においてkaraageイチオシの歴史上の人物である。
彼の弟子たちに残した言葉から。

「志を立てるためには
 人と異なることを恐れてはいけない
 世俗の意見に惑わされてもいけない
 死んだ後の業苦を
 思いわずらうな
 また目前の安楽は
 一時しのぎと知れ
 百年の時は
 一瞬にすぎない
 君たちはどうか
 いたずらに時のすごすことの
 ないように」
                       吉田松陰

彼は幼少のときから彼の叔父、玉木文之進にそのような教育を受けてきたのであろう。ひたむきな生き方をできる彼には脱帽である。

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「明日はまだ何の失敗もしていない新しい一日だと思うと、ほっとするわ」

今日は失敗しても明日はまだ何の失敗もしていないまっさらな一日。へこんでばかりはいられないなぁ・・・と思える言葉。

 もうひとつ
「何かを期待して待ちこがれることも、楽しみの半分よ。期待しても、思いどおりにならないかもしれない。でも、待ちこがれる愉しさは、誰も止められないわ」

これをきいてとっさに思い出したのはロータリーチケット。何の宝くじかは忘れました。いや、karaageはしないよ?ある友達が毎週1000円買っているらしい。その時の話のtopicは買い物。何で〜〜〜とみんなで言うと、‘ I bought a dream. ’と。そのお陰で1週間ルンルンで過ごせるらしい。毎週1000円だけど、そう考えると安い買い物じゃないか。

詩人 中原中也より

僕は此の世の果てにゐた。陽は温暖に降り酒(そそ)ぎ、風は花々揺つてゐた。

木橋の、埃は終日、沈黙し、ポストは終日赤々と、風車を付けた乳母車、
いつも街上に停まつてゐた。

棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者(みより)なく、風信機の上の空
の色、時々見るのが仕事であつた。

さりとて退屈してもゐず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、
常住食すに適してゐた。

                 (中也『ゆきてかへらぬ』より)

一つのメルヘンしかり、他の中原中也の作品は、なにか現実にあることがらを一種の幻覚症状を伴ってみているようである。それでいてそのことがらを決して屈折した角度からみず、美しい世界を忠実に再現している。ただぼんやりと・・・誰にでも感じるやるせなさ、漠然さ、もしかして私が見ているこの世とはすべて夢なのではないか。中也の詩はこのような事を考えさせるようなものである。それゆえ美しくはあるが、かならず物悲しくさせる性質をもっている。

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