ここが可笑しい日本人よ!〜頑張れ日本

日本の言論は反日マスコミによって封殺されてきた。日本人の本音を発信し、それをテーマに議論・情報交換できる場を提供したい

国旗国歌

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元校長激白「国旗降ろせと圧力あった」
入学・卒業式などの行事だけでなく、平日にも国旗を掲げる「常時掲揚」を大阪府立高校で唯一、実施してきた元校長がいる。抵抗勢力は国旗掲揚に反発する教職員組合だけではなかった。「府教委は常に『現場でもめたら困る』と弱腰。国旗を降ろせという圧力も感じた」。事なかれ主義に染まった大阪の教育行政の実態を元校長が告白した。

奈良市在住のTさん(66)は、平成12年4月から4年間、府北部の府立高校で校長を務めた。当時の大阪の学校では、すでに学習指導要領で明確に規定されていた入学・卒業式での国旗掲揚ですら教員から激しく抵抗されたという。
「職員会議で国旗を式場に持ち込むと言うと、教員から『ばかいうな』『ナンセンス』とヤジが飛ぶ。異常な教育現場を正常化しなければと強く思った」
職員会議は事実上の最高議決機関として運用され、多数決ですべてが決まるため校長の権限は形骸化していた。実権を握っていたのは、共産系の全日本教職員組合(全教)や民主・旧社会系の日本教職員組合(日教組)などに所属する教員らだった。
「国旗の常時掲揚こそが正常化の第一歩になる」。長期戦を覚悟したTさんは布石を打った。

平成15年10月、職員会議で常時掲揚を報告しただけで校舎屋上に国旗を掲げた。
校内で混乱はなかったが、その後に府教委と府立学校の各校長が参加する1拍2日の研修会が京都・嵐山で行われた際、府教委から横やりが入った。
大広間での夕食。府教委の幹部職員が突然近づいてきて、「あの常時掲揚は何や。学習指導要領に規定があるのか」と大声で突っかかってきた。周囲は静まり返った。辻村さんが「府庁に掲げられた国旗を降ろしたら私も降ろす」と冷静に応じると、職員は引き下がった。近くにいた当時の教育長は職員を制止せず、黙って眺めていたという。
「現場でもめることを避けたがる府教委は国旗に終始弱腰だった。国歌も同じ。子供が『君が代』の歌詞を知らないので卒業式の式次第に印刷すると、幹部がすぐに苦言を寄せてきた」

辻村さんが16年春に退職した後もこの高校では常時掲揚が続けられているという。ただ、府立高校を含む官公庁での国旗掲揚を求める決議が昨年末の府議会で可決された後、新たに常時掲揚を始めた高校がゼロであることが市民団体「大阪の教育を正す府民の会」の調査で判明している。

Tさんは「府教委の指導は足りないが、校長も指示待ち人間では駄目。校務に全責任を負う校長が決断すればすぐにできる。国を思う気持ちを子供にもたせるためにも、国旗・国歌では絶対に妥協してはならない」と話している。  (産経新聞)

政権与党となった民主党は、教育現場における国旗掲揚についての考え方をきちんと表明すべきである。
日本の学校で、なぜ日本国旗がこれほどまでに軽視されてこなければならなかったのか。
鳩山首相は、朝鮮学校を無償化の対象として適用することでおおむね一致したという。
拉致に深く関与した朝鮮総連の指導下にある学校を日本人の税金で援助しなければならない理由とは一体なんなのか。
日本がどんどんおかしな方向に突き進んでいるという危機感を持っている日本人はどれだけいるのだろう。
参院選の結果は、こうした民主党の反日的政治態度をしっかりと反映させたものでなければ、日本は確実に没落の一途をたどることになるだろう。

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10数年前(もう約20年前といった方がむしろ正確)、私がメキシコでやんちゃしていた頃、
友人のメキシコ人が彼の恋人に向かって言ったことがあります。
「お前は俺の恋人であって、女房でもお袋でもねえんだ。
だから俺がどこの女と遊ぼうとお前の知ったこっちゃねえ!」

ヒドイ話ですねえ、一体どういう理屈で、コイツは逆切れできるんだろう。
しかし私は、そのとき面白いなあとも思いました。
そんな極悪非道なセリフを面白いと思う私の感性こそ酷い! と怒らないでねw
私が面白いと思ったのは、日本人の考える「恋人」という概念とメキシコ人の考える「恋人」という概念が、必ずしもequivalent(等価なもの)ではないかもしれないという疑問がわいてきたからです。
つまり日本人にとっての恋人とは通常、「恋愛関係にある特定の相手(1人)」と理解されるはずですが、もしかしたら他の国では、「恋人」の格付けがもっと軽くて、なおかつ複数いてもおかしくない感覚なのかなと疑ったのです。
相思の間柄にある相手方が必ずしも1人であるとは限らないわけです。
アラブの国では一夫多妻制ですし、ラテンの国では女の子に片っ端から声かけますからね。
ちなみに私がメキシコで必ず聞かれた3つの質問は「空手やっているか?」「メキシコ人のガールフレンドはいるか?」「恋人は何人いるのか?」というものでした。
私はその時チェリーボーイでしたよ。(20歳までね)
愛のないセクースはしない主義でしたので。(嘘w

概念ってinvisible(目に見えないもの)ですから、そこに共通の前提条件があるか、詳細について定義されなければ理解されません。
なにせ形のないものですから、考え方としてその国に存在しなければ、それを表現する言葉も必要ないのです。
たとえば自分をへりくだって表現する言葉使いとして「謙譲語」という形式がありますが、「そんなややこしい動詞活用なんてどうして存在するんだ、面倒だね」と日本語専攻の外人さんは嘆きます。
相手によって「言う」という動詞が「おっしゃる」とか「申し上げる」とかに変わるんだからそりゃ大変です。まあ正確にいうと謙譲語は動詞活用じゃないけどねw
形として存在しても必要性がなければ言葉も生まれてこないことだってあります。
つまり国によっては「粉雪」とか「牡丹雪」といった分類をしない言語も当然あるということですね。
話が長くなると読みづらくなるので今日は、前置きだけにしておきますが、ポイントは「日本人が考えている恋人という概念が、必ずしも外国人の考える恋人と一致するわけではない」ということです。
えっ何、そんなくだらねえこと!?
とか思わないで下さい。
日本で当たり前だと思っていたことが、日本の外では受けとめられ方が全く異なる場合もあるということを体感することがとても大事なんです。
ましてや同じ概念を意味する言葉と言葉の間に微妙なズレとか異なる解釈が存在するということを発見することは、日本を再認識することでもあります。
常識が通用しないという経験をすることによってパラダイム・シフトが促され、それは新たな発想や理解を生み出していく原動力となるのです。(=自分が当たり前だと信じていたことが通用せず、理解されないのですから、それは強烈なカルチャーショックになり得るわけですし、視野が広がることにつながるのですが、日本にとどまっているとそうした経験を積む機会はなかなかありません。) 説明がクドくてすみません。

異文化・外国人と接することで、日本に対する理解が深まることがあります。
外国との相違点を比較・考察することで、それまで意識しなかった日本を実感するからです。
日教組の功績により「日本人ほど自国に対する意識と認識が低い民族はいない」とよく言われますが、国歌国旗に尊崇の念を持たせず、自国の歴史も正しく教育しない戦後教育の現場にあっては無理もありません。
どんなに語学が堪能であったとしても、日本のことを知らなければ、日本人が真の国際人として活躍できることはないでしょう。
話が通じても話すべきコンテンツがなければ、意味をなさないし、人間としての深みを感じることは決してないからです。

この点を踏まえ、次回のブログ記事で日本人の交渉下手という観点から「通用しない日本人の価値観」の続編を論じていきたいと思います。

田母神氏の発言が批判的に受け止められるような風潮作りをマスコミが必死になっているなか(笑)教師という公の立場にいながら、法律に従わず、国歌国旗に敬意も払わない教師達の問題行動にどうしてマスコミが噛みつかないのか、疑問に思う今日この頃です(失笑)
マスコミの思惑とは裏腹に世論は田母神氏に対する支持を示す統計結果がでていることは不幸中の幸いというか喜ばしいことであると思います。

田母神氏は自らの身を挺し辞職覚悟で日本を守る為に問題提起しているのに、同じく公の立場にいながら教師達は辞める覚悟もないくせに抗体のない子供達を洗脳していく・・・日本は悪い、戦争責任は全て日本にある、朝鮮・中国に謝罪し、補償すべきだ等々。マスコミはなぜ田母神氏を批判するように教師や日教組を糾弾しないのでしょうか。少し考えれば、マスコミのダブルスタンダードや矛盾が明らかになってきますね。日本を守る議論については非難されるのに、反日的な言動や日本を貶めるような発言については推奨されるなんておかしいじゃないですか。

教師達は主張します「生徒に校歌を歌う自由と歌わない自由を認めましょう」と。
それなら生徒には朝礼や授業に出席しない自由も認めましょう。
校則を守らない自由、タバコを吸う自由、体育の時間に競技へ参加しない自由...
なんなら憲法9条を守らない自由も認めましょうか。

この人達にとって自由とは一体何を意味するものなのでしょうか。 
卒業式で国歌斉唱時に起立しない自由や国旗に敬意を払わない自由ってそんなに保護されなければならない価値があるとでも言うのでしょうか。国があって個人の権利が存し得るのであり、責任を伴って自由があるのです。

そんなに反日的な個人主張したいのなら、公立学校で教師として働くのではなく、自分で事業を始めるなり、会社勤めすれば良いではないですか。いや、いっそのこと北朝鮮にでも行けば、日本の有難みが分かるというものです。
百歩譲って国歌を歌わないという思想や信条の自由はあるかもしれませんが、国家斉唱の際に起立しないなんて世界共通の常識とマナーを著しく逸脱してます。国を冒涜するものであり、そんな教師を見て育った子供達に国や親、そもそも教師にさえ感謝と敬意の念を持つことを期待する方が無理ですよね。日本の国の歴史を憎むなんて筋違いです。私たちは歴史という前提があって今現在存在しているわけですし、日本の国を敬う気持ちがないのなら、教師という職業を辞するべきです。己の信念を貫き自立して生きていけばいいじゃないですか。職を賭して己の信念を貫く勇気も覚悟もないくせにくだらない反逆の精神を子供に披露したところで、誰が一体そんな教師を尊敬できるというのですか。
こんなこと世界のどこに行っても共通の常識であり、最低限のマナーなのだから、不起立なんてせずに礼儀礼節をもって子供達に模範を示して下さい、私の言っていること間違っていますか?

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