所属チーム
87-92サウサンプトン 92-96ブラックバーン・ローバーズ 96-06ニューカッスル・ユナイテッド
獲得タイトル
90-91 U-21ツーロン・トーナメント優勝・得点王・MVP 94-95 プレミアリーグ優勝
94-95 プレミアリーグ得点王 95イングランド年間最優秀選手(PFA選出)
95-96 プレミアリーグ得点王 EURO96得点王 96-97 プレミアリーグ得点王
97イングランド年間最優秀選手(PFA選出)
02プレミアリーグ創設10周年記念国内最優秀選手 02プレミアリーグ創設10周年記念ベスト11
02プレミアリーグ創設10周年記念特別功労賞
決して華麗なプレーではなく、押し込むようなパワーを活かしたゴールが多いストライカーである。
しかし、随所に見せるポストプレーや経験を活かしたポジショニング、なによりダイレクトボレーなどワンタッチでゴールを決める技術に卓越した選手だった。
1988年4月9日…その青年のデビューはあまりにも衝撃的だった。
試合当日、サウサンプトントップチームのレギュラー選手がフィットネステストに失敗し、ユースの練習を終えランチを取っていた青年が急遽召集された。
そしてその青年は試合開始から5分で点を決め、さらに2ゴールを追加。デビュー戦で17歳と240日の
最年少ハットトリック記録を樹立し、かつ相手は当時のイングランド・リーグで屈指の守備力を誇った
アーセナルであった。
そしてイングランド中に名を知らしめた青年アラン・シアラーは数日後にサウサンプトンとのプロ契約を結ぶのであった。
そしてサウサンプトンでレギュラーを獲得した頃、サー・アレックス・ファーガソンからオファーがくるも袖にして昇格したてのブラックバーンへ移籍する。そして3シーズン後、マンチェスター・Utdの3連覇を阻止し、優勝したのは
34ゴールを挙げチームに貢献したシアラーの所属するブラックバーンであった。
EURO96での活躍もあり、移籍話が舞い込んできた。そのクラブの中にはバルセロナやユベントスの国外の強豪に加え、ファギー率いるマンチェスターUtdからも再びオファーが舞い込んできた。
しかし、シアラーが選択したのは故郷のニューカッスルだった。
この選択に国内国外を制覇する最強のチームを作ろうとしたファギーは、2度に渡り袖にされたことで激怒した。
だが、シアラーの選択には理由があった。なぜならシアラー自身がニューカッスルの出身であり、ケビン・キーガンに憧れ、幼き頃からニューカッスルのファンだったからである。
また、当時のニューカッスルの監督が憧れのケビン・キーガンその人であったのも大きかった。
そして何より15歳の頃トライアルにて入団できなかった背景があるからであった。
(トライアル時、シアラーに用意されたポジションはFWではなくDFだった)
ニューカッスル移籍初年度の96-97シーズンは31試合25得点を記録。3年連続リーグ得点王になると共に
チームをまたいでの記録となった。ニューカッスルではチームタイトルこそ恵まれなかったが、リーグでは2位に
つけるシーズンもあり、またUEFA杯やCLにも出場しニューカッスルの名を欧州に知らしめた。
また、ニューカッスルでのクラブ通算200ゴール記録を更新し、ジャッキー・ミルバーンの得点記録を塗り替えた。常々シアラーはトップフォームのまま引退をしたいと願っており、04-05シーズン終了後に引退を表明したが、
撤回し05-06シーズン後に引退となった。
最後の公式戦はサンダーランドとのタイン・ウェア・ダービーで負傷により最終節を待たずに引退となってしまった。このシーズンは椎間板ヘルニアの手術もあり、出場数は激減していた。
引退試合はセント・ジェームズ・パークでのセルティック戦。引退試合のチケットは数時間で売り切れ、52,000人の超満員の中、試合は2-2で終了かと思われたロスタイムにニューカッスルがPKを獲得。
副審が選手交替の電光表示板を掲げるまでもなくシアラーが登場し、傷む膝を引きずりながらPKを決めてみせると、満員の大観衆が一斉に立ち上がってシアラーのラスト・ゴールを大いに祝福した。
代表ではU-21ツーロン・トーナメント優勝し、得点王とMVPを獲得。
フル代表ではEURO96,98W杯,EURO2000に出場。
地元開催でのEURO96では優勝こそできなかったものの、5得点を挙げ大会得点王となる。
29歳の若さで代表を引退したが、理由は度重なる怪我、家族との時間を作ること、衰えをみせずにトップフォームのまま去りたいという願いからであった。
代表通算63試合30得点。もし代表を引退しなければ、ボビー・チャールトンの得点記録を塗り替え、02W杯で日本にも来日したかもしれない。
92年,97年,2000年と3度に渡り半年近くも戦列を離れ、7度に渡る手術経験がありながらもゴールをあげ続けたのは、サウサンプトンユース時代に毎朝3マイル走り、練習後は用具係りが止めるまでボールを蹴り続けたシアラーの努力と『鉄の意志』があったからこそに他ならない。
ニューカッスル訛りが未だに抜けずに気性の激しさと人なつっこさ、兄貴肌の同居した、まさにジョーディ(ニューカッスルっ子)である。
また、非常に愛妻家でありレイニャ夫人とは17歳のころからの付き合い20歳で結婚。
妻と1男2女とパパラッチに追われるような生活はせずに、良き夫、良き父親として暮らしている。
ジョーディであり、一家庭人としても良き振る舞いをしているまじめな気質が、プレミアでも熱狂的なサポーターであるトゥーン・アーミー(ニューカッスルのファンの愛称)に好かれる由縁でもある。
現在はBBCで解説をし、いずれはニューカッスルでコーチなどの下積みをしてから、トップチームの監督をすることを目標としている。
先のイングランド監督選考時には、現在の自身の力量を考え、否定的なコメントをしている。
代表やクラブの監督になることには急いでいないようである。
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