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私の実母
ようやく外出できるようになり
杖ももたず、はじめて一人で外出した その日
暴走してきた車にはねられ、落ちた所は一時停止中のバスの前...。
人通りも多かった為、居合わせた多くの方々に助けられ、病院へ。
幸いにも、下半身数か所の骨折だけ。
駆けつけた私に
「生かしていただいて...ありがたい」
もしも あたり所が悪かったのなら...
もしも バスの発車のタイミングで落ちていたら...
偶然とはいえない 天の計らいが働いたとしか、思えないのです。
生きていてくれたこと 本当にうれしい。
骨折と言っても、
母の場合、長年の投薬の副作用と加齢による骨粗しょう症で、骨はボロボロ...
数か所もの骨折の手術は、結構な時間を要しました。
父は というと
いつも送迎しているのに、あの日に限って、一人で外出させてしまった後悔と
事故後の対応や母の今後についての思い悩みがストレスとなって、
持病が悪化し病院へ緊急搬送。
幸い同じ病院だったので、御世話する身としては、本当に有難かった。
しかしねぇ...
交通事故で入院している母のもとへ、患って入院する父 ...
魂の片割れ同志なんだなぁ〜と実感しました。
父の入院により残された実家の猫のお世話と病院見舞いは、
遠方にいる長男である弟夫婦に代わって、私が一手にみることに。
お手伝いの仕事は、もはや本業となってしまってる今、
始業前に、実家+病院
もしくは終業後に、実家+病院
自宅に戻り、食事の支度をするのが限界、毎日がヤマ場だったけれど、
仕事があったからこそ気分転換もできて、有難かったです。
父が、この連休明けに退院。
お陰さまで、母もリハビリに専念できるようになり、
毎日出来る事が少しづつ増えてくるのが嬉しいとのこと。
事故に合う前は、病気になって出来なくなってしまったことを悲しんでいたのに、
事故後は、生かされていることに感謝し
自分の意思で動ける事に喜びを見いだしている母です。
さて 私 今、自覚もしていなかった疲労が一気にきた感じ。
それこそ 別府・湯布院へ湯治に行きたいよ〜〜〜
今回のことは、親を看取る入口、
その役割がいよいよはじまった現実を受け入れています。
でも まぁ いろいろあっても 毎日が 「I’m Fine!」
.......と 長い間
更新できませんでした言い訳にお付き合いいただきましてありがとうございました。
* 長らく御無沙汰いたしました。
ご訪問もままならず、申し訳ございませんでした。
こんな感じで 暑い夏を過ごし、今に至っております。
留守中のご訪問 本当にありがとうございました。感謝
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夫婦・家族
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今日は完全オフの日って決めてたのに...
主人Frank 夕べ帰宅後
ガ〜〜〜〜ン
そして今朝
彼は 余裕で『あまちゃん』を観、ゆっくり出社支度。
いつもだったら、もう家にはいないのにね
なんかムカツク....
夫らしい気遣いの言葉も、私には届かない。
「いいから早く行って〜〜〜
そうそうに玄関に追い立て、扉を閉めた。
イヤな妻だと思う。身勝手だと思う。
でも、あなたがゆっくりしてると、私出掛けられないのよ。
貴重な休みの時間が減るじゃん。
2ヶ月ぶりの完全オフ日なんだもん。
計画を台無しにされ、結局、いつもの休みのように、家事をこなし、今12時前。
いや まだあと11時間近くはFreeだわ。
午後をどう活かすか
今、思案中です。
人様に奉仕することに喜びを見いだす善人の姿ばかりではありませぬ。
ダンナよ さっさと会社行け〜
我欲に引きづられ、暗黒面ダークサイドに堕ちることだってあるのですわよ。
ごめんね、Frank
画像はお借りいたしました
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1枚の写真
母と2歳の私です。
私の父も、日本の高度成長期を支えた 一人のサラリーマン。
長期出張も頻繁にあり、母子家庭状態が続いていました。
この写真は、
父が肌身離さず持っていたため、まるで昭和初期の写真のように見えますね(笑)
母は、お料理もお裁縫も編み物も大得意。
父の出張中、
実家から遠く離れた東京の地で、一人、
自分や私の洋服を作ることで寂しさを紛らわせていたと聞きました。
2歳の私が身につけている、手編みの帽子も、白いレースの襟のお洋服も母の手作り。
このお洋服を着て、写真館で撮ったこと、おぼろげながら、記憶があります。
そんな母が免疫系の病気に患ってから、すでに20年...
この4月から約2カ月の入院生活を余儀なくされ、先日、無事に退院。
自宅での療養に、ようやく慣れてきました。
そんな母の手を見たら、爪が伸びていました...
「ラクしてるから、伸びが早いのよ」 とケラケラ笑う母。
基本、天真爛漫な母に、時折、私は救われます。
「いつもはお父さんが切ってくれるんだけど...」
私が切ってあげる事にしました。
でもね、私、
人様の爪って切った事なかったの。
主人は自分で切るし、私たちには子どもはいない。
初代・二代目・三代目の猫たちの爪も切った事なかったの。
自分の爪で、爪切りの試し切りをして、
私の横に座ってもらいました。
母の手をとる
白くてすべすべ...もう家事もできないから
母の指を見る
細いけど指が変形している...リウマチだから
優しくその曲がった指に触れた瞬間、
もう 針を持つことも、ミシンを踏むこともできなくなってしまったんだね....
そう思ってしまった私はあとの祭り...
涙を押さえるのが精一杯で、声がでない。
爪を切りながら次から次と思い浮かぶのは
グラニュー糖をたっぷりかけたドーナツ 草もち みたらし団子 パウンドケーキ
太巻き サンドウィッチ 稲荷ずし
子どもの頃の大好物
そして
本当に1枚の布から洋服が出来上がるのが不思議でたまらなかった
母のお裁縫
今時期のお気に入りは、イチゴの刺繍のワンピース
老いのせいとも病気のせいともわかりませんが、爪はとても柔らかく
“神経を集中させないといけないから”
そう言い訳をして、黙々と、爪を切りました。
切り終えた時、
私に愛情を注いでくれた感謝の思いを込めて
母のキレイな手を優しくさすってきました。
ご無沙汰しております。
母の入院中、
主人の父が雨天、路上で転倒、ICUへ...という事もあったり
お手伝いのお仕事は、もはやお手伝いの領域を越えていたり...
Frankもプロジェクトの命を受け、毎晩帰宅は11時半前後だったり...
で、こんな時は、禅定・書道と自分の心の静寂さを求めておりました。
あ、でもちゃんと、
朝は笑って一日を迎え、夜も笑って一日を終える
日中もたいてい笑って過ごす...
B型天真爛漫母の血 すっかり受け継いでいるO型娘です(笑)
健康であること
家族がいること
自分を必要としてくれる人たちがいて
自分を活かせる場があること
多くの人との出逢いがあり
毎日 学びがあること
そして
人との御縁を大切に思える事
毎日感謝で生きております
いろいろあっても
I 'm Fine!
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ここのところ、一日置きに実家に行っています。
車では途中渋滞になるので、いつも電車
それでも30分ちょっとで行けるのは有難いんです。
しかも乗り換えの駅では、エキナカのお店を覗く楽しみも覚えましたし。
リウマチで身体は不自由でも気はしっかりしている母
母ができないところを、きめ細かく補助し支えていた父
その父が、お墓の引越の大役を果たした疲れから、めっきり身体が動かなくなってしまったのです。
高度成長期を生き抜いたお父さん方同様、父もまた、休む間も惜しんで仕事に熱中したサラリーマン。
出張がちで、母と私の母子家庭状態でした。
そのモーレツ(!)サラリーマンが定年近くになってから始めた菜園。
20坪ほどの菜園は、年間計画により1年中、何かしらの作物が収穫でき
ご近所などからは無農薬野菜を美味しくいただけると評判でした。
はじめてから20年近く...
寄る年波に抗うことができず、ねぎだけになってしまった菜園を、年内で止める決断をした父。
今日は、冬至のお料理を作りに行っただけだったのに、
「最後の収穫をするから、手伝ってくれないか?」
そう言われた時には、心の準備ができてなくて、うっときてしまいました。
美味しいジャガイモの収穫時期になると、まだ小さかった甥たちが芋掘りにきたり
身体がまだ動いていた頃の母は、農作業に勤しむ父に、甲斐甲斐しく汗をぬぐって飲み物の用意をする
...菜園と共にあった家族の姿を思い出したから。
「しばらく来てなかったから、もう黄色くなってるな」
一畝残っただけのネギ畑
父がスコップで丁寧に掘り起こし、私が根っこの土を払って、カゴに入れる。
ほんの30分ほどの作業...。
「ありがと、ありがと。お陰で最後の収穫できたよ。
鍋の時期だから、みんな喜んでくれるよ。」
人さまに食べていただき喜んでもらうことが菜園を続けてきた理由だと話してくれました。
この利他行を続けるには、身体がしんどいので、次なるステージを探すのだとか。
しめっぽくなりがちな私の心に、あくまでも人さまの役に立ちたい、
という、父の思いがストレートに響いてきて、とてもうれしくなりました。
実の両親の老い
いつかは...と思ってましたが、
普通にできたことができなくなることを目の当たりにすると、
寂しいものですね。
p。s。
実家にある クリスマスローズはもうすぐ咲きそうです。
うちのはまだ...クリスマスには間に合いそうにありません
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私の引越と同時期に、実は、実家のお墓の引越もありました。
私の両親は、島根県出雲の出身。
父は本家の跡取りなので、家と仏壇、お墓の管理の役割も担っています。
すでに祖父も祖母も他界しているので、
誰も住まなくなった古い茅葺の家の傷みはすすみ、
父は泣く泣く家を解体することにし、数年前に更地にしてしまいました。
そしてお墓
代々檀家をしている浄土真宗のお寺からは、毎年150回忌までのお知らせが父に届きます。
近い方の法事は早めにまとめて法事をしても、1年に1度は島根に帰らなくてはならず
嫁に出た私は、傍から見てても、遠隔地のお墓の維持は大変だなぁ と思っていました。
家を継ぐ弟にしても、また同じ苦労を背負うことを不憫に思ったのでしょう。
普段、お墓の手入れは、近くに住む母の高齢の兄に頼んでおり、
そのことも長年気にしていたようです。
とうとう父は、お墓の改葬を決断しました。
思えば、父の兄弟姉妹 叔父叔母たちも東京近隣に住んでいるので、
お墓が近いのは、みんな大歓迎。
移転先・お寺の選定、そして今までのお寺さんへの許諾、墓石選び等
父は時間をかけて念入りに、家を建てるのと変わらぬ力を入れて準備をしていました。
真宗なので、帰依する仏は 阿弥陀如来様
墓石には『南無阿弥陀仏』と刻みます。
私はお地蔵さまも好きなんですけど、真宗は石塔やお地蔵さまも建ててはいけないのだそうです...。
先月、祖母の23回忌に合わせ、法事とお墓の改葬法要。
その出雲での法事を楽しみにしていたのですが、私のまさかの転勤引越。
法事の翌々日が、引越となることから、私は法要参加をあきらめました。
最初は“秋の出雲“にひかれて、行く気満々だったんですけど...引越準備が終りませんでしたから。
そして来月はじめに決まった建碑式と納骨式。
「これで、みんなが気軽にお墓参りができる
故郷からは遠く離れたけれど、子孫がいつでもお参りできるお墓を建てられて
親孝行できたかな。」
本家長男の大きな役割が一つ果たせる父は、うれしそうです。
私も10月にお会いできなかった叔父叔母や、
弟夫婦、ゆくゆく墓を守る甥たちに会えることがうれしいのです。
私のお引越しは、きっとまだあるのでしょうが、
家系をつなぐ大切なお墓のお引越はもうこれで最後だと思います。
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