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弘安4年7月1日は神風が吹いた日です。
世界のイラストレイター「長岡秀星先生」の壱岐ルネッサンスポスターです。
有史以来の日本国最大の危機「元寇」
蒙古軍14万人の史上最大の大船団は神風により玄界灘に飲み込まれました。
以前、UPした「北畠織田敵味方鎮魂地球平和祈願」の記事をご参考にされてください。
今、正に平成の国難に突入です。もうすぐ神風が吹いた7月1日が近づきます。邪を切り、安寧の世の到来と日本国の真の救世を祈りましょう。
壱岐国ルネッサンスは平成15年9月に挙行された、全一の宮100社も「元寇敵味方鎮魂地球平和」を祈願した壮大なイベントです。その後、織田三大鎮魂につながりました。
祈願成就にぜひご参拝ください。
元寇の役敵味方鎮魂地球平和祈願 壱岐国一の宮 天手長男神社
北畠織田敵味方鎮魂地球平和祈願 伊勢国水屋神社
天正伊賀の乱敵味方鎮魂地球平和祈願 伊賀国一の宮 敢国神社
織田信長敵味方鎮魂地球平和祈願 越前国二の宮 劔神社
↑当ブログの書庫からリンクしています。上から「壱岐国ルネッサンス」「伊勢国水屋神社」「忍者コーナー」「越前国劔神社」です。
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北条氏コーナー
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平成13年の吉川英治文学賞受賞式のパーティで、NHK大河ドラマ「北条時宗」の原作者 高橋克彦先生からサインをいただきました。 高橋先生は鎌倉幕府はかなり本気になり蒙古を迎え撃つ準備をしたことを他の本でも述べておられます。その実証が元寇防塁です。大河ドラマで、ピーターさんが金沢文庫を作った北条実時を素晴らしく演じられました。ドラマでは実時が防塁を考案したとなっていますが、おそらく、実時の次男、北条実政が考案したと思われます。 文永11年(1274)蒙古の襲来を受けた鎌倉政府は、建治2年(1276)、再度の襲来に備えるために、博多湾の海岸線に防塁(石築地)を築きました。 建治元年、北条実政は初代鎮西探題として九州に派遣されました。実政は博多湾岸を視察した後、白村紅の戦いの防御のために作られた大宰府の防衛線である水城の大堤防を見て、それを博多湾岸に応用した可能性があるようです。彼は文永の役での海岸線防備の貧弱さを知り、この構想に至ったようです。九州9か国に分担を割り当て一斉に工事にかかるように命じました。3月からわずか半年で完成しました。防塁は今津から香椎まで20kmにわたり、このうち今津、生の松原、西新の3か所が見学可能です。昭和6年国指定史跡となりました。 当時鎮西に派遣される北条氏は一門の中でも日陰の身だったようです。鎌倉幕府五代執権、北条時頼の弟である北条時定も鎮西奉行として蒙古襲来を向かえ撃ちます。実政が文永の役に参戦していたとしたら、世界最強の蒙古軍の当時のハイテク兵器である震天雷という鉄砲や毒矢、鎌倉武士が初めて体験する異国の戦法に恐怖し必死の想いで防塁を考案したのかもしれません。
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