誠の花を

日本語のありがとうは、「そう有ることが難しい」という意味。

日本の文化

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 先日、自分の師匠が仕事で、私をこっちに残して、オーケストラで日本ツアー。
 
 いいなぁ。

 私の地元にも来てくれたので、両親にチケットをプレゼントして、行って貰ったんですが、
 
 英語カタコトもできないのに、運よく通訳も得られ、楽屋で師匠と会えたとのこと。
 
 花束じゃツアーでかさばるだろうから、好物の甘いものでも、と言っておいたら、

 モロゾフのチョコレート詰めを、差し上げたと言われ。
 

 ・・・・チョコの産地のスイスに住んでる師匠に、なんでチョコレートなんだ!!?


 チョコ以外でも両親のヘンテコな贈り物攻撃に、余裕の笑顔で応えられた師匠ですが、

 「アリガトウ」

 と覚えたての日本語で言って、何度も握手してくれたそうです。


 嗚呼、なんとか事なきを得て良かった・・・・。
 と、胸を撫で下ろしつつも、自分的にはほっとする良い話でありました。

 
 
 で、その後、その話を思い返したとき、

 「アリガトウ、ありがとう、有り難う・・・・」

 と、自分で反芻しつつ、

 人が異国の地にて一番最初に覚える言葉、

 感謝の言葉として当たり前に使ってきたその日本語の意味を、

 今の今まで気づかなかったということに、何気にショックだったんですね。

 ・
 ・
 ・
 あっ。


 「ありがとう」って、


 「(本来ならば)有ることが難い(ことである)」



 っていう意味じゃないかー!!


 
 英語でThanks

 独語でDanke

 伊語でGrazie

 仏語でMerci

 西語でGracias

 ポーランド語でDziekuje

 スロヴァキア語でD’akujem

 ロシア語でスパシバ(キリル語知らん)

 ブルガリア語でブグダリャ(同上)

 中国語で謝謝
 
 朝鮮語でカムサムニダ



 全ての言葉の語源までは知りませんが、
 ラテン語系統など、キリスト教圏の意味では、
 恵みとか、恩寵、好意、などといった語意があるようです。

 おそらくは、神の恵みになどに対して使ったことが起源だろうな、と推測します。

 中国語の謝謝、「謝」の意味が、はたして「謝り」の意なのか、それは謎です。
 朝鮮語のカムサムニダも、全くノータッチなので、語意は謎です。


?H1>しかし!!!!

 もちろん、世界中のアリガトウを調べなくてはならないけれども、


有り難きこと。

存在することが本来難しいこと。

「それが有る」ということが、本当ならば有り得ないからこそ尊いと思えること



おそらくは、仏教的な思想が元になっているのだとは思いますが、
(他の仏教圏のアリガトウには興味はありますね)


感謝の言語が、このような意味を持つ国なんて、きっとそう滅多にありませんぜ!

    
ああ、今日もご飯がいただけて、有り難い事だ。

人に良くしてもらって、有り難い事だ。

このような仕事を得られて、有り難い事だ。

五体満足で生まれてきて、有り難い事だ。

育ててくれる人がいてくれて、有り難い事だ。


大河ものなどで、よく見かける、
戦国武士が、主人から頂いた物や言葉に対して

「ははーッ、有り難き幸せにござりまする!!」

と言って、胡坐姿で辞儀をする姿なんて、この語意がすごく良く表現されてるように感じますね。(笑)




全ての事は、もともと有り得なかった、無であったのだ、と謙虚に思い至るならば、

この自分の身は、どれほど恵まれているのか、それを尊く思えるのか・・・。

(修行僧の托鉢も、物がもともと無い裸一貫の状態で、俗世間で生きていく際の、本来の無を知るために、もっとも重要なことなのだと納得がいきます。)


いやー、そう考えるとつくづく、日本語って素晴らしいんだなぁ。

言葉の意味を知って使うのと、知らずにただ使うのとでは、天地の差があるような気がします。







「ははーっ、有り難き幸せ!」

(これ、好きなんだ・・・)

 いましばらくは未だテンション低いかもしれませんが、上がるときには瞬間沸騰しますんで・・・・。(それでいいのか)

 ***

 そりゃあもう、私は、半分以上浦島のごとく暮らしておりますわ。


 日本のテレビニュースも、バラエティ番組も、

 流行の音楽も、ファッションも、カラオケやボウリングも、

 漫画雑誌も、小説の新刊も、日本の美味しい居酒屋の酒肴も無しに。



 ええ、そりゃあつまらんもんですよ。

 せいぜい読むとか飲むぐらいが娯楽ですわ。




 でも、そういうものが無くなると、人って考える時間ができはじめる。




 時事ネタから隔絶状態のような毎日でも、
 
 メールチェックの際に必ず目にする連日のような青少年の犯罪の見出し。





 まずは、毎日の食材を確保することを考える。

 次に、食材を使ってご飯を作ることを考える。

 次に、身を纏う衣服や体を休める住居の安全のことを考える。

 健康を考える。

 そして、自分に与えられた役割、すなわち仕事であったり勉強であったり、それを考える。






 それで一日は、有意義に過ぎる。

 それで、いっぱいいっぱいでいいのだ。



 
 自分とて、一応若い世代に属しはするけれど、

 それでも、現代の人々は、とくに日本人は。

 物も、知識さえも、あまりに全てを最初にタダで与えられてしまっていて、

 自ら考えるということを放棄してしまっている。
 
 喉の渇きを潤すかのごとく、心の隙間を埋めるが為に、

 物をただただ消費する以外に考えが及ばなくなっている。



 仏教の言葉で、それを「餓鬼」と呼ぶ。





 消費することではなく、

 この日を生きるため、生産をすることをまず考えていける人間であれたら、と切に思う。





 ・・・・・・・・・・・・・・



 自分はもともと不器用な方なんで、上手いことできないんですが。

 仕事や予定に追われたり、何か気がかりなことなどで頭が一杯になったりで、

 頭のメモリが満杯になったときに、

 色々経たとしても最終的に、いつもペースを取り戻させてくれるのは、

 「生活すること」だと思います。

 朝起きて、身支度して、ご飯をつくり、衣服を繕い、住居を整え、
 またご飯を作って、一日の疲れをとって、また寝む。


 それだけで、諸々全てのことが癒されていくような気がします。





 昔の子供は、十にも満たない頃から、半人前ながらも子守や仕事の手伝いを、生活のためにやらされてた。
 金を使わずとも、やれるべき仕事は、考えて探せばいくらでも出てくる。




 まずは、消費を止めて、自ら今日一日を生きてみること。



 一人ひとりがそれをできたら、今日の犯罪が、どれだけ減るんだろうか、などと思う。

 第二次世界大戦終結後から、7年半に渡る日本占領の間、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が行った占領政策の一部であり、アメリカが行った最も悪質な
 「ウォーギルド・インフォメーションプログラム」

 について、何回かに渡って記事にしたいと思います。

 
 そもそも、このウォーギルド・インフォメーションプログラム、の言葉の意味には、
 「戦争に対する罪悪感を、日本人に浸透させる」ことを目的としています。

 敗戦国に対し、通例のような、物理的な武装解除や賠償金支払いなどとを行っても、
 日本人はまた奮起し、再びアメリカへの大きな脅威となるだろうことを防ぐために、
 「民主化」「圧制からの開放」という美名の下、日本人の哲学や精神を徹底的に破壊し、
 日本人を二度と再起できなくするための、占領軍の最重要任務であったのが、このプログラム。
 

 それだけ、アメリカ人たちは、二次大戦において、日本人の団結した強さを恐れたということです。

 
 彼らはまず、その国民から歴史の記憶を消し、改ざんすることで、日本国民の無力化を始めてゆきました。


GHQの行った周到なる焚書坑儒


 東京裁判が倫理的に正当であること。
 侵略戦争を始めた日本の非正当性と責任とを明確にすること。
 それによって、原爆を正当化し、戦争贖罪意識を植え付けること。


 これらを遂行するために、GHQは学校教育・メディア・文化事業等の支配権を独占、操作を始めた。
 
 昭和20(1945)年9月、GHQは、新聞社・ラジオ局らに対する規制(プレス・コード、ラジオ・コード)を敷く。
 それによって、連合国ならびに占領軍批判を禁止し、不利になるべき記事を排除すべく細やかな検閲を行った。

 以下が掲載禁止・削除の要素になるべき項目であり、なんと30項目以上になる。
 この内容にはけっこう目を瞠るものがありました・・・・なんとも。

1.占領軍司令部(連合国最高司令官)への批判
2.東京裁判(極東軍事裁判)への批判
3.占領軍司令部が日本国憲法を起草した事実への批判
4.検閲への言及
5.米国の批判
6.ソ連の批判
7.英国の批判
8.朝鮮人の批判
9.中国の批判
10.その他連合国の批判
11.連合国の全般的批判
12.満州での日本人処遇の批判
13.連合国の戦前の政策への批判
14.第三次世界大戦への論評
15.ソ連と西側諸国の対立への論評
16.戦争弁護への宣伝
17.神国日本の宣伝
18.軍国主義の宣伝
19.民族主義(国家主義)の宣伝
20.大東亜に関する宣伝
21.その他の宣伝
22.戦争犯罪人の弁護または正当化
23.占領軍将兵と占領地女性との懇交
24.ヤミ市場の取引
25.占領軍の批判
26.飢餓状態の誇張
27.暴力行為と不穏行動への誘導
28.虚偽の陳述
29.占領軍総司令部(またはその地方支部)への言及
30.時期尚早の発表


こうやってみると、壮観ですねー・・・・、いや、ほんとに、検閲だけにもこれだけ徹底してる。

とくにもっとも厳しく禁じられた(といっても、もちろん国民は規制を知らされなかった)項目である

「批判」

それと「宣伝」

ですが、


この2つの行為を奪われる、というのは、「飼いならす側」が「隷属させられる側」に最初に行うべきTIPPSであります。

まずは牙を奪う。そして、自分が劣って、間違っているということを思い知らせる。

そうすれば、どんな凶暴な野生の獣でも、主人に隷属してしまう。

それを、GHQは真っ先に行ったのです。



メディアなどに対する検閲のほか、
占領中の日本での、使用を全面禁止された単語、一切を禁止された行為、というのがまた壮観なのであります。

今現在、使用すれば左翼アレルギーが起こる単語すべての要素がここにあります。↓↓↓



「大東亜戦争」(その代わりに太平洋戦争)
「神国」
「国家」
「国民的」
「我が国」
「愛国心」
「国旗・日の丸」
「国歌・君が代」
「八紘一宇」(世の中がひとつの家のように、といった意。)
「大君」(天皇陛下をさす)
学校の御真影(天皇皇后両陛下の御写真)
皇居遥拝
「英霊」
政府による戦没者の追悼式
神社への寄付と援助
「維新」
「吉田松陰」
「東郷平八郎元帥」
「乃木希典将軍」
「楠正成」
「豊臣秀吉の天下統一」
「日本の神話」を語る
「日本史」の授業
「地理」の授業
「修身(当時の道徳科目)」の授業
「教育勅語」
「起立」や「礼」という号令
行進
ラジオ体操
柔道、剣道、
サムライ映画(時代劇)
歌舞伎の公演
マッカーサー氏(元帥と書かなくてはならない)
アメリカ兵士の犯罪を報道する
無差別空襲や原爆投下に関して発言する
占領軍・連合国への批判
日本の飢餓状態を報道する
占領軍が日本の政治に関わっていることを報道する
東京裁判を批判する




などなどなどなどなど。

国家的意識につながるものすべて、歴史的英雄の記述さえ禁止され、

国の地理と歴史と道徳心を学ぶことを奪われました。



この中には、サンフランシスコ講和条約により、占領統治が終了し、主権が回復したのちに、ラジオ体操や、時代劇などなど、復活したものが大勢ありますが、

しかし、それは占領以前と同等以上のものでは、もはやないというふうに思われます。




今まで「いけないものなんだ」と己が信じていた事柄のすべてが、

このGHQの政策により、植えつけられていたものにすぎないのだったと、

日本人はひとりでも多く、そのことに、一刻も早く気づかなくてはならない。

気づいてほしい。一人でも多く。


いまの日本国民にそれほど多くの時間はない。

世界は歴史は、今あきらかにキナ臭い方向に向かって、進んでいるのだから。



今回の記事は、下記の高橋史朗氏のすべらしい講演内容を述べられているブログさんや、
ネット上での近代史の報告書(PDF)らを参考にさせていただきました。

すばらしいので、ぜひ御一読くださいませ♪↓

戦後の日本が失ったもの。(ブログ「新・へっぽこ時事放談」)
http://hepoko.blog23.fc2.com/blog-entry-274.html

社団法人日本青年会議所・近現代史検証報告書
http://www.kakogawa-jc.org/jisedai/kingendaisihoukoku.pdf








次回の記事につなぐ前に、ひとこと、

まえまえから、常日頃から、思っていることなのですが、

ごくごく個人的な感情のみを率直に述べさせてください。








あたしゃ、アメリカってぇ国が、あの民族ならぬ民族ってもんが、ほんとうに、とてつもなく、大・・・・・・ッ嫌いなンだ!!

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 つづきです〜。

 日本語は、大和民族の使用してきた言語ということになりますね。

 日本民族=大和民族=ヤマト政権下、日本列島にて繁栄した民族ですが。

 当時の日本語を大きく分けると、外来語(隋・唐、朝鮮半島からの言葉)、大和言葉に分けられます。




 若い人たちの認識で、よくありがちだと思うんですが、


 「日本の文化なんて、漢字などを大陸から取り入れて、形成されたオリジナリティの無い二次的創造物の文化じゃん。」



 とんでもない見当違いですから。

ちなみにこういう考え方を、中華思想といいます。





 そもそも、大和民族(渡来人系)は、大陸から流れてきた中国・朝鮮と祖を同じくするものと思われがちですが、同じモンゴロイドでも、民族が全く違う。
 
 なぜなら、流れを同じくする民族ならば、「外来語と大和言葉」の明確な違いをつける必要はなかったから。
 文化が全く違ったからこそ、より質の高い文化を形成するために、古代日本人は、周りの文化を新品のスポンジのごとく吸収していったのです。

 大和言葉こそ、日本語の原始的な姿であり、日本民族を象徴する根幹となる文化といえるでしょう。



 日本列島に暮らしていた、大和民族の先祖の文化は、もともと、文字を持ちませんでした。

 おっと!これは、卑賤だなんてことを意味はしません、

 すべて口述だったんです。

 昔の出来事を知るのにも、歌を知るのにも、何かを学ぶにも、

 人はみなすべて音として耳で聞いて、全て頭に書き込んで、それを諳んじていた。

 ちょっと後になりますが、有名な琵琶法師なんかが良い例でしょう。

 全ての平家物語の内容を音とともに、いつでも、どこでも、取り出して空で謡い語れました。


 ちなみに、日本で言う「歌」は、韻を踏んだ言葉遊びのように思われがちですが、

 当時の人々は、みな独特の旋律を持って歌っていた、本当の「歌」であったようです。



 これが、日本文化の、ひとつの原型。

 
 実は戦前までは、そういうのはかなり日常茶飯であったんですよ。


 実は、こちらのほうが、どれだけ古代人の脳みそ使用と情緒のレベルが高かったか、分かったものじゃないですね。
 
 
 文字に書き下ろす文化というのは、大陸から入ってきますが、

 それは、小さいながらも、国家というものが出来始めてからのこと。

 権力者がいて、国を治める。その確かな証拠をつづるためには、どうしても文字表記という術が必要だった為と思われます。



 稗田阿礼という人物がいまして、彼女(?)は語り部の技をもったひとりだったようです。

 天武天皇に命じられた太安万侶が、稗田阿礼の諳んずる天地開闢から帝記までを「古事記」として聞き取り書き記すときに、万葉仮名が使われました。



 万葉仮名、って知ってますよね。

 これが、これからの発展に意欲的だった古代日本人が編み出した、独自文化発展の策のひとつ。

 今も、若い暴走族たちが、カッコイイと好き好んで使う、当て字漢字。

 なぜに、こんな若い子達まで魅了するんでしょう?

 実は、でたらめに当てたんじゃなくて、きちんと決まりがあったんですよ〜。


 上代仮名遣いって言って、どの韻の、どれに使う言葉には甲乙類のどの文字を使い、どのように発音すべきかって、厳格に決まっていたそうです。

 大和言葉と外来語を同時に表記するときに、ごちゃまぜにしないことが大変難しかったとか。


 だから、

 「夜麻登波 久爾能麻本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 夜麻登志宇流波斯」
 「伊能知能 麻多祁牟比登波 多多美許母 幣具理能夜麻能 久麻加志賀波袁 宇受爾佐勢 曾能古」

 という、一見暴走族のいたずら書きのように見える文面でも、ルールにのっとって読むと、
 「倭は 國のまほろば たたなづく 青垣 山隱れる 倭しうるはし 」
 「命の 全けむ人は 疊薦 平群の山の 熊白檮が葉を うずに挿せ その子」(古事記)

 という、ヤマトタケルのわたしの大好きな最後の歌だと、わかるんですよ。


 ちなみに、この歌の背景、知って聞くと感動します。




 古事記に描かれるヤマトタケルは、父親である第12代景行天皇に、その荒々しさと豪勇さを危惧されて、
 諸国の蝦夷討伐を、独り身で任されます。
 最初は愛する父のため、どんな敵でも平らげて戻ってきた、
 それなのに、どんなに父に戦勝報告しようとも、またすぐに軍勢もつけずに戦へ出されてしまう。

 彼は叔母のヤマトヒメのもとへゆき、泣いて訴える。

 「天皇(すめらみこと)、すでに吾死ねと思ほす所以か・・・」

 (父上は、私など死んでしまえばいいと、思っておられるのでしょうか・・・)

 そんな甥に、ヤマトヒメは、神剣・草薙剣と小さな袋を「万一のときに開けなさい」といって持たせてやる。

 そうやって、また彼は東国へ遠征し、尾張、駿河、相模と冒険を繰り返す。

 彼が騙し打ちに遭って、草原は一面焼け野原で大ピンチというときに、ヤマトヒメの小袋で命拾いをした場所が、「焼遣(焼津)」とよばれるようになったり。


 そんな大冒険を繰り返し、あるときヤマトタケルは妻のミヤズヒメのもとに、神剣を置いて、荒ぶる神を退治しに行く。 

 草薙の神通力を失ったヤマトタケルは、山の神に怒りに触れ敗れ、ボロボロに弱りきって、諸国をさまよう。
 昔懐かしい場所や人々を思い出しながら、彼は故郷大和へ向かって歩いてゆきますが、

 今の三重県辺りまで来たときには、故郷の目前で、もう一歩も進むことが出来なかった。

 故郷にはもう二度と、帰ることができない。


 そのとき、ヤマトタケルが歌った歌が、上の二首でした。
 
 −大和の国は、国々の中で最も優れて美しい国。
  幾重にも重りあった青々とした山々にかこまれて
  おお、大和よ、なんと美しい国だろうか。

 −命つつがなく、無事に大和へ帰れる人は
  幾重に重なり合った平群の山の、大きな樫の木の葉を、
  髪に飾って、人生を楽しめよ
  無事にふるさとへ帰れる子らに祝福あれ




 万葉仮名を無理に読もうとすると、ギコチない韻の全く無い棒読みになってしまいますが、

 当時歌に歌われていただろう旋律とその情景を、頭に勝手に描いて想像すると、大和人がどれほど情緒のある民族だったのか、思い計れますね。



 ヤマトタケルや東国遠征、これらの歌が、事実に基づく記述であるとか、伝承である、とか学術的な解釈は、まったくどうでもよいことです。

 大切なのは、これらの素敵な伝承や、美しい歌を作り出した、それこそが日本人の心であること、

 これを語って聞かせる子供達は、ああ。自分の知らない大昔に、こういうことがあったのかなぁと、

 想像をふくらまして、そんな大和の国は、どういうところだろう、なんて思いを馳せて。

 焼津や、浦賀水道、足柄山、そんな身近な土地がもっと親しみを持って思えてくる。




 「愛国心」「祖国愛」だのと表記で騒ぐ連中の気がしれませんや。
 

 語って聞かせて、歌ってあげて。諳んじさせて。

 これで充分なのじゃないですか。


 イタリア語がより美しく表現する音楽的な言語だとすれば、
 
 日本語は語って聞かせて感性を養い、自ら歌って情緒を育む言語のような気がします。
わたしたちが、何気に毎日使っている「日本語」ですが、

それがどういう言葉かって、考えたことあります?


わたしの何気の無い楽しみのひとつは、ネイティヴな外国語を「聴く」こと。

別に、意味がわかんなくたっていいんですよ。

だって、意味がわかんなくたって、洋楽楽しめるでしょ、みんな?


わたしのとくに聴いてお気に入りの外国語は、スラヴ語(ポーランド語やスロヴァキア語)、それとイタリア語。


言語ってのは、その国民性や音楽性ととても深く結びついていて、

たとえばわかりやすいのは、

合理的で堅苦しいイメージのドイツ人。その言語は本当に合理的にできてるし、響きも堅苦しい。


ポーランドやスロヴァキアをはじめとするスラヴ語。(ロシア語やブルガリア語もスラヴ語圏だけど、キリル文字を使う)
わたしにとっては、とっても熱情的で、知性的で、かつ音韻が陰影はっきりとして美しい。
外国語を聞いて、あまりのきれいさに初めて言葉に「ひと聞き惚れ」したのは、ポーランド語。(ヤフーのIDにしちゃうぐらい)

イタリア語は、いっけんすると、

「ブォンジォーーーールノッ!!!!」

って感じで、陽気で大げさ!ってイタリア人のイメージありますよね。
でも、それはあくまで、外見的代物。
本当に表現力っていうことからいったら、イタリア語と日本語は素晴らしいレベルの言語です。
英語やドイツ語のボキャブラリーは貧困に思えてしまうくらい。


たとえば、楽語のひとつなのですが、「次第に遅くなる」という指示ひとつとっても、

-ritardando
-rallentando
-slentando
-stentando
-largando
-allargando
-calando
-morendo
-smorzando
-perdendosi

これ全部がそう。そして、ひとつひとつ、全ての意味が微妙にニュアンスがちがう。

カランドは、ゆっくりしながら、でも太陽などが沈むようなニュアンスで消えていくようにという意味。
モレンドは、徐々に弱っていく、死にゆくようなニュアンス。
ペルデンドーシは、わたし好きなんですが、徐々に何かが失われていく、すこしずつ消えていって、やがてゼロまで無くなる感じ。


イタリア語の芸術性が高いところは、こういうニュアンス・表現力の細かさだけじゃなくって、
その言葉のイントネーションの絶妙なところ。イタリア人のゼスチャー大げさなゆえんですが、


「Amore,mio!」は、「わたしの愛する人」だけど、本当に愛情がいっぱい詰まったような韻でしょ。
逆に「triste」は、悲しい。言葉の持ってる韻までが悲しそうな響きを持ってる。



なぜこんなはなしをするのかというと、

こういう言葉を生まれたときからシャワーのように浴びて、

その土地で、そういう人々の中で生きるっていうことは、血だけじゃなくて、
そういう民族性を、心身ともに身に付けていくということ。

アイデンテティのひとつといって間違いない。

最近、個人のアイデンテティとかってテーマになるけど、

その人が暮らしてきた土地と人と言語、そういう風俗もアイデンテティの根幹を成してるって、忘れちゃいけない。




さて、前置きが超長かったけれども、日本語です。


外国籍の友人などが時々、日本語を聴いた印象を語ってくれるのですが、


「物静かで柔らかい」
「制御された精神」

などと、言ってくれます。

あー。確かに、日本の国民性あらわしてるよなー。と、思う。

彼女曰く、中国語はキャンキャンうるさく、攻撃的で嫌なのだと。


大陸の漢語文化は、我々の先祖が取り入れただけあって、ある程度評価すべき優秀な面は多い。


しかし、今聞く中国人の喋る漢語は、確かに無駄に口数多いし、周りを一切気にしない攻撃的な韻を多く含むことも事実だ。

綺麗な韻を踏む人は、それでよいのだが、そうじゃない場合は、それが民族性の短所表してるって言われても、否定はできないだろう。


日本語を聞かれて、「キャンキャンうるさくて、汚いイントネーションだよなー」

と言われない民になろう。




日本語のルーツとか話題は、これのつづきで。

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