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今日はリビングにて、仕事(内職)をしながら、EテレのN響を「チラ視」しているわけ
です。真剣味の低い視聴姿勢には反省の余地が「大あり」なんですけど、言い
たいのは、いま耳(目)にしているこれがバルトークの正しい再現たり得るのかな?
ということなんです。
奏法の発達とともに、「過去の楽譜」とはいえ、それをいまのテクニックで再現する
ことは正当と思います。しかしその根底は、作曲者が音符に託した想いを音として
具現化する、それを動機とすることだけが唯一の正解ですよね。いまEテレで視て
いるのは、美音なのだろうとは感じますが、作曲者が求めた(であろう)「きしみ」と
か、「ねじれ」とかいった要素は、汗ひとつかかずに再現される即物的な音の変化
にしか感じられませんでした。
(汗をかけばよい、ということではもちろんないのですけどね)
これはとても意味深なことなのです。例えば、シゲティ弾くプロコフィエフの協奏曲
など(テープでもLPでも)、映像がないのですから、独奏者の熱演する姿を見られ
るわけでもありません。にも関わらず、その献身的な音、フレーズ、それらを苦しみ
ながら生み出す奏者の姿、そんな「影絵」は強烈に眼前に像を結び、その臭気は
否を唱えることを許さないほどに、演奏の素晴らしさを聴き手へ届けるわけです。
ところが今、映像を(チラ視とはいえ)伴って体験しているものが、ただただ醒めて
「楽譜を音化した」ように感じた、っていうことなんで、これは私としては看過しがた
い。会場では、ソロのアンコールもあったようですが、「はい、そうですか」と今度は
こちらが醒めてしまいます。
うーん、本当にこのバルトークで「心を揺さぶられる」んですか??
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