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たまたま、なんです。ヴァントの名がようやく日本で知名度を得始めた頃、ケルン放送響
との最初の「第7」録音。そのLPから第2楽章を久しぶりに聴いたのです。終戦70年、日本 と同盟国であったドイツで、総統が死を選んだあとに「葬送」として放送で流された音楽、 そんな関連からではまったくなく、この2枚組LPから第2楽章の面に針を落としたのでした。 (落としてから、それが「歴史上そういう音楽であった」ことは思い出しました) このLPを初めて手にした頃に比べ、今まで多く同曲の演奏を体験しています。その経験 が曲の「実像」を創ってきたかといえば、実はそうではなかったかも知れません。あるイメー ジのもと久しぶりに聴くこの演奏が、極めてフレッシュで「純美なもの」に感じられたからで す。その良い例が、第2主題でしょう。ここは「第1ヴァイオリンの旋律を優美に撫でるよう に奏でる」か、朝比奈のように「対旋律であるヴィオラより低弦を強く、立体的に奏する」 という二つのスタイルが典型と思います。 ヴァント/ケルンは、というと、ここでは何の飾りっ気もなく、ぶっきらぼうと言えるほどゴツ ゴツと進めます。結果として、聴き手の耳は、旋律と、それを支える低い刻みを等分に 捉えるのであって、その立体感をまことに自然に感じられるのです。音楽でも絵画でも そうですけど、何かを強調することにより受け手へ強制的に伝えるやり方はありますし、 それが強い説得力を持ち得ることがあるのも事実です。しかし、ブルックナーの「語り口」 は、違いますよね。言いたいことの多くは、声高に叫ぶことはなく、静かに(しかし芯は強い) ぽつぽつとしたひとことひとことの中にあります。 いま聴いてみると、ヴァント/ケルンの演奏は、まさにそれを具現しているようなのです。 上では第2主題を例に挙げましたが、それ以外の場面でのテンポや強弱のさばき、それ こそはブルックナーがその語り口として表現したかったことのように感じたのです。 気がついてみれば、このLPを買ってから30年を超える時間が経ちました。終戦70年だから 「余計に感じた」ことはあるかも知れないけど、今は「より素直な耳」「先入観を排して聴く ことができる」のでは、と思いたいです。演奏者が心血を注いだこと、それに少しでも迫れ るよう、耳を澄ませて音楽に接したいと思うばかりです。 |

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