「シューリヒトの演奏」という振れ込みで入手したブルックナー「第6」が、若きハイ
ティンクがコンセルトヘボウ管を振ったものであったこと、それが素晴らしい演奏
であることは先日書いたとおりです。
そうなると当然、全集の他の演奏も聴きたくなりますよね。eBayに複数枚を出品
しているセラーがあったので、「第0」「第1」「第2」「第3」「第6」の5枚をいっき買い
しちゃいました。それにしても渋い、「小型」の曲ばかり。たまたまではあるのです
けど、これは朝比奈隆が1980年に複数のオケを振り東京カテドラル大聖堂で演
奏した曲と完全に相補的です。つまり朝比奈のブルックナー集は「第4」「第5」
「第7」「第8」「第9」と序曲(日ビクターから9枚組LPで発売)ですから、今回入手し
たハイティンクの5曲と合わせれば「ひとつの全集」が出来上がるわけです。
さて入手した5枚、これはひとつひとつゆっくりと書きたいと思います。というのは、
全体にとても高い水準の演奏であり録音であるからです。「軟弱」「愚鈍」という
評論をウノみにしこのレコードを遠ざけてきた自分としてはそのことが残念でたま
らず、改めてその優れた点・そうでない点を記録しておきたいのです。
ところでこの演奏をもし自分が1980年代に耳にしていたら、このような評価をでき
たでしょうか?答えはたぶんNOです。大きくは二つの理由を挙げたい。一つは近
年、ミスターSの実演を通して「リリシズムの際立つブルックナー」の美しさに開眼
してきたことです。確かに巨大に造形したり、目立つアゴーギグを散りばめたりし
た演奏は、ある意味とっつき易く分かり易い。そういった特徴を持ちながら優れた
演奏は多々あります。しかし危険なのは、それが耳にフィルターを作ると特徴に
乏しい演奏の真価を享受できなくなることだと思います。刺激の足りないことを演
奏に対する不満足に直結させるならば、それは麻薬患者の振舞いと何ら変わら
ない。かつての自分は確かに、アクの強いブルックナー演奏になじみ過ぎ、「とが
らない」演奏の良さは分からなかっただろうな、と反省するわけです。
もう一つの理由はもちろん、再生システムの能力の向上です。ブルックナーの法
悦は全強奏の中でも聴こえるさまざまな音型・響きである、とは某評論家の言葉
です。それが実際、いまの我が家のシステムでは、このハイティンク演奏のLPか
ら引き出せるのです。某氏は「優秀な録音によりただ聴こえるだけ」の音ならば
意味がないといいますが、このハイティンク演奏から聴こえてくるものはオケマン
が「楽譜に書いてあるから」「録音セッションで吹けば金になるから」といった態度
で鳴らした音には聴こえません。きちんとした理解と感情を伴いそしてそれは過
多ではなく、指揮者の統率のもと意図された、そしてブルックナーに相応しいバラ
ンスで響いていると感じられるのです。でも我が家で、こんな音をレコードから引
き出せるようになったのはごく最近のことでした。
したがって、ハイティンクの演奏するブルックナーへの開眼は、自分自身の成長
を象徴するものとして、とてもうれしく楽しいのです。指揮者の最初の全集録音が
1970年前後になされていたことを考えれば、それは私が小学生だったときのこと
なのですが、その音源がいまこうして50男に愉悦を与えてくれる。これを「最高の
趣味」と言わずして何と言いましょうか!?