|
【川田館跡】 評価
別 名: 川田陣屋
所 在 地: 甲府市川田町
築城年代: 寛正6年(1465)
築 城 者: 武田信昌
区 分: 館
現 状: 耕地・宅地
『甲斐国誌』「武田氏館蹟(川田村)」に「村北ニ里人御所曲輪ト唱ル所ナリ 地名ニ公用屋敷、舞台、女中屋敷、大庭、築地、サンフ、出水、久円、御厩、的場等アリテ皆耕田トナリ 封彊詳ナラズ 武田信虎未ダ躑躅ヶ崎へ遷ラザル以前累代ノ居館是ナリト云伝フ……。」とある。
寛正6年(1465)、武田信昌は甲斐守護代・跡部上野介景家を小田野城で討ち取り、川田館を築いたと『甲斐国誌』にあるが、『王代記』では、永正11年(1514)、武田信虎が築いたとある。
武田信虎の幼名は川田五郎であることから、信虎は川田館で生まれたと思われ、従って父である武田信縄も川田館に居たとする考えから、信昌・信縄・信虎の三代居館とする説が一般的ですが、『王代記』の記述も武田氏研究の点から無視できるものではなく、川田館の築城年代を特定することは難しい
永正16年(1519)、武田信虎は新たに躑躅ヶ崎館を築き移り住み、川田館は廃されています。
川田館北東部には笛吹川の旧流路である平等川が流れ、平等川から引水した水路の分水点がある。この水路が川田館の周囲の堀を満たしていました。
笛吹川はかつては「暴れ川
館は東西170〜230m、南北110mの規模と推定され、その周囲を堀が取り囲んでいたとされる。御所曲輪の北辺には石垣があるが、これは近年のものと思われます。
また、この地には江戸時代中期の寛保2年(1742)から宝暦9年(1759)、陣屋が置かれていた。陣屋支配は5万石であるが、この陣屋を治めたのがだれであったのか?手持ちの資料を探しては見たのであるが……不詳
今は葡萄畑で表面上に遺構は残っていない(案内板があるから良いのです
「あの武田信虎が躑躅ヶ崎館に移る前にこの場所に居たんだぁ
〔参考資料〕
甲斐の山城と館 上 北部・中部編 宮坂 武男著 戎光祥出版
徳川幕府領の形成と展開 和泉 浩司著 同成社
戦国の猛虎 武田信玄 萩原三雄・秋山敬 編 新人物往来社
甲斐 武田一族 柴辻 俊六著 新人物往来社
|
全体表示
[ リスト ]






信玄お父さんの館と言う事で訪れたくなりますよね。
TBさせて頂きます。
2015/6/20(土) 午前 9:46
るなさん、有難う御座います
川田館跡はマニアックな城館ですが、信虎の居館ということで歴史の息吹きが感じられる場所ですよね
2015/6/21(日) 午後 3:49 [ 日本史跡研究会 ]
「躑躅が崎の館」が《広さは周囲の堀を含めて東西約200メートル・南北約190メートル、面積は約1.4万坪(約4.6万m2)と推定される》なので東西219メートル南北190メートルの「川田館」とまったく同じサイズで、この二つの館は双子の兄弟なのだ(「躑躅が崎の館」はその後信玄、勝頼により大幅に敷地が拡張されており、初期の長方形では無くなっている)。
それだけを見ても「川田館」が、ただの信玄以前の武田氏居館ではなく、甲斐の首府として計画されたことが分かる。
1519年の躑躅が崎移転後も維持はされていたらしく、1582年織田信長軍の戦火により焼失しています。
2017/3/19(日) 午後 1:37 [ 住民 ]