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【南牧関所跡】 評価
別 名: ―――
所 在 地: 甘楽郡南牧村砥沢
築城年代: 永禄4年(1561)
築 城 者: 武田信玄
区 分: 関 所
現 状: 宅 地
永禄4年(1561)5月6日、武田信玄は交通の要地であり、砥石の名産地である砥沢の地の守りを固めるように砥沢城主・市河氏に厳命し、関所を設けたという。
『上野国郡村誌』には、「南牧関址、天文永禄ノ間、赤石橋番場ト云フアリ、今ノ蝉橋是ナリ。武田信玄此国ヲ略セシ寸、羽沢村市川真英ノ祖土豪ヲ以テ常ニ之ヲ守ル。徳川氏ノ時因テ遂ニ之ヲ守リ南牧廿一村ヲ以テ之二属ス」と記述されており、当初関所は、現在の群馬県指定名勝である「蝉の渓谷」に架かる蝉橋付近に設けられていたようである。
文禄2年(1593)、徳川家康は関東防衛の賢策として砥沢関所の守りを固め、更に慶長12年(1607)、徳川幕府は諸国五十三関所の一つとして、市河氏に関守を命じている。
寛保2年(1742)8月、豪雨災害
慶応4年(1868)8月、関所廃止令によって廃止されている。
南牧川の左岸にあり、背後の山との間が極めて狭い所を道が通過しており、関所を設けるには適した場所である。
ここを押さえれば上信国境の大上峠・余地峠・田口峠・星尾峠の各峠越えの街道の監視をすることが可能となる交通の要衝でした。
今でも信州臼田へ抜ける街道ではありますが……道幅は狭くなかなか困難な道。しかし、交通量はさほど多くもないので快適なドライブは可能かと思います(ただし、スピード超過には十分に気を付けて下さい
石碑には砥沢城主であり、砥沢関所守であった市河氏の御子孫の詠懐が刻まれています。
市川氏御当代は、南牧歴史研究会の会長を務められており、南牧村の城郭を研究されています。
〔参考資料〕
信濃をめぐる境目の山城と館 上野編 宮坂武男 戎光祥出版
群馬県の中世城館 群馬県教育委員会
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本日ツーリングで、丁度この場所で電柱の設置工事の為30分ほど待たされた際に石碑を発見。交通整理の方と「関所があったのですね」と驚きました。帰宅後検索してこちらにたどり着きました。
丁寧なご説明有り難うございます。勉強になりました。
2019/6/4(火) 午後 7:30 [ フュージョン ]
フュージョンさん、本ブログがお役に立ったのでしたら幸いです。
2019/6/5(水) 午後 5:02 [ 日本史跡研究会 ]