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【碓氷峠鉄道施設】
所在地: 安中市松井田町坂本
(「碓氷第三橋梁」…通称「めがね橋」)
碓氷峠鉄道施設は様々な施設の総称である。今回は「碓氷第三橋梁」と「碓氷第六橋梁」をご紹介します。
明治4年(1871)、東京〜京都を結ぶ幹線鉄道として調査が開始され、明治17年(1884)、日本鉄道会社によって上野〜高崎間が開通。
明治18年(1885)、高崎〜横川間が官設鉄道として開通するが、碓氷峠を越えるルートの選定は技術的な困難が予想されることから難航
その後、上野〜直江津間を結ぶこととして計画変更され、峠越えルートも横川〜軽井沢間を最短距離で結ぶ急勾配の碓氷峠と決定された。
横川〜軽井沢間は11.2㌔だが、標高差が552.5mである。
工事は明治24年(1891)3月19日に開始され、明治25年(1892)12月21日に完成している。工事完成までに20数人が事故や病気によって亡くなったといわれる。
11.2㌔の間には26のトンネルと18の橋梁が造られた。開業当時はアプト式(急勾配区間に用いられ、本来の二本のレールの真ん中に歯の付いたラックレールを敷き、機関車側に取り付けた歯車と組み合わせることで不足する制動・駆動力を補った)蒸気機関車による峠越えであった。
しかし、トンネル内での煤煙を考慮し、明治45年(1912)、日本初の電気機関車による電化が行われている。電化に際して電力供給のため横川に火力発電所が造られ、丸山・矢ヶ崎に変電所が造られている。
そして増え続ける大量輸送需要を満たすには限界があった路線は、昭和38年(1963)、新線が開通したことでアプト式は廃止され、一部が下り線として改修され碓氷線が複線化された。
平成9年(1997)、高崎〜長野間での新幹線開通に伴い、保線管理の困難さ・補助機関車付け替え・整備の人件費や維持費負担増もあって横川〜軽井沢間は廃線となり、その歴史に幕を閉じたのであった。
(「第6橋梁」)
現在、横川駅前には「鉄道文化村」が開業して、碓氷峠鉄道施設見学の散策コースが整備されている。さらに旧18号碓氷バイパス沿いには「めがね橋駐車場」と「丸山駐車場」が新たに整備され、世界遺産登録に向けた取り組みが行われています。
(参考資料)
安中市の文化財 安中市教育委員会
現地案内板
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こんにちは、
ここは正に日本の産業遺産そのものですね。
難工事の上に維持管理も大変で、トンネルの中に機関車が脱線した傷跡が今でも残っているから是非見てくださいと教えてくれたのは、JRの部長さんでしたが。
高崎鉄道管理局が置かれたの、この路線の維持管理のためとも教えてくれました。当時の鉄道マンの心意気が伝わって来るようですね。
2018/3/31(土) 午後 3:47 [ bmw1100rs1 ]
bmw1100rs1さん、なかなか良いお話をお聞きになったんですね。
鉄道の歴史は日本近代化の歴史にも繋がりますね。もしこの路線が京都までの幹線路線となっていたらと考えると面白い歴史遺産です。
2018/3/31(土) 午後 4:29 [ 日本史跡研究会 ]
トンネル内に脱線事故の傷跡ですか!
次回に歩くときに確認したいとおもいます。
トラバさせて下さい。
2018/3/31(土) 午後 6:08
素晴らしい文化財ですね。
明治の人間の「意気」を感じます。
「熊の平駅」もゾクゾクしていいです。あそこ何かいます。
後で聞いたら大事故があり、多くの人が亡くなったとか。
2018/3/31(土) 午後 6:12 [ あおれんじゃあ ]
yossyさん、トラバ有難うございます。
今度確認してみて下さいね。
2018/3/31(土) 午後 7:31 [ 日本史跡研究会 ]
あおれんじゃあさん、熊の平駅も駐車場整備のおかげで訪れやすくなったみたいですよ。
碓氷峠にこれほどまでの大事業ですから、多くの人の犠牲があったようで20数人とは言っておりますが、もっと多かったのかもしれませんね。
2018/3/31(土) 午後 7:35 [ 日本史跡研究会 ]