日本史跡研究会 日々の徒然・改(埋もれた歴史を訪ねて)

全国各地の埋もれた史跡をご紹介致します。また、研究会活動についてもご紹介しております。

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 群馬県立歴史博物館、次回は第99回企画展『集まれ!ぐんまのはにわたち』

 7/13(土)〜9/1(日)までの期間となります。


 昨年大好評だった「群馬HANI-1グランプリ」。第一位の笑う埴輪をはじめ、上位10位のうち6点、全エントリー中30点以上の埴輪が群馬県立歴史博物館に大集結

 また、今回の目玉は…今まで専門家にすら知られていなかったという奈良国立博物館蔵の幻の人物埴輪が東日本初公開
 発売される図録にも本邦初登場という今から待ちきれない企画展となっております。


 とりあえず、今回は2か月前の事前告知です

 関連事業にも興味惹かれるものが盛りだくさん。こちらも随時ブログ内で御紹介してまいります。


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 群馬県立歴史博物館で絶賛開催中の第98回企画展『大新田氏展』

 去る5/19(日)に前期展示が終了し、6/16(日)までの期間は後期展示となっております。

 
 今日は後期展示を拝見してまいりました。運よく右島館長にもお会い出来て、お話伺うことが出来ました。

 本当に企画展、おかげさまで連日(平日であっても)多くのお客様にご覧になっていただけているようです。


 後期の見どころは、国立歴史民俗博物館蔵「太平記絵詞 上巻」や東京大学史料編纂所蔵「近江寺衆徒軍忠状」などの古文書でしょうか。

 
 博物館展示は何度も見ることで理解が深まることも多々あります。

 会期もわずかとなってまいりましたが、まだご覧になっていない方がいらっしゃいましたら是非お出かけ下さい。


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 大正12年(1923)、関東大震災の復興を進める中で、何かハマ(横浜)の名物や土産になるものはないか?と考えられ、日本画家・牛田鶏村氏がデザインし、大正13年(1924)、村沢春吉氏によって作製されたのが始まり。

 港町・横浜にちなんだ可愛らしいデザインの土人形で、現在では社会福祉施設で作製されています。


 各地の伝統工芸品は次第に衰退していますが、こうして今も細々と作製されている場所があるのは嬉しいことです。


 今日は令和となって初の科目修得試験が横浜関内で行われました。

 前回しくじった『平安文学論』今回こそはとリベンジを誓って受験してきました。


 はぁまた今回も微妙やねぇ

 10題の設問中、一二を争うハイレベルな難題が当たっちゃいましたぁ。


 それでも、必死に50分間の試験時間、問題に食らいつきましたよ。可能な限り学んだことをひねり出して回答してみました。


 がっ、結果はどうなるかは???

 これまで何度も顔を合わせている学友に聞いてみたところ、『平安文学論』の試験はかなり厳しい教科という。

 今回だったら、次回は『東洋史概論』受験しよ〜っと。


 でも、なんとか合格してないかなぁと淡い期待を抱いています。


 試験終了後は、せっかく関内に来たからということで、神奈川県立歴史博物館を見学

 本当は散策したいところですが…5月末でこの気温、異常ですねぇ。

 したがって、歴博をゆっくり2時間余見学して、気持ちをリセット

 
 さて、一つの節目が終わったから、次次っと


  【小菅御殿跡】               評価 

   別   名:       千住御殿
   所 在 地:  葛飾区小菅1−35−1
   築城年代:    元文元年(1736)
   築 城 者:       徳川吉宗
   区   分:       御 殿
   現   状:      東京拘置所


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 寛永年間(1624〜1644)、徳川家光によってこの地は関東郡代・伊奈忠治に下賜され、敷地面積18,000坪の広大な下屋敷が構えられた。

 忠治は当時、武蔵国北部の土木工事を担っており、事業遂行のためこの地を与えられたものと思われる。


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                           ( 「小菅御殿の石灯篭」 )

 元禄12年(1699)、徳川綱吉は、側用人であり老中格であった柳沢吉保に伊奈氏の屋敷地を下賜し、吉保に御囲を構えさせたという。

 御囲とは、生類憐みの令における御犬様のためのものであり、御犬様に伊奈氏は屋敷地を没収されたということになろうかと思う。


 しかし、生類憐みの令は綱吉死後には廃止され、享保元年(1716)、伊奈氏に屋敷地は返還されている。

 元文元年(1736)、徳川吉宗の命によって、葛西方面での鷹狩りの際の休息所として御殿が築かれ、小菅丸という豪華な遊覧船で墨田川から綾瀬川へ上がり、水戸橋の水門あたりから水戸佐倉街道を経て、御殿に通ったという。


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                            ( 「小菅御殿 水堀跡」 )

 その後、徳川家重もたびたび御殿を訪れたが、寛保2年(1742)、御殿は焼失

 将軍の御成もほとんど無くなり、さらに寛政4年(1792)、伊奈忠尊の代にお家騒動によって伊奈氏が改易されると、寛政6年(1794)、御殿は取り壊されている。

 天保3年(1832)、松平定信は広大な屋敷地跡に江戸町会所の籾蔵を設置している。

 明治維新後には、小菅県役所が置かれ、廃藩置県後には民間に払い下げられ、民間初の洋式煉瓦工場が設立されている。


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                    ( 小菅にあった煉瓦工場を偲ばせる説明板 )

 明治11年(1878)には小菅監獄となり、現在に至るのである。


 東京拘置所となった今、なかなか足を運ぶのをためらってしまう城館址ではないだろうか?

 しかしながら、拘置所の周囲には小菅の歴史を語る説明版が多く設置されており、江戸から現代の歴史を感じることの出来る場所である。

 とはいうものの、この地を訪れるならば、世間を騒がせるニュースが無い時が望ましいのと思う。また、興味本位でも拘置所入口には近づかない方が良いと思われる。


 (参考資料)
  日本城郭体系 5 埼玉・東京                         新人物往来社
  現地案内板
 

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