日本史跡研究会 日々の徒然・改(埋もれた歴史を訪ねて)

全国各地の埋もれた史跡をご紹介致します。また、研究会活動についてもご紹介しております。

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 平成31年4月21日(日)。平成から令和へと元号が変わるまであと9日ということで、日本史跡研究会平成最後の研修と相成りました。

 通常、日本史跡研究会研修は事前に(通常2ヶ月余前)通知して開催にこぎつけるのですが…。

 今回は総会資料作成や会報記事作成など様々なことが積み重なっており、急遽開催となってしまいました当日配布する資料もやっつけ仕事的でちょっと貧相な感じになってしまいましたが、活動を行うことが第一義。


 ということで当日午前八時半にJR上野駅中央改札口前に集合。さて、スタートです。

 地下鉄日比谷線で北千住駅まで先ずは移動


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  甲良屋敷跡                       足立区千住旭町10−31

 近江國犬上郡法養寺村(現在の滋賀県犬上郡甲良町)出身の甲良氏は、初代・宗広から11代・棟隆まで江戸幕府に大棟梁として仕え、江戸城や日光東照宮などの造営に関与しています。

 寛文10年(1670)、3代・宗清の別邸として現在の千寿常小学校一帯に屋敷を構えています。


 周辺に弁財天堂が残ると現地説明板に書かれていたので探索するも、既に失われてしまったようです(しっかりと交番でに住所聞いて訪れましたから宅地開発で失われたのでしょう)。


 再び北千住駅に戻り、一駅移動。東京拘置所のある小菅駅で下車


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  小菅御殿跡                       葛飾区小菅1

 元文元年(1736)、徳川吉宗の命によって葛西方面での鷹狩りの際の休息所として御殿が設置されている。

 寛保2年(1742)、焼失し、寛政6年(1794)、取り払われています。


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 東京拘置所が御殿跡であり、周囲には「小菅籾蔵跡」の説明板などがありますから、一つ一つ確認しました。

 「そ〜いえば、ゴーンさん今いるんじゃない」と思いましたが、拘置所に近づくのは憚られましたのでやんちゃは止めときました冗談では済まされない事態になりかねませんからね。


 小菅駅に戻り、数駅先の竹の塚駅まで移動

 こう考えると、某TV局の某番組っぽい。サイコロ振ればの話ですが…。「あっ、そうした史跡巡りも面白いかもしれませんねぇ。今度考えてみようかなぁ


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   白旗塚古墳                          足立区東伊興3−10−14

 江戸時代後期に描かれた『日光道中分間延絵図』には、伊興古墳群を構成していた8基の古墳が描かれ、白旗塚古墳はそのうちの一基である。

 直径12m、墳高2.5mの円墳で6世紀前半の築造と推定されているが、発掘調査は行われておらず詳細は不明。

 
 白旗塚史跡公園に存在する古墳で、『新編武蔵風土記稿』には、源義家が奥州征伐に向かう途中、この地で白旗をなびかせて戦ったという逸話が記載されている。

 
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 都会の喧騒を忘れさせてくれる良い公園です。子供たちが流れる川に無邪気に入っていましたが…まだ冷たいんじゃない

 ここから東伊興の史跡巡りを何か所か訪れますが…それは次回に。

                                                           その2 に続く


 平成も残すところあと9日となりました。日本史跡研究会、平成最後の研修を昨日開催し、無事に終了致しました

 急遽開催したにも関わらず、いつものメンバー集結し、なかなか訪れることのなかった東京都足立区を行ったり来たりしてきました。


  ●  甲良屋敷跡                 足立区千住旭町10−31

    江戸城や日光東照宮の造営に携わった甲良氏の屋敷地は、小学校となっております。

    小学校正門前に石碑があるだけでも嬉しい限りです。


  ●  小菅御殿跡                 葛飾区小菅1

    現在の東京拘置所が御殿跡であり、水濠の一部が残されています。

    そ〜いえば、今はGさんが居るんでしたねぇ。


  〇  白旗塚古墳                 足立区東伊興3−10−14

    伊興古墳群を構成していたと推測される白旗塚古墳。公園の中にありました。

    墳丘は削られてしまったのか、あまり古墳らしさを感じられなかったなぁ。


  〇  塩原太助の墓                足立区東伊興4−4−1

    以前、沼田での研修の際に生家を見た塩原太助。その墓は史跡指定されているのだが、境内の片隅に
    忘れ去られたようにあった。

    盛者必衰ということであろうか。寂しさを感じてしまう。


  〇  伊興遺跡                    足立区東伊興4−9−1

    都内でもまれな古墳時代の祭祀遺跡として知られる。遺跡公園となっており、遺物を展示館で見学

  
  〇  桂昌院の墓(本庄家の墓)          足立区東伊興

    これは当初の予定には無かった。伊興遺跡見学後に別ルートを通ったのが正解ということだろう。

    
  〇  西新井大師                   足立区西新井1−15−1

    関東三大師の一つ。境内をゆっくり散策したかったところではあるが、境内では賑やかに「花まつり」が開
    催されており、多くの出店があった。

    これはこれで良いのだろうか?また別の機会に境内を散策することにした

 
  〇  足立区郷土博物館                足立区大谷田5−20−1

    今回の研修の最大の目的は、現在開催中の企画展『戦国足立の三国志―宮城氏・舎人氏・武蔵千葉氏
    ―』を見学する事。

    丁度、講演会が開催されており、その資料もいただいてきた。

    
 平成最後の研修は何とも慌ただしいものとなってしまった

 しかし、こうしたことも良い経験であり、今後の活動の糧となると思う。

 平成から令和に元号が変わっても、日本史跡研究会としての活動には変わりはないのですから


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 群馬県富岡市の宮崎公園内にある国指定重要文化財である「旧茂木家住宅」において、平成31年度企画展『戦国時代のお城展〜茂木家住宅ととみおかの城〜』を見てきました。

 最近、めっきりお城探索からは足が遠のいていますので、たまにはお城に関する企画展でも見て気分転換

 遺物展示は少なかったですが、良い気分転換になりました


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 でも、やっぱり実際に城館跡巡りたいっす明日は久々の研修でいくつかの城館跡巡れるから、通算攻略城館数もするな。

先ずはひとつひとつ!


 今日も午後からはバタバタ動き回っていました。

 群馬県立歴史博物館企画展『大新田展』ポスター掲示を2店舗ご協力いただけたことで、ポスター残部切れ


 慌てて群馬県立歴史博物館に向かいましたが…展示替えのために本日まで休館

 しか〜し、奇跡は起こるんです

 群馬県立歴史博物館・深澤さんが運よく、本当に運よく外にいらっしゃいましたぁ

 おかげで、ポスター補給完了これで、まだまだ掲示依頼が出来るようになりました


 これで先ずは一つ、用事は終わりました。


 次にトナー残が無かったので、トナー購入これで、21日の研修資料をコピー完了

 これで用事はまた一つ片付きました

 続いて、会報のコピー続きに取り掛かりましたが…カラートナーがぁまた、改めて買いに行かねばなりませんなぁ


 そんなこんなで間もなく夜

 今夜は『平安文学論』科目修得試験にむけて、再度の試験解答作成に取り組みます。


 本当に毎日毎日バタバタしていますが、これもリア充って言うのかなぁ

 彼女作って、リア充ってのが目下の最大の課題のような気もするんだけどなぁ


 よぉし、令和になったら頑張ろって、毎年おんなじことを言ってるような…。


  【若槻環濠跡】           評価  

    別   名:   若槻平城・若槻塁
    所 在 地:   大和郡山市若槻町
    築城年代:  文正元年(1466)頃
    築 城 者:
    区   分:       平 城
    現   状:     天満神社・宅地


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 大和盆地には濠で周囲を取り囲んだ環濠集落が数多く形成し、『日本城郭体系』ではその数224としています。
 若槻環濠は「稗田環濠」と並び、環濠集落としての景観を良く残していることで広く知られます。


 形成時期については諸説ありますが、13世紀中頃から耕地拡大のため集落が形成され、灌漑設備を兼ねて集落の周囲に濠を巡らせるようになったと考えられています。

 環濠形成過程や変遷は『若槻庄土張』に記され、文正元年(1466)頃とされます。

 14世紀に入り、戦乱の世となると、環濠に軍事的な要素が加わり、城郭としての機能が強化されることになります。

 『郷土記』には若槻平城、当時の一級史料である『大乗院寺社雑事記』には若槻塁と記載され、世間からも城郭と認識されていたことが明らかとなっています。


 具体的に若槻環濠が戦国期にどのような役割を果たしたのかは不明ですが、文禄4年(1595)、東西に長い環濠集落が形成されていたと記されていたことから、戦乱の世でも機能していたと思われます。


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                            ( 現在の若槻集落 )

 大和郡山市HPにも環濠集落としてしっかりPRされている「若槻環濠および集落」ですが、駐車場は無いので訪問する際には注意が必要です。

 環濠自体も天満神社周辺で確認出来るが、集落内の環濠は用水路となってしまっている。

 しかしながら、奈良盆地の環濠集落の大多数が遺構としての環濠の確認が容易ではなく(用水路になってしまている場所だらけである)、この若槻環濠は良い遺構が残されていると言って良いだろう。


 奈良盆地の集落を考察する上でも、貴重な集落であるので訪れる価値は高いと思う。


 (参考資料)
  日本城郭体系 10 三重・奈良・和歌山                 新人物往来社
  現地案内板


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