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【伏見桃山御陵】
所在地: 京都市伏見区桃山町古城山
明治45年(1912)7月30日、第122代天皇・明治天皇は東京の宮城である明治宮殿で崩御された。
同年9月13日、東京・青山の帝国陸軍練兵場(現在の神宮外苑)において大喪儀が執り行われた。そして、翌日にはこの地に埋葬されている。
この地に陵墓が築造されたのは、明治天皇の遺言によるもので、墳丘は古式に範を採った上円下方墳で、下段方形壇の一辺は約60m、上段円形部高は約6.3m。表面はさざれ石で葺かれている。
方形の墓壙を掘って内壁をコンクリートで固め、その中に木棺を納めた。槨内の隙間には石灰を敷き、石蓋をしてコンクリートで固めたという。
明治天皇は、孝明天皇と同様に火葬にせず、天武天皇以前の古制を取り入れている。
なお、その後の宮内庁の調査によれば、円丘部は円形ではなく、八角形であることが判明している。
この地は宮内庁によって陵墓指定されていることから、調査することは難しいが、豊臣秀吉によって築かれた「木幡桃山城址」であり、陵墓のある場所は本丸に位置する。
桃山城には「指月伏見城」と「木幡伏見城」と二つ存在していることは、ようやく世に広く知れ渡ってきた。しかしながら、未だに伏見桃山キャッスルランドの模擬天守が建っている場所が城跡だと思っている人も少なからず居ることは残念なことである。
もっと世に「伏見桃山御陵」=木幡桃山城址であることを周知しなくてはならないと感じる。
(参考資料)
現地案内板
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