日本史跡研究会 日々の徒然・改(埋もれた歴史を訪ねて)

全国各地の埋もれた史跡をご紹介致します。また、研究会活動についてもご紹介しております。

京都府の城館跡

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  【会津藩駐屯地跡】          評価  

   別   名:        ―――
   所 在 地:  京都市伏見区大阪町609
   築城年代:     慶応4年(1868)
   築 城 者:       松平容保
   区   分:        陣 所
   現   状:    東本願寺伏見別院


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 慶長年間(1596〜1615)、東本願寺第12世法主・教如によって「伏見御堂」が創建された。一説では慶長8年(1603)とも伝わります。

 寺域は徳川家康によって寄進されたものであり、本堂には向島城殿舎の遺構が移築されていたという。残念なことに本堂は平成2年(1990)に老朽化によって取り壊されている。現在は山門と鐘楼が残されているのみです。

 慶応4年(1868)1月2日、会津藩の先鋒隊約200名が伏見御堂を宿営地として布陣します。

 翌3日、鳥羽・伏見の戦いは勃発会津藩兵は本堂の畳を盾として薩摩軍と銃撃戦を繰り広げたとされます。


 この戦いによって建物は大きな被害を被り、明治18年(1885)、建て替えられています。しかし、前述の通り、老朽化で解体されましたが、平成26年(2014)3月、本堂・庫裏が再建されています。


 伏見はなかなか面白い街である。木幡桃山城の城下町も町名からどの大名が屋敷を構えていたのかがわかりますし、幕末動乱の史跡も多い。

 また、酒蔵の風情も良いものがある街であり、一日ゆっくりと散策するのにお薦めしたい街だと思う。


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 そんな伏見の一角にあるのが、「会津藩駐屯地跡」である東本願寺伏見別院である。向島城の遺構が残されていれば…とも感じるが、鳥羽伏見の戦いの激しい戦いが本堂を痛めていたのであろう。
 だが、鳥羽伏見の戦いに思いを馳せることの出来る史跡として注目すべき場所だと思う。


 (参考資料)
  新選組と幕末の京都                         ユニプラン
  現地案内板


  【伏見奉行所跡】      評価  

   別   名:     富田信濃守邸
   所 在 地:  京都市伏見区西奉行町
   築城年代:    寛永9年(1632)
   築 城 者:      江戸幕府
   区   分:       奉行所
   現   状:        宅 地


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 伏見奉行は伏見及び八ヶ村の政務を行っている。訴訟に関しては京都町奉行・奈良奉行・大津奉行とともに京都所司代の監督下に属していました。

 伏見の地は、伏見城廃城後も宿場町として栄え、西国から京へと入る伏見街道・竹田街道、山科から東海道に合流する地点で、交通・経済の要衝であった。


 そうしたことから、慶長5年(1600)、関ケ原の戦いの後に、松平下野守忠吉の支配下となり、伏見奉行所を設置し、忠吉の部下が奉行を務めている。
 元和9年(1623)、小堀遠江守政一が伏見奉行となっているのだが、この時までの奉行所は清水谷(桃山御料石段下付近)に存在している。


 寛永2年(1625)、富田信濃守邸址のこの地に奉行所は移転し、寛永9年(1632)、奉行所は完成している。

 安永8年(1779)に着任した小堀和泉守政方は、天明5年(1785)、伏見義民と後に称される町民達によって悪政を直訴され罷免されている。


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                      (「御香宮神社」境内にある「伏見義民事績」)

 天保8年(1837)、元大坂町奉行所与力・大塩平八郎の乱の際の応援や、安政6年(1859)、坂本龍馬を寺田屋に捕縛に出動するなど、伏見奉行所が関わった歴史的事績は多い。

 慶応3年(1867)、奉行所は廃止されるのだが、慶応4年(1868)、鳥羽伏見の戦いの際には、会津藩兵や新選組が奉行所跡に布陣したことから、御香宮に陣取った薩摩藩兵から砲火が浴びせられ、奉行所は灰燼に帰している


 今は石碑が残るのみであるが、伏見を散策する際には訪れたい場所である。寺田屋事件の舞台が意外と近く感じることができ、歴史を感じられる。

 
 (参考資料)
  徳川幕府領の形成と展開          和泉清司         同成社
  新選組と幕末の京都                            ユニプラン
  現地案内板


   【伏見土佐藩邸跡】            評価   

    別   名:    松平土佐守屋敷
    所 在 地:   伏見区南浜町248−4
    築城年代:
    築 城 者:        山内氏
    区   分:        屋 敷
    現   状:        宅 地


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 寛文10年(1670)の『山城国伏見街並近郊図』に「南浜三丁」とあり、その東部に松平土佐守屋敷と記されていることから、それ以前に構えられたことは明らかである。

 『伏見大概記』によれば、土佐藩は塩屋町で3軒分、南浜町で1軒分の町役(物や労働力を負担する税金)を負担していたことが明らかとなっており、藩邸には藩主や正室・側室・腰元らが生活する御殿はなく、藩士の生活・労働の場としての役割であったと考えられます。

 慶長4年(1868)、鳥羽・伏見の戦いの際、土佐藩士は藩邸警備に当たっていたが、土佐藩第15代藩主・山内容堂は「このたびの戦争は薩摩・長州と会津・桑名の私闘であるから、沙汰あるまでは戦争に加わることを禁ず」と命じていたという。

 だが、土佐藩大目付・板垣退助は「京で事が起これば、黙って薩摩と行動を共にせよ」と密命を出していた。これによって、藩士の一部は藩主の命令を無視して参戦

 戦後、山内容堂は「復古討賊に大功あり」として、朝廷から称賛されたのであるが…実際は容堂は開戦には同意していなかったのである。

 この容堂の態度が、後に薩長藩閥政治の遠因となっている。土佐藩で新政府要職に就いたのは後藤象二郎・板垣退助ら少数にとどまり、その後藤・板垣も征韓論で下野し土佐藩の新政府での地位低下を招くこととなるのである。


 この「伏見土佐藩邸跡」の石碑はNHK大河ドラマ「龍馬伝」の放送前に建立されている。NHK大河ドラマの影響は大であり、これまで何も設置されていなかった場所にある日突然案内板などが建つ。これは史跡巡りをする上では非常に有難いことであるが、放送後は見向きもされなくなり荒れ果てていく現状は今後考えていかなくてはならない課題であると思う。


 (参考資料)
  現地案内板


  【淀城跡】             評価  

   別   名:     てん城・新淀城
   所 在 地:  京都市伏見区淀本町158
   築城年代:     元和9年(1623)
   築 城 者:      松平定綱
   区   分:        平 城
   現   状:      淀城跡公園


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 『徳川実記』によれば、木幡山伏見城廃城に伴い元和9年(1623)8月、徳川秀忠は松平定綱を淀3万5千石に封じ築城を命じたという。『淀下津町記録』によると河村右衛門屋敷跡に築かれたという。

 『淀古今真佐子』によれば、廃城となった木幡山伏見城の資材を転用し、二条城の天守を移築したとされ、寛永2年(1625)、ほぼ完成している。

 寛永3年(1626)6月に徳川秀忠が、8月には徳川家光が淀城の縄張りを調査したようである。

 寛永10年(1633)、松平定綱は美濃・大垣に移封となり、替わって永井尚政が10万石で入封。城下町の拡張と侍屋敷の造営がなされている。

 寛文9年(1669)、石川憲之が入封。正徳元年(1711)、戸田光凞が入封。享保2年(1717)、松平乗邑が入封と目まぐるしく城主が替わっている。

 享保8年(1723)、稲葉正知が10万石で入封すると、以後幕末まで稲葉氏が城主を務めている。

 宝暦6年(1756)、落雷によって天守や建物の大半が焼失幕府は再建のために1万両を貸し付けたが再建はされていない。

 慶応4年(1868)、鳥羽・伏見の戦い前夜の元旦、淀城は幕府軍の宿泊所となり、2日この地から出陣している。

 しかし、新政府軍の圧倒的な火力の前に幕府軍は敗走を余儀なくされ、5日には淀城へと敗走するだが、老中として江戸参府していた稲葉正邦の不在に賊軍となった幕府軍を家臣たちは入城を拒否 

 城門を閉ざされ幕府軍は淀城下に火を放ち、敗走している。その後、淀城は廃城となったが、海軍検閲のため大坂に行幸した明治天皇が途中休憩し、京都へ還御した際には宿泊している。


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 宇治川・桂川の合流地点に淀城は位置し、古来から交通の要衝であり、一大商業地であったことから軍事的にも重要な地であった。

 このような地であるから、幕府は一門や譜代大名を入封させ、天守や御殿が焼失した際には1万両もの大金を貸し与えていた。

 しかし、そんな淀城が幕府軍を拒み、幕府軍を敗走させたというのは歴史の皮肉というべきであろう。


イメージ 3


 (参考資料)
  日本城郭体系 11 京都・滋賀・福井                             新人物往来社
  近畿の名城を歩く  滋賀・京都・奈良編      仁木宏・福島克彦編         吉川弘文館
  新選組と幕末の京都                                        ユニプラン
  現地案内板


  【淀古城跡】       評価  

   別   名:     藤岡城・淀城
   所 在 地:  京都市伏見区納所北城堀
   築城年代:      室町時代
   築 城 者:      畠山政長
   区   分:       平 城
   現   状:     妙教寺・宅地


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                          (妙教寺境内にある城址碑)

 室町時代、畠山政長が畠山義就への備えとして築いたとされる。『東院年中行事』に、文明10年(1478)8月1日の条に「山城守護代遊佐弾正(中略) 神保与三左衛門淀へ入部す」と記されており、これが淀古城の文献上の初見である。

 その後、幕府管領・細川政元が入城したとされ、明応2年(1493)以降、細川氏が山城を掌握すると、摂津・河内の抑えの城として重視された。


 永正元年(1504)、細川政元と槇島城主・赤沢朝経が対立。細川家被官摂津守護代・薬師寺元一に槇島攻略を命じるが、それを知った畠山尚順が淀古城攻略の軍勢を向けた

 政元は薬師寺元一・長忠兄弟、香西元長らを入城させるも、薬師寺元一は細川氏に反旗を翻し、細川澄元を擁立し淀古城に籠城。援軍として山城国人衆・赤沢軍が入城。

 薬師寺長忠は兄と袂を分かち、香西元長とともに淀古城を攻略しています。四宮長能は自害、元一は京で自害している。この一連の戦いは【第一次淀古城の戦い】と称されている。


 永禄2年(1559)、三好長慶が京を制すると、細川氏綱を入城させている。

 永禄7年(1564)、氏綱が死去すると、三好長慶の甥である三好義継が城主となる。

 その後、松永久秀が実権を握ると、松永久秀配下が城主となったようであるが、名は伝わっていない。

 永禄9年(1566)7月、三好三人衆によって攻略されると、三好長逸配下・金子某が城主となったようである。

 永禄11年(1568)、織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると、織田勢によって攻略され落城


 元亀4年(1573)、足利義昭は信長に対して挙兵三好三人衆の一人・岩成友通が呼応し淀古城に籠城。

 信長は木下秀吉・細川藤孝に出陣を命じた。秀吉は番頭大炊頭吉元・諏訪飛騨守を調略。

 友通は両名の進言に従い、城外で奮戦するも、細川藤孝配下・下津権内に討ち取られています。一連の戦いは【第二次淀古城の戦い】と称されます。

 
 天正10年(1582)、本能寺の変の後に、明智光秀が城の改修を行ったと『兼見卿記』に記録され、山崎の戦いでも利用されたようである。

 天正11年(1583)、豊臣秀吉が天下をほぼ手中に収めると、弟・秀長に命じて城郭を大修築し、秀吉の側室である茶々を城主とした。これが茶々=淀君と呼ばれる由縁である。

 茶々はこの地で秀吉嫡男である鶴松を出産するも、天正19年(1591)、鶴松はわずか三歳で早逝。

 その後、文禄の役で戦功のあった木村重玆が淀18万石で入封する。

 文禄4年(1595)、重玆が秀次事件に連座して自害を命じられ、淀古城も不吉であるとして廃城となった。廃材は木幡伏見城築城の用材として転用されています。

 ちなみに、NHK大河ドラマ『真田丸』で大坂方の将であった木村重成は重玆の子であったという(異説あり)。


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 陸水交通の要衝であり、洛南の軍事拠点であった「淀古城」であるが宅地化によって遺構は堀跡のみである。

 指月城・木幡伏見城・大坂城・聚楽第など秀吉に関わる城館って遺構が無い(見られない)って城ばかりですね。

 でも、城址碑があるってのは嬉しい限りです。


 (参考資料)
  日本城郭体系 11 京都・滋賀・福井                            新人物往来社
  近畿の名城を歩く  滋賀・京都・奈良編                           吉川弘文館
 

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