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今回の研修を急遽開催した理由には…、
① 4月21日(日) 丸一日予定が空いていたから
② どうしても見たかった企画展が開催されていたから
このうち、②の理由によるところが大きいものでした。
JR亀有駅から歩いて向かうには距離があり
足立区立郷土博物館 足立区大谷田5−20−1
平成21年(2009)3月15日、「江戸東京の東郊」をテーマにして展示改修され、リニューアルオープンした博物館です。
この博物館で5/6(月)まで開催されている企画展『戦国足立の三国志―宮城氏・舎人氏・武蔵千葉氏―』。戦国時代の足立区の豪族にスポットを当てた企画展、とっても魅力的でした
当日は講演会も開催されており、多くの聴講者がいらっしゃっていました。
企画展見学時、思うところもある人々もおりましたが…素晴らしい展示で満足しております。(若干、いやかなりその方々の会話が耳に入りイライラしました…、こうしたところももっと成長しなければいけない部分です)
東渕江庭園
博物館に隣接した庭園であり、故小形研三氏によって設計された回遊式庭園である。
博物館企画展や庭園を見学し終えると、17:00。
本来であれば、この後は懇親会ということになるのだが、今回は亀戸駅近くの
今回、日本史跡研究会創立以来初の急遽開催した研修であったが、今後の研修を開催する上で非常に良い経験を得ることが出来たものだった。
準備期間が少なく、慌ただしい内容となったが、こうした急遽開催する場合には集合時間を遅くしたり、午後のみの開催というのもアイデアとして有りかと思う。
やはり何事も経験ということだろう。経験は活かすもの。今後の活動にしっかりと活かしたいと思う。
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研究会イベント
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今回の研修では足立区内を行ったり来たりでした
結果、同一鉄道路線を乗ったり下りたり。まぁ、次回以降足立区を踏査するときに役立つ経験ですけどね。
さて、足立区を代表する古刹は研修当日は縁日が行われており(あっ、花まつりということですが…)、西新井駅から無料バスが出ておりました
せっかくですから、利用して現地へ。そして、ちょっと遅い昼食を
西新井大師(五智山遍照院総持寺) 足立区西新井1−15−1
天長3年(826)、弘法大師空海が関東巡錫の途中、西新井の地で観音菩薩の霊託を聞き、本尊の十一面観音を彫り、寺院を建立したことに始まるとされる。
関東三大師の一つであり、関東八十八箇所特別霊場である。
当然のことながら、御朱印はいただくのであった。平成31年と書いてあるのは貴重なのかもしれない。
境内は出店・出店・出店と大賑わい。その結果として、西新井大師境内の撮影は困難であり、さらに多くの人手だったことから、参加者各自が思い思いに散策すると…主催者は待ち合わせ場所を連絡して、そこに佇むのであった。
さて、今回の研修で最も訪れたかった(いや、ここが目的だったと言っても過言ではない
亀有といえば…こち亀の両さんですね。
さて、今回の研修で訪れた最終目的地は次回に…。
その4 に続く
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今回踏査した足立区東伊興はなかなか多くの興味溢れる史跡の宝庫
そんな反省は次回以降の研修に活かすこととして、さて続きにまいります。
塩原太助の墓 足立区東伊興4−4−1
「本所に過ぎたるものが二つあり。津軽屋敷に炭屋塩原」と歌に詠まれた塩原太助。
寛保3年(1743)、上野国利根郡新治村(現在の群馬県みなかみ町)に生まれる。
その後、木炭の粉に海藻を混ぜ固めた炭団を発明したことで富豪となるが、私財を投じて道路改修や治水事業を行った。
文化13年(1816)、太助は没し、東陽寺に埋葬された。
東陽寺自体は何度か移転しているのだが、大旦那であった塩原太助の墓は墓域でしっかりと守られているものだと思っていた。
がっ、盛者必衰…本堂横に写真のような状況で「塩原太助の墓」はあった。庫裏で墓の場所をお尋ねしない限りは(否、太助の戒名を知っていれば時間さえかければ見つけられたであろう)なかなか場所もわからないのではないだろうか?
時の流れの儚さというものを史跡巡りでは感じることが多々ある。
次に向かったのは…、
伊興遺跡 足立区東伊興4−9−1
この地に約4000年前の縄文時代後期から集落が営まれた。
都内でも稀な古墳時代の祭祀遺跡として知られている。
平成8年(1996)、延暦17年の年号の入った木簡などが出土したことから、奈良時代には、律令国家の郡衙が営まれたと推定されている。
遺跡内には、「竪穴住居址」や「方形周溝墓」が復元されています。
竪穴住居址内の写真は撮り忘れましたが…竈があった。このことから古墳時代の竪穴住居址と理解出来る。
奈良大学で学ぶ前であれば、竪穴住居址はどの時代のものも同じだと感じていた。しかし、炉であれば古墳時代以前、竈があれば古墳時代以後と思えるようになった。
これだけでも多少の知識として学習した内容が身に付いているのだと感じることが出来る。
遺跡内には遺跡より出土した遺物の数々を展示している展示館がある。
残念ながら、木簡はパネル展示であったが、土器などの遺物を購入したモノキュラーHGでじっくりと観察できたのが良かった。これも大学で学び直した成果の一つであろう。
まだまだモノを見る目はないが、単眼鏡で見る遺物などはこれまでと違うことだけは感じることが出来る
本来であれば来た道を竹の塚駅まで戻るはずであったが、それでは面白くないとちょっと別ルートで駅まで戻ることにした。
この一帯は寺町で浄土真宗本願寺派の寺院が多く感じた。これは地域性というものなのだろうか?そんな寺院の中に見つけたのが…
本庄家墓域 足立区東伊興4−14−8
法受寺境内にあったのが「本庄家墓域」である。
徳川五代将軍・綱吉の生母である桂昌院の墓や常陸笠間藩主・本庄宗資の墓があった。
当然のことながら、当初の予定にはなかったので、詳細はこれから調べなくては…。こうしたことも研修事後にしなければなりませんから、時間がいくらあっても足りないのかも
竹の塚駅から西新井駅へと移動して、次の目的地へと無料バスで向かいます。丁度、華祭りだったので無料バスが出ていてラッキー
それはまた次回に…。
その3 に続く
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平成31年4月21日(日)。平成から令和へと元号が変わるまであと9日ということで、日本史跡研究会平成最後の研修と相成りました。
通常、日本史跡研究会研修は事前に(通常2ヶ月余前)通知して開催にこぎつけるのですが…。
今回は総会資料作成や会報記事作成など様々なことが積み重なっており、急遽開催となってしまいました
ということで当日
地下鉄日比谷線で北千住駅まで先ずは移動
甲良屋敷跡 足立区千住旭町10−31
近江國犬上郡法養寺村(現在の滋賀県犬上郡甲良町)出身の甲良氏は、初代・宗広から11代・棟隆まで江戸幕府に大棟梁として仕え、江戸城や日光東照宮などの造営に関与しています。
寛文10年(1670)、3代・宗清の別邸として現在の千寿常小学校一帯に屋敷を構えています。
周辺に弁財天堂が残ると現地説明板に書かれていたので探索するも、既に失われてしまったようです(しっかりと交番で
再び北千住駅に戻り、一駅移動。東京拘置所のある小菅駅で下車
小菅御殿跡 葛飾区小菅1
元文元年(1736)、徳川吉宗の命によって葛西方面での鷹狩りの際の休息所として御殿が設置されている。
寛保2年(1742)、焼失し、寛政6年(1794)、取り払われています。
東京拘置所が御殿跡であり、周囲には「小菅籾蔵跡」の説明板などがありますから、一つ一つ確認しました。
「そ〜いえば、ゴーンさん今いるんじゃない」と思いましたが、拘置所に近づくのは憚られましたのでやんちゃは止めときました
小菅駅に戻り、数駅先の竹の塚駅まで移動
こう考えると、某TV局の某番組っぽい。サイコロ振ればの話ですが…。「あっ、そうした史跡巡りも面白いかもしれませんねぇ。今度考えてみようかなぁ
白旗塚古墳 足立区東伊興3−10−14
江戸時代後期に描かれた『日光道中分間延絵図』には、伊興古墳群を構成していた8基の古墳が描かれ、白旗塚古墳はそのうちの一基である。
直径12m、墳高2.5mの円墳で6世紀前半の築造と推定されているが、発掘調査は行われておらず詳細は不明。
白旗塚史跡公園に存在する古墳で、『新編武蔵風土記稿』には、源義家が奥州征伐に向かう途中、この地で白旗をなびかせて戦ったという逸話が記載されている。
都会の喧騒を忘れさせてくれる良い公園です。子供たちが流れる川に無邪気に入っていましたが…まだ冷たいんじゃない
ここから東伊興の史跡巡りを何か所か訪れますが…それは次回に。
その2 に続く
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今回の研修の目玉の一つであった「割烹料亭 二葉」さんで、忠七めしを堪能した後向かったのは…
杉山城址 比企郡嵐山町杉山
国指定史跡「比企城館群」の一つであり、続日本百名城にも選出された山城の教科書的な城館址である。
築城年代や築城者とも不明な城館であるが、発掘調査で出土した遺物や遺構から、山内上杉氏が扇谷上杉氏に対抗するために築城したとの説が有力視されている。
『杉山城保存活用報告書』が刊行され、木々が伐採されて遺構が非常に見やすくなった。
城館址の保存活用が行われている好例であり、卒論にも例として活用出来ると思っています
杉山城址を散策し、いよいよ博物館見学
埼玉県立嵐山史跡の博物館 比企郡嵐山町菅谷757
現在、今回の研修タイトル『越山―上杉謙信侵攻と関東の城―』が開催中(2019.2.17まで)が開催中
主に埼玉県内の中世城館址発掘調査で出土した遺物や古文書から上杉謙信の越山を紹介しています。
この時期は16:00までに入館しなければならないので、最終目的地に回すのはリスクがあったのですが…無事に行程をこなしゆっくりと見学することが出来ました。
その後、続日本百名城・菅谷館址ですので、散策をば
菅谷館址
鎌倉幕府有力御家人であった畠山重忠の居館であったと伝わり、その後、長享2年(1488)、山内上杉氏が館址を再興したとされます。
当然のことながら、後北条氏によっても使用されたと考えられる。
杉山城址の遺構を見た後では、菅谷館址の遺構は「お〜っ」と驚嘆することはなく
それでも曲輪・土塁・空堀・虎口・復元木橋・掘立柱建物址といった遺構は見どころ十分だと思います。
この菅谷館址も奇麗になったなぁというのが感想ですね。
この菅谷館址の踏査で今回の博物館研修全行程は無事終了
JR熊谷駅 17:00 に解散というタイムスケジュールもしっかりと守れました
以上、日本史跡研究会 平成30年度第2回博物館研修『越山―上杉謙信侵攻と関東の城―』の模様でした。
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