【白瀬南極探検隊記念館】
所在地: にかほ市黒川字岩潟15−3
休館日: 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合、その次の平日)、年末年始(12/29〜1/3)
入館料: 一般 300円 小中学生 200円
少年時代から極地探検を志し研鑽を重ねたにかほ市出身の白瀬矗と、彼の壮大な夢とロマンに共感した三十人の男たちが明治時代末期、南極大陸で繰り広げた壮大なドラマを記録した資料館。
世界初

南極・北極のオーロラが同時上映されるオーロラドームや南極昭和基地のライブ映像が訪れる人々を出迎えてくれます。
白瀬矗は文久元年(1861)、秋田県由利郡金浦村に生まれました。幼名は知教。
明治5年(1872)、蘭学者である佐々木節斎から「北極」の話を聞き、探検家を志します。
明治12年(1879)、軍人となるため、日比谷教導団騎兵科に入団し、名を矗と改名する。
明治26年(1893)、郡司成忠大尉の「千島探検」に加わる。
明治43年(1910)、南極探検隊員募集が掲載され、300名を超える応募者の中から27名が決定。一同は血判して探検の成功を誓っています。
同年11月29日、東郷平八郎元帥が命名した204トンの「開南丸

」で東京芝浦を出港する。
明治44年(1911)12月14日、アムンセン隊が、明治45年(1912)1月17日、スコット隊が南極点に到達

(スコット隊は帰途全員遭難死)
明治45年(1912)1月28日、白瀬矗・武田輝太郎・三井所清造・山辺安之助・花守信吉の突進隊が犬ぞりで南極点に向かい出発するが、南緯80度05分、西経156度37分で日章旗

を立て一帯を「大和雪原」と名付ける(南極点には遂に到達することは出来なかった

)
同年6月20日、一人の犠牲者も出すことなく芝浦に寄港

簡単な白瀬矗の南極探検への略歴ですが、白瀬は結局南極点には到達することなく、アムンセンやスコット隊には及びませんでした。ですが、両隊の装備(船舶など)とは相当な差があったことは否めません(アムンセンも白瀬隊の装備を見て驚いたというエピソードが残されています)。
そんな状況で南極探検に向かい、犠牲者を出すことなく帰還したことは偉業であることは間違いありません

白瀬矗の夢は今なお受け継がれています

昭和43年(1968)12月19日、村山雅美隊長(故人)率いる第9次越冬隊による極点旅行チームが日本人として南極点に到達

その時に使用された大型雪上車である「KD605」が記念館に展示されています

平成26年(2014)、機械遺産に認定されています。
白瀬矗の言葉
「人間は目的に向かって剛直に、まっすぐ進むべきものである」
歴史の教科書

には載ることのないですが、これも日本の歴史の1ページに刻まれているのです

〔参考資料〕
現地案内板
現地配布パンフレット