日本史跡研究会 日々の徒然・改(埋もれた歴史を訪ねて)

全国各地の埋もれた史跡をご紹介致します。また、研究会活動についてもご紹介しております。

秋田県の博物館・資料館

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  【後三年の役金沢資料館】

   所在地:                横手市金沢中野字根小屋102−4
   休館日:     毎週月曜日(休日の場合翌火曜日) 国民の祝祭日の翌日 年末年始
   入館料:  ¥100(石坂洋二郎文学記念館・横手城展望台・かまくら館の四館観覧可能)


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 地元の文人・戎谷南山模写の「後三年合戦絵詞」を代表とし、大鳥井山遺跡や陣館遺跡などから出土した貴重な遺物、金沢柵(金沢城)の縄張図・実測図、金澤八幡宮寄託の佐竹義重の甲冑などの社宝が展示されています。

 頒布資料も充実しており、横手市を訪れたならば是非訪れてもらいたい施設です。

 
 横手市金沢は余に名高い後三年の役の舞台として知られます。資料館の裏手にある陣館遺跡は金沢柵に推定されている遺跡であり、近年の発掘調査で貴重な発見がありました。

 付近には、横手城跡や平安の風わたる公園もあり、散策の拠点として資料館を活用してみてください。

 また、横手市は美味しい郷土食が多々あり、B級グルメとして横手焼きそばは全国的にも有名ですね。


   【白瀬南極探検隊記念館】

  所在地: にかほ市黒川字岩潟15−3
  休館日: 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合、その次の平日)、年末年始(12/29〜1/3)
  入館料: 一般 300円   小中学生 200円


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 少年時代から極地探検を志し研鑽を重ねたにかほ市出身の白瀬矗と、彼の壮大な夢とロマンに共感した三十人の男たちが明治時代末期、南極大陸で繰り広げた壮大なドラマを記録した資料館。

 世界初南極・北極のオーロラが同時上映されるオーロラドームや南極昭和基地のライブ映像が訪れる人々を出迎えてくれます。


 白瀬矗は文久元年(1861)、秋田県由利郡金浦村に生まれました。幼名は知教。

 明治5年(1872)、蘭学者である佐々木節斎から「北極」の話を聞き、探検家を志します。

 明治12年(1879)、軍人となるため、日比谷教導団騎兵科に入団し、名を矗と改名する。

 明治26年(1893)、郡司成忠大尉の「千島探検」に加わる。

 明治43年(1910)、南極探検隊員募集が掲載され、300名を超える応募者の中から27名が決定。一同は血判して探検の成功を誓っています。

 同年11月29日、東郷平八郎元帥が命名した204トンの「開南丸」で東京芝浦を出港する。

 明治44年(1911)12月14日、アムンセン隊が、明治45年(1912)1月17日、スコット隊が南極点に到達(スコット隊は帰途全員遭難死)

 明治45年(1912)1月28日、白瀬矗・武田輝太郎・三井所清造・山辺安之助・花守信吉の突進隊が犬ぞりで南極点に向かい出発するが、南緯80度05分、西経156度37分で日章旗を立て一帯を「大和雪原」と名付ける(南極点には遂に到達することは出来なかった

 同年6月20日、一人の犠牲者も出すことなく芝浦に寄港
 
 
 簡単な白瀬矗の南極探検への略歴ですが、白瀬は結局南極点には到達することなく、アムンセンやスコット隊には及びませんでした。ですが、両隊の装備(船舶など)とは相当な差があったことは否めません(アムンセンも白瀬隊の装備を見て驚いたというエピソードが残されています)。

 そんな状況で南極探検に向かい、犠牲者を出すことなく帰還したことは偉業であることは間違いありません白瀬矗の夢は今なお受け継がれています


 昭和43年(1968)12月19日、村山雅美隊長(故人)率いる第9次越冬隊による極点旅行チームが日本人として南極点に到達


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 その時に使用された大型雪上車である「KD605」が記念館に展示されています


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 平成26年(2014)、機械遺産に認定されています。


 白瀬矗の言葉
  「人間は目的に向かって剛直に、まっすぐ進むべきものである」


 歴史の教科書には載ることのないですが、これも日本の歴史の1ページに刻まれているのです

 
  〔参考資料〕
   現地案内板
   現地配布パンフレット


 

  【石坂洋次郎文学記念館】

   所在地:横手市幸町2−10
   入館料:¥100(後三年合戦金沢資料館・横手公園展望台・横手市ふるさとセンターかまくら館含む)
         ※一日共通券で大変リーズナブルです


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 明治33年(1900)、青森県弘前市で生まれた石坂洋次郎は、大正15年(1926)、秋田県立横手高等女学校(現在の横手城南高校)に転任しています。

 昭和2年(1927)、三田文学に処女作『海をみに行く』が掲載され、作家としてのスタートを切ります。

 昭和8年(1933)、三田文学に連載された『若い人』が好評で、昭和11年(1936)、第一回三田文学賞を受賞し、昭和12年(1937)、改造社から『若い人』・『続若い人』がベストセラーとなった。

 しかし、昭和13年(1938)、不起訴とはなったが『若い人』が不敬罪・軍人誣告罪で告訴されたために高校教諭を依願退職しています。

 これがきっかけで、昭和14年(1939)、横手市を離れ上京し、本格的な作家活動に入ります。


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 その後、昭和61年(1986)死去するまでに多くの作品を残しますが、その代表作は……『青い山脈』ではないでしょうか。 当時の人々から愛され、繰り返し映画化されています。

 文学記念館には作品の原稿や映画化されたポスターが展示されており、石坂洋次郎の作品に馴染がなくとも楽しめると思います。


 『若い人』の一節

       小さな完成よりも あなたの孕んでいる未完成の方が 
             はるかに大きいものであり得ることを  忘れてはならないと思う。

 『冬景色』中の一句

                 生甲斐や雪は山ほど積もりけり

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