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【里之宮 湯殿山神社】
所在地: 山形市旅籠町3−4−6
明治9年(1876)、初代山形県令である三島通庸は、山形県庁建設の地を山形市旅籠町万日河原と定め、その地鎮祭を行うにあたって、田川郡湯殿山に鎮座する出羽三山奥宮国幣小社湯殿山本宮の口之宮本導寺湯殿山神社より分霊を勧請、旅籠町雁島に祀ったのが起源である。
当時の旅籠町は戸数263戸、人口1336人で山形市街では香澄町、七日町に次ぐ町であった。
三島は県高官に命じて県内陸地方の全戸に奉加帳(「県庁新設に際し湯殿山神社御分霊を勧請して県庁・県都の守護神とする」と記されていました)を廻し神社創建の寄付を募っている。『御鎮座記』には県庁舎・湯殿山神社用地造成が山形市内外の人たちによって行われたと記載されています。
12月、三島は大久保利通内務卿に「県社設立の儀に付教部省へ伺」を提出。しかし許可はならず、神社組織や神社永続法の書類を添え再提出した結果、神社創建は許可されたが、社格は不許可とされている。
明治10年(1877)、正面三層楼の洋館県庁舎が完成開庁。周囲には師範学校・警察本部・郡役所・銀行などが次々と建ち、湯殿山神社は山形中心部の鎮守とされました。
明治12年(1879)7月10日、伊藤博文内務卿によって県社の社格が許可されている。
明治25年(1892)、旅籠町の秋葉山神社を合祀。
その後、黄金山神社も合祀されたことによってますます人々の信仰を集めるようになった。
明治44年(1912)、山形市街中心部から北部にかけて大火
大正4年(1915)、本殿が仮拝殿とともに再建され、拝殿が完成したのは昭和11年(1936)であった。
昭和54年(1979)9月、山形市市役所新庁舎建築のために移転要請があり、昭和58年(1983)、現在地に移転鎮座しました。
山形市の観光名所である「文翔館(旧県庁および県会議事堂)」に隣接して鎮座しており、今なお山形市の鎮守として市民の方々の崇敬を集めています。
初詣の時期には多くの参拝客で賑わうんでしょうね。
(参考資料)
山形県初代県令 三島通庸と里之宮 湯殿山神社 里之宮 湯殿山神社
現地配布パンフレット
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