日本史跡研究会 日々の徒然・改(埋もれた歴史を訪ねて)

全国各地の埋もれた史跡をご紹介致します。また、研究会活動についてもご紹介しております。

静岡県の史跡

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]


  【箱根旧街道】

   所在地: 三島市山中新田


イメージ 1


 箱根旧街道は、江戸時代の東海道の一部であり、小田原宿から箱根山を越えて三島宿へと至る、所謂「箱根八里(約32㌔)」を指す名称。

 「箱根の山は天下の険」と謳われたように、東海道第一の難所でした。

 江戸時代初期、箱根越えの坂道は雨が降れば脛まで泥に潜ってしまうような悪路で、旅人は大変苦労して通行していました。
 幕府は旅人の便を図るため、街道に箱根竹を敷いていましたが、根本的な解決には至りませんでした。

 延宝8年(1680)、江戸幕府は金1,406両余をかけて、石敷きの街道にしています。

 石畳は一辺30〜70cm、厚さ20〜30cm程度の大型の石材を道の両端に直線的に配置し、その内側にやや小型の石材を隙間なく敷き並べ、幅二間(約3.6m)を基本としていることが、発掘調査によって明らかとなっている。
 石材の大半は安山岩で、街道周辺の来光川などの沢筋から運んできたものと推定されています。
 また、石材は関東ローム層上に直接据えられ、特別な基礎構造は造られていませんでしたが、大型で重量のある石材を組み合わせることによって、基礎を造らなくても十分な強度が得られています。
 しかし、特に傾斜の強い場所や、安定の悪い石材の下には、粘土に小石を混ぜ合わせた基礎材が敷かれていることも明らかとなっています。


 三島市内では、山中地区から笹原地区までの約2キロ、石畳が復元整備されています。復元にあたっては、小田原市根府川の安山岩が新たに補充されています。

 箱根旧街道ウオーキングを楽しむことも可能ですが、ウオーキングまでは…と思う人も、国指定史跡「山中城址」からも箱根旧街道の石畳は訪れることが可能です。
 全行程歩くのは…と思われる方は、ちょっとだけでも石畳の感触を味わってみてはいかがでしょうか?


 (参考資料)
  現地案内板


   【清水邸庭園】

     所在地: 掛川市西大渕5298-2
     休園日: 毎週木曜日(祝日の場合は翌日) 年末年始(12/29〜1/3)
     入園料: 無料


イメージ 1


 初代・清水八十郎は元々伊勢国一身田(現在の三重県津市)の出身で、船運を生業としていたと思われますが詳細は定かではない。

 元禄年間(1688〜1704)、江戸の豪商・来家多七に仕え、横須賀藩の御用商人・廻船問屋として発展していった。

 「八十様にはおよびもないが せめてなりたや 殿様に」と俗謡に歌われたほどの繁栄を誇りました。(因みにこのような俗謡は各地に伝わります)

 明治4年(1871)、明治政府は前島密の建言によって郵便制度を導入。五代・清水八十郎は旧廻船問屋の建物を特定郵便局舎とし、自ら初代郵便局長となった。

 昭和26年(1951)まで郵便局として町の人々の生活を支えました。


 現在残る清水邸は慶応年間(1865〜1868)、建造されたと遺構から想定されています。


イメージ 2


 屋敷の南側には江戸時代中期に造営された池泉回遊式庭園があります。湧水を巧みに取り入れており、とても清らかな水が庭園内を満たしています。


イメージ 3


 平成3年(1991)12月20日、静岡県みずべ百選に選出されています。


イメージ 4


 「湧水亭」では呈茶サービスが受けられます。

      一般 ¥510 中学生以下 ¥250

 和菓子は安くとも¥250程度しますので、この料金設定はお安いと思います(出されたお菓子は非常に美味しかったです)。

 また、茶事・茶会などに茶室が利用出来ます。
              (要申請。料金等詳細は清水邸庭園管理事務所0537-48-6456まで)


 掛川市街地からは車で約30分ほどかかる横須賀ですが、横須賀城跡などもありますので訪れる価値はあると思います。


  〔参考資料〕
   現地配布パンフレット
   現地案内板


   【御羽織屋】

  所在地:  静岡市駿河区宇津ノ谷171
  入館料: 大人 ¥200 小人 ¥100
  休館日:    毎週木曜日、年末年始


イメージ 1


 天正18年(1590)、豊臣秀吉は天下統一の総仕上げとして小田原・北条征伐を行いました。秀吉軍三万余は「蔦の細道」と拡幅整備をした「北の道」の二手に分かれて小田原に進軍

 本隊は「北の道」を華やかな行列で押し渡ったと伝わります。秀吉が宇津ノ谷集落に到着した際、この地に立ち寄りました。

 秀吉は石川家の軒先に吊るしてあった馬の沓を目に止め、使い古した自分の馬の沓を取り換えようとしました。すると主人は三脚分しか差し出さなかったので、「馬の脚は四本なのにどういう訳か?」と尋ねたという。主人は「三脚分の沓は道中祈願を申し上げました。残る一脚は戦勝祈願で御座います」と答えたという。(四=死に繋がり忌み嫌われたので、主人が機転を利かせた逸話です)

 この時の逸話は徳川家康の家臣・松平家忠の日記『松平家忠日記』に見られ、「郷民は勝栗と馬の沓を奉げて、小田原東征は縁起が良いと告げると、秀吉は喜び自ら胴服(陣羽織)と黄金を与えた」と記されています。


 郷民の機知に喜んだ秀吉は、自ら着ていた陣羽織(和紙と絹で作られていた)を与え、この功績によって石川家は名字帯刀を許され、屋号を「御羽織屋」としています。

 また、宇津ノ谷は公用荷の運搬である「伝馬役」と家々の課税が免除され、江戸時代になっても踏襲されています

 
 慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いに向かう途中(一説では鷹狩)の家康は呉須の茶碗を石川家に贈っています。

 その後も諸大名や著名な人物たちも拝観に訪れ、石川家にはその芳名録が残されています。明治天皇もこの地に立ち寄ったので、御羽織屋で秀吉の陣羽織を御覧になったでしょうね。


  〔参考資料〕
   現地案内板

全1ページ

[1]


.
日本史跡研究会 
日本史跡研究会 
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(17)
  • 富士丸GT
  • ゆぅ
  • bmw1100rs1
  • kotetsu
  • サービスエンジニア
  • 徳川わ廣(たなか)
友だち一覧
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事