日本史跡研究会 日々の徒然・改(埋もれた歴史を訪ねて)

全国各地の埋もれた史跡をご紹介致します。また、研究会活動についてもご紹介しております。

群馬県の城館跡

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全11ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


  【中島屋敷跡】             評価  

   別   名:              ―――
   所 在 地:  高崎市京目町字三ツ谷京目 前橋市川曲町
   築城年代:              16世紀
   築 城 者:              中島氏?
   区   分:               環濠屋敷
   現   状:              宅地・耕地


イメージ 1


 東西80m、南北65m程度の方形館に東と北を外郭が囲んでいる。さらに東郭北には馬出郭状の一角が付随している。

 ここから北30m程のところには別の三郭がまとまっている。三郭のうち一番北の郭の北面に、堀と土居の一部が残っていると『高崎市史』には記載されてはいるものの、なかなか郭の形状は把握できず、遺構も確認出来なかった


 記録も残されておらず、群馬県中世城館跡研究の第一人者である山崎一氏はこの地の土豪・中島氏の屋敷と推定している。


 このように遺構も残らない城館の散策は兎にも角にも気力である。地元の人ですら自分の住んでいる場所が城址とは思っていないから、カメラ片手に歩いていると不審者扱い
 そんな目に耐えられる気力が何よりも大切である。これからも気力が続く限り、遺構のない城館跡にも足を運びたいと思います


 (参考資料)
   新編 高崎市史  資料編3 中世Ⅰ


  【三公田環濠集落跡】             評価  

    別   名:      ―――
    所 在 地:  前橋市公田町544−1
    築城年代:
    築 城 者:
    区   分:      環濠集落
    現   状:     乗明院・宅地


イメージ 1
                      ( 乗明院境内を巡る堀跡・土塁 )

 公田山乗明院魚遊寺は、承和年間(834〜848)、慈覚大師円仁が自ら彫った釈迦如来像を安置する堂を建立したことに始まるとされる。

 建長2年(1250)、この地の郡司が堂宇の脇に池を造り、魚を離して釣りを楽しもうとしたところ、池の水は忽ち熱湯となってしまった。驚いた郡司は了賀阿闍梨を招き、殺生の罪を詫びて祈ると、池の水はもとの水になり、魚も群れを成して泳ぎだしたという。
 郡司は寺を再興し魚遊寺と名付けたという伝説が残されている。


 環濠集落となった時期など詳細は不明ですが、乗明院も天台宗寺院であることから、ある時期僧兵によって武装したとも考えられます。

 環濠規模は50m四方ほどである。


イメージ 2
 

 また、乗明院の北西100mのところにも堀跡が確認出来る。東側と北側で確認できるのだが、その規模は乗明院同様50m四方であると思われる。


 前橋市内にも環濠集落跡は数多く確認されているが、「三公田環濠集落跡」もその一つである。乗明院を巡る堀跡は見どころがあり、市街地化した場所で城館跡を訪れられたと喜びを感じました。


 (参考資料)
  日本城郭体系 4  茨城・栃木・群馬                        新人物往来社
  現地案内版


  【前田屋敷跡】           評価  

   別   名:     ―――
   所 在 地:  前橋市亀里町453
   築城年代:
   築 城 者:     前田某
   区   分:      屋 敷
   現   状:     宅地・耕地


イメージ 1
                    ( 中央のお宅あたりが屋敷中心部 )

 50mほどの方形館であったようだが、宅地化によって遺構は消滅しているようである。

 前田屋敷という名称から前田某によって築かれたと推測可能であるが、築かれた時期など詳細は不明である。

 
 前橋市に残る環濠屋敷跡を探索した際に訪れたのであるが、ここには遺構らしきものは見いだせなかった。

 だが、屋敷の一角にある墓地には宝篋印塔が見られ、屋敷に関したものなのかもしれない。

 
 (参考資料)
   群馬県の中世城館跡                      群馬県教育委員会


  【鶴小路亀里環濠跡】            評価  

   別   名:      ―――
   所 在 地:  前橋市亀里町640−1
   築城年代:
   築 城 者:
   区   分:      環濠集落
   現   状:      極楽寺


イメージ 1


 成菩提山光明院極楽寺は、天台宗総本山・比叡山延暦寺に属しています。

 貞観6年(864)、慈覚大師円仁の開基とされ、寿永元年(1182)、源頼朝は常盤御前の菩提を弔うために光明院を建立し、建久4年(1193)、頼朝所持の阿弥陀如来像を下賜され、常盤御前廟を修営し、一碑を建立し寺家領を附して常盤御前の冥福を永祈願したと伝わります。


 イメージ 2


 境内にある「宝塔」。伝承では、これが常盤御前の供養塔という。

 常盤御前は奥州へと落ち延びた源義経を追ってこの地を訪れたとの言い伝えが亀里町には残されている。


イメージ 3
                             ( 門前の環濠址 )

 環濠集落となった時期などその歴史は不明である。

 しかしながら、極楽寺が比叡山延暦寺との関りがあることを考えれば、ある時期より武装化し、環濠で寺院を囲んだのではないかとも考えられる。

 上野国で武装寺院や僧兵といった話は聞き及ばないが、そうした可能性もあるのではないかと思う。


イメージ 4


 遺構として土塁・堀跡が確認出来るのみである。


 (参考資料)
  群馬県の中世城館跡                      群馬県教育委員会
 

  【矢中新左衛門屋敷跡】         評価    

   別   名:       矢中屋敷
   所 在 地:  高崎市矢中町上村内1014
   築城年代:  天正年間(1573〜1592)
   築 城 者:      矢中新左衛門
   区   分:         屋 敷
   現   状:        宝昌寺


イメージ 1


 天正年間(1573〜1592)倉賀野城主となった金井淡路守秀景の弟である矢中新左衛門によって構えられた。

 東西南北50m程の方形館で、現在「宝昌寺」が建つ地である。

 
 矢中地区には多くの環濠屋敷址が確認されているが、ここもその一つである。

 倉賀野氏や金井淡路守秀景に従った矢中七騎の屋敷である。

 屋敷の詳細な歴史は不明であるが、城館址攻略数をにはもってこいの地である。しかし、遺構は確認出来ないので、正直気力が続くかが問題である。


 (参考資料)
   新編 高崎市史 資料編3  中世Ⅰ

全11ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.
日本史跡研究会 
日本史跡研究会 
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(17)
  • aganohito
  • サービスエンジニア
  • 相模守(八丁堀)
  • ゆぅ
  • kotetsu
  • 徳川わ廣(たなか)
友だち一覧
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事