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【旧松本家住宅】
所在地: 掛川市掛川1200−1
入館料: ¥100
休館日: 年中無休 09:00〜17:00(入館は16:30まで)
松本家は代々掛川城下の中町で葛布問屋「松屋」を営み、寛政元年(1789)、掛川藩に金子を用立てている記録が残されている旧家です。
掛川藩から御用達を命じられ、上下・小袖を拝領、苗字・帯刀を許可されていました。
安政5年(1858)、旧来からの流通機構が乱れ始めたことから、掛川藩は葛布取扱問屋を指定し、指定問屋以外の商人が他領へ葛布を販売することを禁止。この時の取扱問屋のひとりに松屋市右衛門の名が見られます。
明治時代に入り、掛川地域の財界を代表する有力者として松本家の名が見られますが、家業の葛布問屋をいつ頃まで営んでいたのか、はっきりわかりません。
明治36年(1903)、松本義一郎は旧掛川城竹の丸に本宅を建設しています。
昭和11年(1936)、松本家は東京へ転居することとなり、邸宅は掛川市(当時は掛川町)に寄贈されています。
戦後、市職員の厚生施設として利用されるとともに、柔道・弓道の練習場、調理実習の場等として市民に活用されていました。
主屋は桁行10間、梁間7間半の平屋建寄棟造ですが、離れは大正9年(1920)頃、平屋から二階建てに改築されたと考えられています。
旧松本家住宅は「掛川城 竹の丸」という施設になっています。
「竹の丸」とは、
天正18年(1590)、山内一豊が豊臣秀吉によって掛川城主に任じられた際、これまでの掛川城に郭を付け加え、城の拡張を行っています。この時に、竹の丸も造成されたと考えられています。
18世紀初頭に描かれた『遠州懸河城郭図』には、「竹ノ丸」という表記があり、当時こう呼ばれていたことがわかります。
江戸時代に描かれた『遠州掛川城絵図』では、竹の丸は掛川城北門を望む場所であったことがわかります。郭北端に土手を巡らせ、土手の外側には外堀が水を湛えている。北門から城内に続く道は、竹の丸南東角で、東・南・西へ分かれる三叉路となっている。
このように、竹の丸は北門の守りを固める位置にあり、天守閣・本丸等城の中心部に通ずる道筋にあたり、防衛上重要な場所であったことから、家老等重臣の屋敷地に割り当てられています。
この旧松本家住宅離れ二階から見る「掛川城復元天守」
とっても心奪われる素晴らしさでした
また、掛川城のおもてなし隊の方々もとても良い人々でした。
掛川という地が非常に素晴らしい街であるイメージが今でも心に刻まれています。
(参考資料)
日本城郭体系 9 静岡・愛知・岐阜 新人物往来社
静岡の山城ベスト50を歩く 加藤理文・中井均編著 サンライズ出版
現地配布パンフレット
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静岡県の古民家
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