日本史跡研究会 日々の徒然・改(埋もれた歴史を訪ねて)

全国各地の埋もれた史跡をご紹介致します。また、研究会活動についてもご紹介しております。

奈良県の古民家

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  【東の平田家住宅】

    所在地:               橿原市北八木町2−1−1
    休館日:  毎週月曜日(祝祭日の場合はその翌日) 年末年始(12/25〜1/5)
    入館料:                      無 料


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 主屋は木造二階建、南側入母屋造、北側切妻造、西側本瓦葺、東側桟瓦葺。桁行14.55m、梁間9.63m。

 角屋は木造二階建で主屋東南部に接続。東側切妻造、南側本瓦葺、北側桟瓦葺、東、西、南、北側庇桟瓦葺。桁行6.00m、梁間9.64m。


 古代大和の主要道路である下ツ道、横大路との交差点である八木札の辻を挟み、西の平田家住宅、東の平田家住宅が向き合って立地し、江戸時代の旅籠の風情が残ります。

 江戸時代中期以降、八木札の辻界隈は、伊勢参りや大峯への参詣巡礼などで賑わった地である。

 『大阪浪速講伊勢道中記御定書附』は、大阪から伊勢に至る約60軒の旅籠を記した当時のガイドブックで、平田家は「八木 木原屋 嘉右衛門」として紹介されています。

 また、嘉永6年(1853)刊行された『西国三十三所名所図会』には平田家が描かれており、この時期には存在していたことは明らかである。

 
 古文書・建築様式・大棟南側の鬼瓦に「天保七申六月作」という箆書が発見されていることから、建築年代は18世紀後半から19世紀前半と推測されています。

 
 現在は「八木札の辻交流館」として開放されており、往時の八木の繁栄を偲ぶことが出来る施設となっています


 大和八木は「東の平田家住宅」以外にも江戸時代からの住宅が多く残ります。

 近年、橿原市の今井寺内町は多くの人々が訪れ賑わっているのですが、こちらはまだまだ知られておらず…なかなか観光客がしていない

 今井寺内町だって、数年前まではなかなか人に知られておらず、人も疎らだったんですぅ

     今井寺内町 今西家住宅   https://blogs.yahoo.co.jp/tsjqu183/14280222.html


 今後、大和八木の町並みも見学される人が多くなれば良いなぁ。


 (参考資料)
  現地配布パンフレット
  現地案内板


  【旧高市郡教育博物館】

   所在地:         橿原市今井町2−3−5
   休館日: 月曜(祝祭日の場合はその翌日)、年末年始
   入館料:               無 料


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 皇太子であった大正天皇の御成婚報告のために神武天皇陵を参拝した際、旧高市郡に2000円を下賜している。この2000円を基に明治36年(1903)、橋本卯兵衛の設計で築造されています。

 高市郡の教育や勧業の発展を図るために、図書館や物産陳列所などが併設されています。奈良県下では奈良国立博物館に次ぐ社会教育施設であった。

 入母屋造桟瓦葺二階建ての本館・左右対称の平屋両翼廊の建物は宇治平等院をモデルとしたという。

 昭和元年(1926)、今井町役場として使用されることとなる。その後、図書館としても使用。昭和31年(1956)まで使用されています。

 その後、当時の姿に復元整備され、平成7年(1995)、今井まちなみ交流センター「華甍」としてオープン。今井町の展示のほかイベントや講座などに利用されています。


 今井寺内町巡りの拠点としてまず初めに訪れると良いと思います。ここで配布パンフレットなどの情報を得てから街並み散策すればより楽しめると思いますよ。

 (参考資料)
  江戸期の民家集落 今井寺内町                   今井町町並み保存会
  現地配布パンフレット
  現地案内板


  【今西家住宅】

  所在地:  橿原市今井町3−9−25
  入館料:  大人¥400 中学生以下¥200
          ※事前予約制  0744−25−3388
  休館日:  毎週月曜日(祝日の場合その翌日) 8/16〜8/22 12/25〜1/6


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 永禄9年(1566)、筒井順慶に圧迫されて今井郷に亡命した十市遠勝の後を追って、一族であった川井権兵衛尉清長はこの地に移住した。

 十市氏・川井氏を恃んだ河瀬新左衛門氏兼を石山本願寺顕如上人光佐の門流に属させ、河瀬入道兵部房とし、今井郷に新たな道場である称念寺を造営して住職とし、街の周囲に環濠土塁を構えて城塞都市とした。

 この時、今西家は西の備えとして櫓に模した屋敷であり、西の天守といった堂々たるものであったという。

 その後、今井郷は信長に対して抗戦するも降伏し、武装解除したが自治権は残されている。

 天正3年(1575)、織田信長の本陣として使用され、土間を白洲に見立て裁きを行う陣屋となった。

 元和7年(1621)、大坂夏の陣の戦功によって郡山城主・松平下総守忠明から今井西口を守ったことから今西姓を名乗ることを薦められ、以後今西姓を名乗っています。

 江戸時代も幕府より自治を認められ、惣年寄制が布かれ、今西家は惣年寄筆頭の家柄を代々務めています。

 延宝7年(1679)、今井町は天領となり、今井の自治は終焉を迎え、今西家は武士の身分を停止され町民となったが、幕末まで惣年寄職を務め、明治4年(1871)、廃藩置県後も明治新政府から市中取り締まりを命じられていました。


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 今西家住宅は慶安3年(1650)、今西正盛によって陣屋兼住宅として築造されたことが棟札から判明しています。八棟造りと呼ばれる構造で築かれています。

 元禄6年(1693)、文政8年(1825)の二度に亘り屋根の修理だけでなく、外壁や内部間仕切りの改変など大規模修理が行わています。

 昭和2年(1927)、北丹後地震によって建物西に接続していた牢屋と、南の三階倉が倒壊建物自体も相当破損し、建物が西に傾いていたという。

 
 戦後、今井町をふらり立ち寄った東京大学教授が今西家住宅を見て調査に入り、昭和36年(1961)、根本修理が行われています。

 今西家単独で町屋を維持管理するのは大変困難でありながらも、現当主は「意地でこの建物を保存しています」とおっしゃっており、大変感銘を受けました



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 住宅を支える梁一本の修理にも莫大な資金がかかるとともに、これだけの木材を現代で見つけ出すのも困難です。

 橿原市の今井町京都や奈良と比較しても遜色ない街ですもっと多くの方々に訪れてもらいたい街です。


 (参考資料)
  現地配布パンフレット

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